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第二小節 - 姉

 断崖の喉笛の中はひんやりとしていた。辺りからは波の音と風によって生まれる笛のような音が響いている。

 しかし無造作な天然の、それこそただの海崖の裂け目というわけでもない。壁面にはスプレンドーレ同様の輝光石が埋め込まれ、足元には石畳が綺麗に整えられていた。


「どんな場所なんだろうな」

「本所はまだ先のようですね」

「断崖の喉笛に入るのは初めてだから楽しみだわ!」


 マルカートの活発な声は道の奥にこだましながら吸い込まれ消えていく。結構距離があるのかもしれない。

 しばらく進むと道は右方向へ曲がり始める。


「こんな場所で子どもを生んだのか?」

「ええ。しかしなかなか大変な場所を選んだものです」

「聖域なんてそんなものじゃないかしら?色んな場所があるしもっと過酷な環境もあるわよね!」

「俺たちはそれを回らないといけないのか…」

「先を思うと大変です。原初の泉を考慮すれば3箇所目ですからね。あと6箇所ありますよ」

「一気に回れたら良いのにな」

「随分情緒の無いことを言うじゃない!あなたたちは今は新婚夫婦なのだからちゃんと回らないとだめよ!」

「ふりだけどな」

「ふりですね」


 そんな雑談をしながら進んでいくと見覚えのある光が目に入る。慈愛の大滝で見た光のカーテンだ。


「さて、俺とアニマは問題なく通れると思うけどルカはどうだろうな?」

「ちゃんと機械で登録したじゃない!」

「あれがどういう仕組みでこのカーテンもどういう仕組みか分からないですからね。もしかするとマルカートだけ…」

「きー!なんで二人揃って意地悪を言うのかしらね!そんなに言うなら私から行くわ!」


 そう言ってマルカートは光のカーテンに手を掛けそのままするりと抜けていく。


「ほらご覧なさい!楽勝よ!」


 どや顔でこちらを見るマルカートに続き俺たちも通り抜ける。本当に機能しているか疑わしいな、などとぼやくとマルカートも同意のようだ。アニマだけは苦笑いを浮かべていた。


 そうして光のカーテンを抜け海崖の裂け目を歩くことしばらく、奥に光が見えてきた。どうやら断崖の喉笛は半円のような道になっており反対側は海に通じているようだ。


「あそこですね」

「夕日が綺麗な聖域とは聞いてたけど残念ね!どの方角を向いているかはアルマ次第というところかしら」

「どっちにしてもここで日暮れを待つ余裕はないからな。また来る機会があれば夕日を見にこよう」


 聖域の本所はドームのようになっていた。奥には台座のような場所があり、その後ろからは海が望める。


「あの台座で慈愛の大滝のように水神(すいじん)鏡心(きょうしん)を掲げて頂ければ大丈夫かと」

「わかった、行ってくる」

「楽しみだわ…!」


 あくまで業務的なアニマとは対照的にマルカートは目をキラキラさせて落ち着かないようだ。

 俺は外していたイヤリングを取り出し右手に軽く握る。そして台座に上がり慈愛の大滝と同じく目を閉じその手を掲げた。

 次第に波の音と聖域内に響く笛の音が鮮明になり右手に魔力が滾るような感覚が襲ってくる。目を開けると緑色に輝く光が右手から溢れていた。そして魔力を吸収するイメージで手の甲を意識する。徐々に光は収まり体に吸い込まれていく。

 完全にそれが終息し、後ろを振り返ると笑顔のアニマと呆けた顔のマルカートがいた。


「無事終わったかな?」

「はい、これで2つ目ですね。あと7つとなります」

「…ルカはどうしたんだ?」

「あら?マルカート?どうしたんですか?」


 目の前を手でふりふりとしても瞬きをするのみで言葉は返ってこなかったが、すぐにギギギとこちらに首を向け口をもごもごさせている。


「なんだって?」

「本物ということよね…?」

「前からそう言ってるだろ」

「ああ、私はなんてことを…」


 くらくらとマルカートは地面に崩れ落ちそうになり寸での所でアニマが腕を掴みそっと座らせる。


「私も気持ちは分かりますがこればかりは受け入れるしかないですね」

「エヒトがまさか本当にアクラルネ様だったなんて…水神の鏡心も儀式も、どちらも初めて見たけどあの厳かで強烈な魔力は信じるしかないわね…」

「ちょっと休んでいくか…?」

「そうしてもらえると助かるわ…」


 マルカートを気遣い俺とアニマもその場に腰を降ろす。アクラルネ教徒の彼女からしたら確かに畏ろしい事なのかもしれない。だがどうにも降って湧いたようなこの状況を自分の中で消化できていないのだ。俺に自覚がないのも仕方がない。


「はぁ…全く信じていなかったわけではないわ。でもこの目で真実を見るとそれもまた不思議ね」

「それはそうですよ。私も同じ気持ちでしたから」

「そうなのか?リゾルートさんたちはびっくりしていたようだけどアニマはそう見えなかったけどな」

「アクラルネ様の儀式を目の前で見た一般人は私たちだけだと思いますよ」

「そうよ!アクラルネ様が外海に誘拐されてもう100年以上経っているのよ!?見たことのある人間はもういないわよ!」

「お、おう。それもそうだな」


 マルカートの圧に気圧されたじたじとなってしまう。確かに二人の言う通り、恐らくアルマでアクラルネの儀式を見たものはいないはず。水神の鏡心は俺が持っているし…他の手段があるかは分からないが。


 3人でそんな話をしているとアニマが突然来た道を振り返る。


「どうした?」

「…誰かが来ます」


 俺は気付かなかったがアニマが言うのだから何者かが来ているのだろう。マルカートの腕を引っ張って起こし、俺たちは台座の裏へと隠れ外套を羽織った。

 数分後、陰から様子を伺っていたアニマが口元に人差し指を当て静かにするように、とジェスチャーをしてくる。

 俺もそっと覗いてみるとそこにいたのは騎士団の面々だった。武装した5人が話をしながら歩いてきている。

 聴魔力を使い話を聞いてみると。


「ここにもいなくないですかぁ?」

「マルカート氏が入域してまだここを出ていないことは分かっている。探すぞ」

「へいへい。…ん?隊長どうしたんですかぁ?」

「…いや、先日来た時と雰囲気が違わない?って」

「んん?…確かに言い表せない違和感がありますねぇ」

「なんだろう、分からないけど…何かが違うんだよね…」


 騎士の小隊は聖域の本所、ドームに入り立ち止まった。聖域に入ったマルカートを探している様子だ。

 アニマに肩を叩かれ振り返ると手で台座の裏手にある裂け目を指差している。なるほど、夕陽が顔を出すという裂け目から逃げる算段か。

 マルカートも隣で頷いている。俺たちが騎士団から逃げないといけないことは理解しているからだ。慎重に音を立てないよう俺たちは屈みながら歩き出した。


「隠れる場所なんてありやすかねぇ」

「ここに来るまでの一本道にもいなかった。可能性があるなら細い分かれ道に誤って進んだか、あとは…」

「わざわざ石畳をここまでご丁寧に敷いて分かりやすくしてるのにぃ?それはないだろぉ」

「…あとはここにいるか、ね」


 騎士達の会話を盗み聞きながら高鳴る心臓を必死に抑えるよう慎重に歩を進める。もう少しで裂け目を降りられる。


「みんなは中の捜索をお願いしても良い?私は入り口の方に戻って出てこないか待ってみるから」

「了解でぇす」

「承知しました。…まず御神台(ごしんだい)の裏から確認するぞ」


 そんな会話が耳に入る。急がなくてはならない。

 既にマルカートとアニマは裂け目から外に出ている。徐々に迫ってくる足音に緊張しながら俺も急いで聖域の本所から抜け出した。

 裂け目から外に出ると足元には波が押し寄せてくる。狭い足場から落ちないように注意を払い右方向へ体を寄せる。奥にはアニマ、マルカートと続いている。

 波の音と迫ってくる騎士の足音を耳に俺たちは息を殺しじっと止まった。


「ここにはいねぇなぁ」


 一人の騎士の声がすぐ間近から聞こえる。いま台座の裏を確認しているところだろう。

 そちらに集中していると隣のアニマが俺の肩をトントンと叩いた。振り向くとマルカートが更に奥に向かって進み、足1つ分の狭い岩礁を器用に歩いている。

 アニマは俺にその様子を見せたあとマルカートに続いていく。ここから抜けられるのかもしれないと、俺もそれに倣う。

 

 岩礁を海に落ちないよう慎重に進んでいくと徐々に足場は広がっていき、2人が横に並べるほどの広さになってきた。更に奥には広いスペースが見える。ひとまずそこを目指して俺たちは進み続けた。


「なんとかなったわね!」

「もうダメかと思ったよ。なんで騎士がここに来たんだ?」

「会話から察するにマルカートを探していたようですが…」

「感傷に浸っていたのに無粋よね!何も悪いことはしていないのに!」


 ルカはな、とは言わないでおこう。


「でもなぜ来たのかは本当に分かりませんね。聖域の浄化は既に終わっていると聞いていましたし、事実聖域内では魔物に遭遇しませんでした」

「私を探すためだけに来たのよ!」

「ルカを?なんで?」

「言ってなかったかしら?私の姉が騎士団の大隊長をしているのよ。いま断崖の喉笛に来るのはその部隊のはずね!」

「聞いてない、よな?」

「初耳ですね」

「あまり考えないようにしていたからかしら?失念していたようね」

「で?なんでルカが姉に追われるんだ?」

「大喧嘩をして家を飛び出したのよ!私を探していると以前騎士がぼやいていたわね!」

「大喧嘩って…まぁそれでお姉さんがルカを探してここまで来たってことか?」

「昔から考えが合わないのよ、鳥肌が立つくらいに…だから世界一嫌いな人だわ」

「私とエヒトさんも大手を振って騎士に会える立場じゃないですし、ひとまず逃げたのは正解ですね。断崖の喉笛での用事はもう終わりましたのでアモールへ向かいますか?」

「そうしよう。ただこれを登るのはな…」


 背にそびえ立つ崖を示す。現実的ではないですね、とアニマが続く。


「もう少し進んだら正面に出られるんじゃないかしら?」

「騎士に見つからないかが心配だな…」

「まだ中にいるのだから急げば大丈夫よ!きっと!」

「…そうだな、悩んでる時間も惜しい。行こう」


 改めて広い空き地を歩き始めたその時だった。俺たちの頭上に大きな影が落ちる。眩しさを感じながら頭上を見るとそこには巨大な鳥がいた。


「ヴァルサ…!?にしてはでかすぎないかしら!?」


 マルカートはその姿を見て憎々しげに呟く。怪鳥は大きく嘶き俺たちを捕らえんとしているようだ。


「これはまずいですね…慈愛の大滝で遭遇したマハマリサルパと同様の力を感じます」

「聖域の魔力を外から取り込んでいたのか…!」

「来たわよ!」


 ヴァルサと呼ばれたその怪鳥は巨大な翼を羽ばたかせ、風属性の魔力を纏い地面の草を刈りながら突撃してくる。それぞれが回避に専念し初撃をいなす。若干当たったようで左腕から血がポタポタと流れ落ちる。

 それが面白いのか再度大きく嘶き、また翼に魔力を込めている。先程の攻撃が来る。


「やられっぱなしじゃいられないわね!マーリヌホース!」


 マルカートは取り出したハルバードを掲げ魔法を発動する。途端にヴァルサの高度が一段落ち翼の動きも緩やかになる。


「今よ!」


 その声が聞こえる頃には俺とアニマは駆け出していた。一気に接近しアニマは剣で翼を切り付ける。俺もそれに追従するように跳躍し反対の翼へ足を振り下ろす。

 しかし。


「前もそうだったが固すぎないか!?」

「やはり普通の魔物ではないですね!」


 俺たちの与えた攻撃はまるで何も効かない。どうしたらいい、何か策はないのか。

 そんなことを考える暇も与えてくれず、地に降り立ったヴァルサは今度は魔法を使い始める。翼から風の刃が放たれ、それは俺たちの命を狩り取る凶刃となり迫る。

 その光景を見た瞬間、頭の中に過去の記憶が流れ込んできた。


---


『エヒト、あれが今回のターゲットだ。厄介なことに魔法も使うし纏魔力による強力な突撃もしてくる』

『戦えとは言いませんよね…?』

『私も鬼ではない。対処法を教えよう』

『…鬼でしょうが…』

『何か言ったか?』

『いえ!それで、どのように対処するのですか?』

『まずは…』


---


 一気に脳内を師の言葉が反芻し埋め尽くす。無茶苦茶なやり方だ、"風属性の魔力をぶつけて相殺しろ"とは。

 俺は右手に風が集まるイメージを始める。属性系の魔力を扱うのはアルマに来て初めてだ。使えないと思っていた、使ったことはないと思っていた。

 しかし体は否定する。あの過去のように、教えられていた師の背中を思い出し重ねるように、俺は右の拳に魔力を纏い迫りくる風の刃に向けて叩きつける。


風魔拳剛打(ふうまけんごうだ)!」

 

 双方向の魔力が衝突し霧散する。左手にも魔力を込め一気にヴァルサに接近し乱暴に殴り付けた。


「すごい…」


 後ろから誰かの、そんな声が聞こえた瞬間、ヴァルサは空へと羽ばたいた。マルカートの魔法の効果が切れたのだろう。先ほどの俺の攻撃もやつの固さの前には意味を成しているようには見えず、ただただ怒りに火を付けてしまったように思えてしまう。

 羽ばたいたヴァルサはすぐ真下にいた俺に向かって突撃してきた。上手く躱すことができず直撃してしまい、後方へと弾き飛ばされてしまう。

 すぐに体勢を立て直し追撃に備えようとしたところで後方から声が響く。


「そこで何をしているの!」


 全員の視線が一瞬そちらへ向く。そこにいたのは女性の騎士。恐らく正面へ回り出てこないかを確認すると、先ほど聖域でそう言っていた人物だろう。


「姉さん…」


 マルカートから呟きが漏れそれが例の姉であると分かる。しかし目の前の魔物が待ってくれることはない。隙と見たヴァルサは再度風属性の魔法を放ってくる。

 改めて魔力を拳に纏い相殺させる。そのタイミングでマルカートの姉は俺たちの元へとたどり着いた。


「こいつテラリア個体じゃない!どおりで…」


 何かを考えるような様子のマルカートの姉は背負っていた大きな剣を持ち相対する。


「ルカ、やっと見付けたわ。これが終わったら話があるからそこで待って…」


 怒気を孕んだかのような視線でマルカートを一瞥し、そんな言葉を投げ掛けてくる。しかしマルカートは最後まで聞くことはなく。


「二人とも逃げるわよ!あとは任せておけば大丈夫!急いで!」

 

 そう言って後方へと走り出した。

 突然の出来事に状況を整理しきれていないが、それに続くようにアニマと俺はマルカートを追いかける。


「え!嘘でしょ!?私一人に押し付けてあなたたち逃げるの!?」


 悲痛な声が背中に届く。が、もう足を止めている場合ではない。既に戦線から離脱した俺たちはそのまま振り返ることもなくマルカートの姉が現れた方向へと駆け抜ける。

 しばらく走ると断崖の喉笛の入り口に当たる場所が目に入るが、それも無視して俺たちはひたすら逃げ続け街道に出た。


---

  

 マルカートに置いていかれないよう街道を走り、森に入った所で足は止まった。


「はぁはぁ…なんとか逃げきれたわね…!」

「と、とりあえずなんとかなったけど、お姉さんを一人にして大丈夫なのかよ…」

「ああ見えて姉は弱くないから多分問題ないわ!」

「ひとまずここからは歩きましょう…とても疲れました…」


 アニマの提案を承諾し俺たちは森の中に続く街道を進む。


「で、なんで逃げたんだ?」

「あなたたちのためよ!騎士に見つかったら困るでしょう?」

「それはそうだけど姉だろ…?」

「私の姉は私以上にアクラルネ教に心酔している、これで分かるかしら」

「よくわかったよ」

「…私の所見ではエヒトさんや私を認識しているようには見えませんでしたが…」

「私と魔物の事しか見えてなかったわね!」

「何があったら自分の姉にあんな目で見られるんだ?すごい怒ってる様子だったけど」

「…落ち着ける所まで行ったら話すわ。大したことではないけど」


 そういって少し肩を落としマルカートは口を噤んだ。

 

「しばらく行けばタクトゥスでも使用していた夜営地があります。ゆっくり話せる静かなところもあるのでそこを目指しましょう」


 そんなアニマの提案を受け再度森を進む。

 

 休むことなく街道を歩き続け、何度かの魔物との戦闘もありつつ俺たちは件の夜営地へ着いた。そこから海の方へ歩いていくと開けた場所に出る。

 ここがアニマの言っていたゆっくり話せる場所のようだ。腰を下ろした俺たちに吹く潮風が気持ちよく、傾き始めた陽の光も温かい。確かに落ち着く良い場所だ。


「さて、何から話そうかしらね」

「話しやすいことから、自分のペースでいいぞ」

「そうね…時間はあるのだしあなたたちと出会うまでの話をしましょうかしら」


 そうしてマルカートは自身の過去を話し始めるのだった。

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