第77話 神の領域に足を踏み入れし者
なにこれ……え? この海どうなってるの? 海水の壁なの?
それともこの船が沈んでるの?
ファンタジーにもほどがある。
これは航路どうなってる?
なんでこうなった?
わたしが強制力から脱出するため、このサザランディア大陸に向かった時――こんな海の状態になったことなんかないよ!?
深呼吸してぐるっと本当にその場でくるくると、360度に囲ってる海の壁を見るため、わたしはゆっくりターンをする。
うん、怖くない。
ドキドキしてるけど、怖くない。
予感がする。
近くに来てくれてる。
「お嬢様! 船室にお戻りください!」
専属メイドさんの後ろから、筆頭執事さんが甲板にあがってわたしの腕を引っ張る。
「離して!」
筆頭執事の腕を振り払う。
ちょうどマストの先端が別の段差の海になってるみたい。徐々に、海水の壁が船への距離を詰めてきてる。
海水の壁……魚が見える……なんだろ、転生前の水族館を見てるみたいな感じ。
上空を見上げてみると、段差の上の方がほんとの海なのかな? 船が行き交ってる感じがする。
海の透明度があるから、数十隻の船底が見えるのだ。
……すごい。
「さーん――! アリスおねーさーん―――!」
この声はメルツちゃん!?
天使の声とはこのことか?
わたしの乗っている船の上の方から聞こえてくる。
「メルツちゃん――!! メルツちゃんなの!? メルツちゃんどこー!?」
わたしが声の限り叫ぶと、上空から人影が見える。
太陽の逆光だったけど、シルエットだけでもわかる。
ルイスさんがメルツちゃんを片腕抱っこしてふわりと舞い降りてきた。
「メルツちゃん! ルイスさん!」
「アリスおねーさん!」
あと数メートルで甲板につくのに、メルツちゃんは待ちきれなくて、ルイスさんの腕から、わたしが伸ばした腕の中に飛び込んできた。
「よかった! アリスおねーさんに会えた! よかった! やっぱりルイスせんせーはすごーい!」
メルツちゃんは無邪気に喜んで甲板に降り立ったルイスさんに振り返る。
ルイスさんだよね? 瞳の色が金色になっちゃってるけど、魔法発動中だとそうなるのか。
でもわたしを見る瞳は優しい。
「ルイスさん!」
「迎えに来たよ、アリス」
はわー! こんな乙女のピンチに助けに来てくれるなんて、惚れてまうやろ――!
さすがサザランディア大陸一の大魔法使い様だ!!
メルツちゃんを抱っこしたまま、わたしは差し伸べられたルイスさんの手を掴む。
「何もされなかった?」
「うん」
「よかった」
ルイスさんはメルツちゃんを抱っこしたままのわたしごと抱きしめる。
はわ、ルイスさんからハグとか、あったか!? いやない!
でもなんだろうか、この安心感は。わたしのいるべき場所は、ここでいいんだよというこの安心感は。
「お嬢様!」
お嬢様でもなんでもないでしょ、勝手に金と権力で叔父さんをダンジョンに放り込んで、養子縁組しただけじゃないですか。
「公文書偽造での養子縁組なのは叔父から聞いてますけど?」
「お嬢様はエスカトリア神聖国に聖女として招聘されてるのですよ!?」
それ、公爵家が勝手にエスカトリアに話をつけたんでしょ?
「彼女はコーデラインズ大陸には戻らない。貴様の主にそう伝えるがいい」
ルイスさんがぞっとするような冷えた声でそう言った。
静かなのに、声が通る。魔法発動中はそうなるのか。
わたしはルイスさんを見上げる。
無理かもしれないけれど、鑑定してみた。
ところどころ――好感度とか魔力量とかのパラメーターは見えなかったけど。
見える部分もあって、ぞっとした。
見えた部分は称号だ。
この人の称号……とんでもねー!
「アリスは僕とメルツと共にくらしてる僕の家族だ。どこぞの国の公爵家だろうが、アリスには指一本も触れさせない」
「な! それじゃ聖女ではなくなったと!? 純潔じゃないと!?」
筆頭執事さん……わたしは最初から元聖女です。
けど、今世はまだ純潔の乙女です。
神聖国へ行く聖女だから処女性とかやっぱ普通の貴族よりも重要なんだろうか。
余計なことは言わない。うん。そう思わせておこう。
「やはり平民あがりの小娘、男をたらし込むのだけは早いのね……」
筆頭執事さんが叫んだ後に、専属メイドさんのわたしへのディス。
だから貴女が行ってくださいよ、エスカトリア神聖国に、神聖魔法が使えなくても公爵家の肝いりならできるんじゃないでしょうか? 貴女が純潔の乙女かどうかは 知らんけど。
「僕を倒さない限り、アリスに干渉できないと思え。それでも諦めず向かうなら、大陸間大戦を覚悟しろ」
ですよね。
公爵家の私兵ごときじゃ無理でしょ。
というか前にいた国あげても無理でしょ。
この人、千年ダンジョンメルクーア大迷宮踏破者だよ。
さっきちらっと見えた称号の羅列だけで、ガクブルよ?
サザンランディア大陸一の大魔法使い。
メルクーア大迷宮初踏破者。
ここまではいい。ここまで通常。そのあとよ。
メルクーア大迷宮の支配者。
支配者って……っていうのがね。言葉強くない?
でもそれだけじゃないんだわ。
最後のがよくない。よくないというか、どうしてそうなった……な称号があるんだよ。
ルイスさんの称号の最後にあったのは……。
――神の領域に足を踏み入れし者。
これをメルツちゃんに言ったら純粋に「わー! すごーい」とか言うんだろうけど……。
でも、ルイスさんのことを怖いとかは思わなかった。
わたしが筆頭執事さんの立ち位置だったら失神ものだったかもしれないけど。
メルツちゃんをわたしの腕から自分の左腕に抱き上げて、右手でわたしの腰を引き寄せる。
「アリスおねーさん、かえろー!」
ルイスさんの腕の中でメルツちゃんは無邪気にそういう。
「うん! 帰ろう!」
わたしも元気よく答えると、ルイスさんはわたしたちを腕に抱えて、ふわあっと空中に浮き上げる。
ルイスさんとメルツちゃんが乗ってきたと思われる船の甲板にたどり着く。
ここから見ると、公爵家の船が海の落とし穴に嵌ったように見えた。海にそんなものはないんだけど、これは多分ルイスさんが魔法でやったんだろうけど。
「さて、もういいかな」
ルイスさんがそういうと、ぽっかり空いた海の落とし穴がゆっくりと埋まっていく。
わたしがあわわという表情をしていたのでルイスさんは「大丈夫」というように手のひらでぽんぽんとわたしの背を軽くたたく。
船は沈んでいくけど、人影だけが浮き上がってくる。
「引き上げ要員はつれてきてるから、あとは任せよう」
わたしたちが乗っている船の周りを廻船していたのは、サンクレル警備隊の船だった。
サンクレルの警備隊が引き上げてくれるんだろう。
誘拐だもんね。おまわりさーん、後はよろしくお願いしまーす。




