第一小節 - 妹
『お願い、お兄ちゃん。私と一緒に来て』
『…即答はできない』
『そっか。お兄ちゃんは私を捨てるんだね』
『そうじゃない!』
『…もう全部、全部手遅れなんだよ…』
『ね、ネル?おい!どこ行くんだよ!』
『バイバイ…お兄ちゃん…』
『ネル…
ネルーーーー!!」
バッと起き上がるとこちらをポカンとした顔で見るローゼンとアニマの姿があった。
肩で息をしながら虚ろな目で2人を見ていると、グラスを出したローゼンは水魔法で器用に水を注ぎ手渡してくれた。ごくごくと喉を冷たい水が通っていく。同時に額から汗が溢れる。
飲み終わるのを待ってローゼンは声を掛けてきた。
「おはよう、エヒトくん。悪夢でも見たかい?」
「妹を、妹が…」
「落ち着いてください、エヒトさん。ここに貴方の妹はいませんよ」
「そう、だな…。ごめん、悪夢を見ていたようだ」
「妹がいるのかい?名前は?」
「名前は…」
思い出そうとしても出てこない。靄がかかったように顔も出てこない。うんうん呻きながら頭の中で先程の夢を思い返しても思い出すことはできなかった。
「だめだ、思い出せない…」
「そっか。ま、そのうち思い出すさ。きっとね」
「団長、恐らく…」
「しーっ。ダメだよ。本人が思い出すことが大切なんだ。確定していない事を憶測で伝えることは彼に良い影響を与えないだろう」
何かを言いかけたアニマを制止し、ローゼンはそう言った。
「…わかりました。私もそのように致しますね」
「ごめん、大きい声を出したみたいで…あと水もありがとう」
「いいのいいの。怖い夢を見た時なんてそんなもんさ」
「そうですね。リテは悪夢に関係なく寝言を言いますが」
「あっ」
「あぁ、リテは来ませんよ。爆睡しているので」
「そ、そっか」
「リテが怖いんですか?」
「少しね…あの目はちょっとしたトラウマだ」
「人というのは自分がいない時にされる自分の話が気になるものですよ。あまり怖がらないであげてくださいね」
「善処します…」
そんな一幕を終え、スピカさんの用意した朝食を頂いた。2人以上で食事を取らないといけないというルールがあるそうで、朝食はローゼンとアニマの3人で食べた。
ちなみに朝食はマッシュとベアズリーの肉を使ったサンドイッチで非常に美味しかった。
スピカさんに料理の感謝と感想を伝えているとローゼンから全体に声がかかる。
「さて、みんな朝食は食べたかな?そろそろ出発しようか。今から出れば遅くとも夕方にはフローラルに着けるだろうからね」
粛々と準備を進める団員たちは初日同様5分ほどで支度を整えた様子だ。
そして誰ともなく進んでいく。次の目的地、フローラルはもうすぐだ。
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Side アニマ
今朝の出来事。彼には大きな秘密があるに違いない、そう確信した。
自分の妹の名前を叫んでいた。"ネル"、と。
最近アクラルネ様が外海からアルマへとお戻りになった話は記憶に新しい。
そのアクラルネ様のお名前がネル、ネル・エーデル様と聞いた。
外海から来た者が"エーデル"の名を知っているはずがない。そしてエーデルの名を冠するのは直系のみ。
団長は私の言葉を制止したが、恐らく彼はネル様とご関係のある存在。本当に兄妹なのかは分からないが…。
ネルという名が同じで別人の可能性も捨てきれないし、今は彼が彼自身の手でその妹の名前を思い出すことを待つしかできないだろう。
彼の姓を確認したいところではあるけど…。
はぁ、と小さくため息を吐いて私は荷竜車を進めるのだった。
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フローラルへの移動後半、マッシュとベアズリーに2度ずつ遭遇した。マッシュは計4体、ベアズリーは計2体といった感じだ。今回もアニマと2人で対応したためあっという間だった。
その後は特に何事もなく、予定より前倒し気味に目的地のフローラルへたどり着いた。
一面の花畑が見えた時には感動した。圧巻の一言だ。
色取り取りの花畑や一色に染め上げられた花畑など、広大な土地全てに美しい花がこれでもかと咲いていた。
「本当にすごいな…とても綺麗だ」
「だろう?ここはね、4代前のアクラルネ様が愛した聖地とされているんだ」
「へぇ…そんな話があるんだな」
「元々はここまで花が咲き誇ってはいなかったそうです。季節ごとに移ろう一面の花畑の町だったと伝わっています」
「すごくカラフルだけど?」
「アクラルネ様がこの地でお子をご出産されてね。その時にアルマの魔力に満たされるようになったんだよ。その影響で一年中ここでは綺麗な花畑が見られるんだ」
「凄い力を持っているんだな」
「記憶に無いだろうけどもちろん聖地はここだけではないよ。各地にこういった魔力が噴出した場所があったんだよね。そう言ったところは大きな加護を得るんだ」
「あったってことは、恒久的なものではないのか?」
「そうだね。まちまちだけど100~200年ほどじゃないかと言われいるから、この景色も今年が最後かもしれないしまだ数十年見れるかもしれない。そこはアルマの気まぐれってやつさ」
「この景色がなくなるのは寂しいな」
「そうですね。私もフローラルのこの景色はとても好きですので、見れなくなると思うと寂しいです」
「今回はここに3泊はする予定だからゆっくり楽しみなよ。あと、エヒトくんはこの先どうしたいのか決めないといけないね」
「…わかった。ちゃんと考えるよ」
「よろしい。じゃ、みんな一旦解散としようか。今日はもうすぐ日も落ち始めるだろうから夕飯も自由にとってくれていいよ」
みんなは何度か来たことがあるのか思い思いに荷物を持って散っていった。
さて、どうしようか。そう考えていると。
「なぁなぁ、エヒトはこの街初めてなんやろ?記憶が無いだけかもしれんけど。うち昔ここに暮らしよったから詳しいんよね。案内しよか?」
そういいながら声を掛けてきたのは初めてタクトゥスの面々と顔を合わせた昨日、リテと一緒に最初に声を掛けてきた女性だった。
「あ、えっと…」
「他人行儀にせんと普通に話してくれてええから。うちはレジェロ・カランド、レジェロって呼んでくれたらええよ」
「それじゃあ…あ、知ってると思うけど、エヒトだ。宜しく」
「うんうん。で?どうする?一緒に見て回ったるけど」
「折角だからお願いしようかな」
「かまんかまん!固くならんと楽しもか!ところで。そこでこっちを見とるアニマも一緒に回ったるけど、どうする?」
スッと後ろを振り返りながら竜車を見るレジェロ。
その声に反応して竜車からアニマが出てくる。
「べ、別に見ていたわけではないですよ。私は竜車の移動をしないといけませんので」
「ほーん。1人で4台全部動かすん?」
「それは…」
「そうや!おーい、だんちょ、そこにおるやろ?ちょっときてやー!」
今度はローゼンに声を掛けるレジェロ。
すると今度は別の竜車からローゼンが姿を表した。
「えーっと、な、何かな?レジェロさん。なんだか良くない気配を感じるんだけど」
「竜車、全部頼むわ!うちはこの子ら連れて散策してくるけん」
「ええ!全部!?一緒に手伝ってくれないのかい?」
「あんたやったら全部まとめて動かせるやろ?1台ずつバラけて動かすくらいやったらまとめてやってくれたらええやん」
「結構大変なんだよ、あれ…」
「…この間アニマが大事にとっとった菓子を、な?」
「は?」
「ああ!いや!はは、レジェロは仕方ないなぁ。そこまで頼まれたら仕方ない!竜車は任せてくれ!うん、すぐ行ってく…」
「団長、後程お話があります」
俺に剣を当てた時と変わらぬ声音でアニマはローゼンにそう語りかけた。
哀れ、ローゼン。良いやつだったな。
しょんぼりしながら竜車に戻っていくローゼンの背中は、悲しくも後程起こるであろう折檻に対する覚悟を決めた男の背中に見えたのだった。
「なはは、まったく。うちの頼みをすぐ承諾せんからこうなるんや」
「…なぜ私に隠していたんです?」
「えっ」
「あのお菓子を!私がどれだけ楽しみにしていたか!!」
「あの、アニマ…?」
「エヒトさんは黙っていてください!」
「いや、周りの人が見てるから…」
「あっ」
周囲の視線に気付いたアニマは少し顔を赤くしてサッと俯いた。
「とりあえずここから移動しようか。同じものは無くても何か美味しい…そう、甘いものでも案内してもらおう」
「分かりました…」
「よ、よっしゃ、お姉さんに着いてき!色々観光名所やら美味しいお店にも連れてったる!」
そこからは町の散策を楽しんだ。
美しい滝、その周りに咲く花々もとても綺麗だ。滝を創っている丘を登って眺めた町は、色取り取りの花の絨毯や陽を返す風車によりグラデーションが生まれている。
建物と自然、その調和がとれた景色に心が洗われるような感覚、忘れないだろうと思えるほどに美しい光景だった。
そうして色々な場所を回っているうちに日も傾き、夕焼けの中を3人で歩いていると夕飯をどうするかという話になった。
「おすすめのカフェがあるで。ちょっと歩くけど2人の宿は近いからそこにしよか。スイーツが人気のお店や」
「あのお店ですね…!」
目を輝かせながらアニマは雲を眺めていた。オレンジに染まった雲がスイーツにでも見えているのだろうか。
「そういえばレジェロはフローラルに住んでたって言ってたけどここの生まれなのか?相当町に詳しいけど」
「いんや、生まれは別のとこやで。ここに越して来たんは10年くらい前やな。といっても4年前タクトゥスに入る前までの6年しか住んどらんかったけど。あ、でも両親と妹がまだここに住んどるで」
「会いに行かなくていいのか?」
「会ったら発ちにくくなってまうからなぁ。最終日にちょっと会いに行こうかなとは思っとるよ」
「そっか。…そういえばレジェロは楽器隊なんだっけ?」
「なはは、そんな器用なことできんわ。うちは唄担当やな!」
「えっ!?じゃあパカタメンテで唄ってたのも?」
「そうやで。なんや、意外!みたいな顔して。舞台と雰囲気が違うてギャップに萌えるやろ」
「エヒトさんはまだ団員の半分くらいとしか面識が無いんでしたね。レジェロさんはノアを代表するまさに歌姫ですよ。私たちの演舞もそうですがレジェロさんの唄を聴きに来る方も多いんです」
さっきまでのポワンとした空気を取り払い、普段のキリッとした顔でアニマも会話に入ってきた。
「そうだったんだな…いや、意外とかじゃなくて普通に驚いただけだよ。アクラルネの唄、凄く良かったから」
「そういってもらえると嬉しいわー!やる気が出るってもんやな!」
「にしても舞台上と随分、こう、違うんだな」
この言葉は素直な感想だった。見た目だけではない。雰囲気もまるで違うのだから。
俺の言葉に一瞬疑問の顔を浮かべたあと、レジェロはアニマに尋ねた。
「もしかして技団の秘密、話しとらんのか?」
「団長が言っていると思ってましたが…」
「あちゃー。そうやな、知らんのやったら驚くのも無理無いわ」
「それって?」
内緒話やで、と付け軽く咳払いをしたあとにレジェロは少し抑えたトーンで話し始めた。
「うちらが舞台に上がっとる時はな、魔法で姿が変わっとるんよ。そう簡単には見抜けんようになっとるから、街の人からしたら神出鬼没って感じなんやろな」
「はー、そうだったのか」
「自分で言うのもなんやけどな、タクトゥスのメンバーってだけで見つかったら囲まれてまうからな。衛兵さんとか騎士さんは事情を知っとるからうちらも問題なく移動しとるけど」
「認識を歪める空間系の魔法を使用しているんですよ、団長が」
「…まじ?ローゼンって凄いんだな」
「凄いで。本人は否定するけどぶっちゃけありゃバケモンやな。空間を歪曲させる魔法を使いながら舞台上では別の魔法を使っとるんやから」
「同時に、ってことか…」
「そうや。ま、うちと同じで戦闘は得意じゃないみたいやけどな。基本闘いは踊り子4姉妹の担当やから」
「踊り子4姉妹?」
「あ、それはですね、私、リテ、フェローさん、ドルチェさん、この4人の総称なんです。世間ではそう呼ばれているようなので」
「そうや、4人は年も同じで仲がええから姉妹みたいやなーって言われとる。ま、普段は全然性格も違うからそんな感じはせんけど」
「はは、確かに4人ともバラバラの性格だと思うよ」
「リテなんて喋らんかったら真面目なおっとりお嬢さんにしか見えんからな。メガネも似合ってて可愛らしいわぁってな」
「ふふ、確かにレジェロさんはよくリテと一緒にいますよね。今日は良かったんですか?」
「あの子は妹みたいなもんやからなぁ。今日は眠いからってすぐ宿に向かっとったわ」
「そういうことですか。今頃ぐっすり寝ているんでしょうね」
「そうやな」
そんなやりとりをしながら歩いていると目的の店へ着いた。
お金がないから、とここで分かれようかと思ったが、ローゼンが俺の分もアニマに持たせているとのことでありがたく頂いた。
花の町を象徴するような、そういう綺麗な雰囲気のカフェだった。
「ところで、うちらは明日から2日間興行があるんやけどエヒトはどうするん?」
「特に団長からは…ちょっとお待ちください」
食後、店でゆったりおしゃべりをしていると不意にレジェロからそんな問いかけが来た。
アニマはポケットからU字に別れた金属の棒を取り出し、指でピーンと弾く。
「それは?」
「これは音叉、チューニングフォークという道具です。…明日明後日のエヒトさんの行動ですが自由にしていいとのことです」
「へえ、それで会話できるんだな」
「そんなものです。どうされます?」
「そうだな。明日はみんなの舞台を見て、明後日は記憶の手がかりがないか町を見て回ろうかな」
「わかりました。先日も言いましたが怪しい行動は敵対と判断しますので、そのおつもりで動くようにしてください」
「わかった」
少しピリッとした空気になり、緊張してしまう。レジェロがすかさず声をかけてくる。
「おぉなんや、仲良しかと思ったらまだ信頼してないん?」
「俺にも気持ちはわかるから、当然っちゃ当然じゃ?」
「いや、アニマが判断に迷うなんてことあるんやなって思っただけや」
「エヒトさんは素性がわかりませんので。ともかく、変なことをしなければ問題はありません。その辺りのことを考えながら動いてください」
「了解」
そんな話をしてすぐ店を出た。アニマは同じ宿とのことで一緒に向かう。
レジェロは別の宿だからと店の前で別れて去っていった。
宿へ向かう道中、アニマがぽつりと溢した言葉を俺は聞き逃さなかった。
「疑うことも疲れるんですよ…」
と。