【短編】「二十歳になってお互いに恋人がいなかったら~」と言い合って本当に恋人ができないまま二十歳を迎えた俺と幼馴染。
「2組の木島くんと梨山さん、付き合ったらしいよ」
あれは確か、小学6年生の時の帰り道。
並んで歩いている時に、有栖がそんな話を持ち出したんだ。
「ふう~ん」
興味なさげな俺の反応に、有栖はむっとした表情を浮かべた。
そしてやや皮肉めいた口調で言った。
「まあ、彰斗には一生彼女なんてできないだろうけど」
「ああ?」
「だって背も低いし、頭も悪いし」
「うるさいな。有栖だってその性格じゃ、一生彼氏なんてできないぞ」
「はあ? 余計なお世話すぎうるさすぎ」
しばらく立ち止まって「むむむむぅ」とにらみ合った後、俺は再び歩き始めながら言った。
「もし大人――そうだな、二十歳になっても有栖に彼氏がいなかったら、かわいそうだから俺が彼氏になってあげるよ」
「本当に余計なお世話なんですけど。まあ? きっと彰斗は二十歳になっても彼女なんていないだろうから? その時は私がかわいそうな彰斗くんの彼女になってあげなくもないけど」
思春期に差し掛かったあの時期。
俺たちはあまりに不器用だった。
微塵も素直になれなかった。
ただ一つ言えるのは、俺は間違いなく、ランドセルを背負って憎たらしい笑みを浮かべる彼女のことが、大好きだったんだ。
※ ※ ※ ※
ベッドでスマホを触りながらうつらうつらしていたところに、電話がかかってくる。
大学生になり、ひとり暮らしを始めたアパートの一室。
当然、家の中には俺以外に誰もいない。
「もしもし」
相手を確かめてから出ると、電話の向こうからは飽きるほどに聞き馴染んだ声が聞こえてきた。
「起きてたんだ」
「だいぶ寝そうだったけどな」
「ほんと、夜に弱いよね」
そうは言いつつ、電話の向こうの相手――有栖もまた、ちょっと眠そうな声をしている。
「日付が変わりましたよ」
有栖に言われて部屋の時計を見ると、0時1分を指している。
日付が変わって今日は1月20日だ。
「ハッピーバースデー、彰斗」
今日は俺の誕生日。
俺が二十歳になる日。
そして――
「ハッピーバースデー、有栖」
有栖の誕生日でもある。
運命が何を思ってこんないたずらを仕掛けたのか知らないが、俺と有栖の誕生日は同じ日なのだ。
俺たちは2人同時に、二十歳になる。
十八歳で成人だとか何だとか細かいことはあるけれど、やっぱり二十歳というのが一つの区切りになるような、そんな気が個人的にはする。
二十歳。大人。
今日は俺たちが大人になる日だ。
「お酒が飲める年齢になったねぇ」
「そうだなぁ」
眠そうな気の抜けた声で、俺たちは砕けた調子の会話を交わす。
「飲みに行こうよ。二十歳にかんぱ~いって」
「今からか?」
「いや、さすがに無理すぎ。眠いし風呂入って化粧もしてないし。今日の夜ってこと」
「いいよ」
2人とも親元をすでに離れているし、わざわざ実家に帰って誕生日パーティーだなんて雰囲気でもない。
誕生日ながらも、今日の夜の予定は空白のままだった。
「じゃあまた夜」
「ああ。行けそうな時間決まったら、連絡するわ」
「はーい。ハピバのおやすみ」
「何だよその挨拶……ハピバのおやすみ」
電話が切れる。
俺は部屋の電気を消すと、スマホを充電器に繋いでベッドにもぐりこんだ。
――結局、二十歳までお互いにひとりも恋人なんてできなかったな。
そんな思考と共に、俺はゆったりと眠りに落ちていったのだった。
※ ※ ※ ※
「なんか、ちょっとドキドキするね」
居酒屋のメニューを広げながら、向かいに座る有栖が言う。
時刻は午後七時。
駅で待ち合わせをした俺たちは、午前中のうちに予約しておいた店に入っていた。
「ドキドキね……俺と2人きりってことに?」
「は、うるさいんだけど。何年一緒にいると思ってるの」
「二十年だな」
――俺はちょっとドキドキしてるけどな。
……とは、さすがに言わない。
ただ、いつも有栖と2人で出かける時より少し緊張しているのは事実だ。
胸に引っかかっているのは、小学生の時に交わしたあの会話。
「お互いに二十歳になって恋人がいなかったら」
有栖が今もまだこの会話を覚えているかは、正直分からない。
でもこの会話が、十数年来、俺の気持ちに不可解なストップをかけるブレーキになっていたことは間違いない。
あえてはっきり言うなら、俺は結局のところ、小学生の時も、そして今も、目の前にいる幼馴染の佐々木有栖が好きなのだ。
「で、何にドキドキしてるんだ?」
ぐるぐると回り出しそうになった思考を制止して、俺は有栖に尋ねる。
彼女はドリンクメニューを眺め、それからこちらに視線を上げて言った。
「だってお酒を頼むんだよ、お酒を」
「そりゃ、それが目的で来てるからな」
「でもさ、やっぱドキドキするじゃん。何か悪いことしてる気分」
「二十歳になったんだから、悪いも何も堂々としてればいいでしょ」
「そういうことじゃないの。全く、相変わらず雰囲気が分かってないな」
そう言いながら、有栖は俺の方にドリンクメニューを差し出した。
何を飲むか選べということらしい。
「有栖は何にした?」
「やっぱり最初はビール、飲んでみようかなって」
「やっぱそうだよな。俺もビールにする」
「オッケー。料理は唐揚げと卵焼きと韓国サラダを頼みたいんだけど……」
「取りあえずそれでいいんじゃないか? 足りなくなったら、後から追加すればいいし」
「了解であります」
有栖はおどけた風に敬礼すると、店員さんを呼んで注文を済ませた。
ほどなくして、ジョッキが2つ運ばれてくる。
俺も、有栖も、当然ながら初めてのビール。
ジョッキを持つと、目を合わせて頷き合う。
そして互いのジョッキをこつんとぶつけた。
「改めて誕生日おめでとう。ハピバのかんぱ~い」
「お互いにおめでとうだな。ハピバのかんぱ~い」
ジョッキ同士を離して、2人とも一度白い泡と見つめ合う。
それから意を決したように、ドラマやアニメの、あるいは親たちの真似をしてゴッゴッゴッとビールを流し込んだ。
なるほど、これがビールか。
爽快なのど越し、大人の苦み、美味しい。
……なーんて、ことはなく。
「ゲッホゲホゲホ……!」
「にがっ! 何これ!」
2人とも盛大にむせて顔をしかめた。
「これが……大人ってこと……!?」
「やばい……大人ってこんなに苦いのか……」
よく分からないことを言いつつ、俺たちは恐る恐るもう一度ジョッキに口をつける。
今度は慎重に、ちょびっとビールを口に含んで流し込んだ。
そして声をそろえる。
「「やっぱ苦い!」」
観念したようにジョッキを置くと、有栖は何かを思い出したようにぽんっと手を打った。
「あ、そうだそうだ」
「どうした?」
「えーっと、ちょっと待ってね」
そう言って彼女は、がさごそと何かをカバンから取り出す。
両手で丁寧に持って差し出してくれたそれは、きれいにラッピングされたプレゼントだった。
「はい、誕生日プレゼント」
「わお、ありがとう」
俺は笑顔で受け取ると、慎重にラッピングを外す。
中に入っていた箱に描かれていたのは、ウィンタースポーツグッズの人気ブランドのロゴだった。
「年末にスノボのゴーグルが壊れちゃって、新しいの買わなきゃって言ってたでしょ? だから誕生日プレゼント、それにしたよ」
「ありがとう……大事に使うわ」
「うん」
俺は中身を確認して、もう一度きれいにプレゼントを包み直す。
それから自分のカバンにしまって、入れ違いに今度は俺が持ってきた箱を取り出した。
「俺からも。誕生日プレゼント」
「ありがとう……開けていい?」
「もちろん」
有栖は嬉しそうに箱を受け取ると、中身を取り出した。
入っているのは、かわいらしい一通の封筒だ。
「軽いし薄い……なんだろ……」
不思議そうな顔をしながら、有栖は封筒を開ける。
そして中身を見た瞬間、その顔がぱっと輝いた。
「これ! 嘘でしょ!? 取れたの!?」
俺からのプレゼントは、有栖が子供のころからずっと大好きなピアニストのコンサートチケットだ。
抽選販売はとんでもない倍率になるのだが、一縷の望みをかけて申し込んだところ当選したのである。
「1枚……だけ?」
「いや、2枚取れた。もう1枚は俺が持ってる」
「そっかぁ……」
有栖はチケットを見て、すごく嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなってくる。
あの憎たらしい笑顔を、今目の前にある純粋な笑顔も、どちらもかわいいと思ってしまう。
俺はやっぱり彼女のことが好きだと、再認識できる。
「お待たせしました〜」
暖かな空気に割って入るように、注文した料理が運ばれてきた。
「汚れちゃいけないから、しまっとくね」
「おう。なくすなよ」
有栖は大事そうにチケットをしまって、俺の方を見る。
そしてにっこり笑って言った。
「本当にありがとう」
「こちらこそ。ありがとう」
「食べようか」
「だな」
かくして、プレゼントを贈り贈られ暖かな気持ちを抱えたまま、二十歳の宴が始まったのだった。
※ ※ ※ ※
「う~寒い」
「冬本番だからな」
居酒屋を出た俺たちは、駅までやや人通りの少ない道を並んで歩いていた。
お互いにビールの苦さにはやられたものの、お酒には強い方だったらしく、程よい酔い方をしている。
どちらも酒癖に難ありとかじゃなくて、一安心だ。
「ていうかさ」
隣を歩く有栖が、不意に俺の顔を見上げて言った。
「ほんと、いつの間にか身長伸びたよね」
高校生になるまで、俺はどちらかといえば低身長な方だった。
有栖が高めだったこともあり、彼女のほうが背が高い時期が長かったのだ。
それが今となっては、15cmほど俺のほうが高くなっている。
「いつか言われたよな。俺は背が低くて、頭も悪いから彼女できないなんてこと」
あの時だ。
あの会話を交わした時に、有栖がそう言った。
果たして彼女は、あの時のことを覚えているんだろうか。
「悪かったって。いつの間にか高身長になっちゃって、しかも勉強も頑張っちゃってさ」
勉強は頑張った。
有栖の言う通り苦手だったけれど、彼女と同じ高校に行きたいその一心で頑張った。
その結果、俺たちは幼稚園から高校卒業まで、同じ場所に通うことになった。
高校卒業後は、それぞれに目指す将来の仕事が違ったために、進路は分かれたけれど。
「ていうか、その時の会話覚えてたんだ」
少し小さな声で、有栖が呟く。
つまりそれは、有栖もまた、あの時の会話を覚えているということだ。
「恋人、できなかったな」
「まあ、私はできたけどね」
「嘘つけ」
「失礼な。嘘だけど」
ずっと一緒にいた。
だから知ってる。
お互いに今の今まで、ひとりも恋人ができなかったことを。
そして何よりも、自分が1番知ってる。
俺に恋人ができなかった、いや、作らなかった理由は……有栖だ。
「あのさ」
「うん」
俺はゆっくりと、慎重に言葉を選びながら口を開く。
言い方はいくらでもある。
“二十歳になって彼氏できなかったみたいだし? かわいそうだから彼氏になったあげてもいいよ?”
そんな言い方だってある。
でもそれじゃ、小学6年生の不器用で素直になれない子供のまま何も変わっていない。
背が伸びた。
勉強を頑張って知識も増えた。
ビールの苦さも知った。克服はできてないけど。
二十歳になった。
形だけでも大人になった。
それなら、あの時の子供な自分を繰り返してちゃだめだ。
「二十歳になったから……とかそういうのは、一旦置いといて」
「置いとくんだ」
「ああ、置いといて」
あの会話があって、今日、二十歳になって。
それがきっかけになっていることは間違いない。
でも、今はそれを抜きにして、とにかく俺の気持ちを伝えたかった。
「ずっとずっと前から、今も、もちろん。俺はやっぱり有栖のことが好きだわ。今まで素直になれなかったし、勇気もなくて伝えられなかったけど、ちゃんと大好きです」
まっすぐに有栖の目を見て伝える。
怖くないわけじゃない。
照れくさくないわけがない。
でも絶対に彼女の黒い瞳から目は逸らさないと決めていた。
寒さで少し赤くなった有栖の頬が、少しの間を置いてふっと緩む。
「なんかなぁ……先に言われちゃうと、彰斗が先に大人になった気がして負けた気になる」
「ええ……」
「冗談だよ。一緒の誕生日、一緒に大人になるんだから、私もちゃんとする」
もしかしたら、有栖の頬の赤らみは寒さのせいだけでは無いかもしれない。
さっきより少し、色が増した気がする。
「ずっと一緒にいて、ずっと好きだったよ。でも、いつ伝えたらいいか分からなくなって、心のどこかで二十歳を待っていたような気がする」
たぶんそれは、俺も一緒だ。
「彰斗が先に好きって言ってくれたからさ、これは私から言わせて」
有栖は15cm下から、まっすぐに俺のことを見つめて言った。
「私の“初めての”恋人は、彰斗がいい。“最後の”恋人も彰斗がいい。私と付き合ってください」
断る理由なんて、二十年前から存在してない。
「俺も、最初で最後の恋人は有栖がいい。よろしくお願いします」
有栖が今日一番の、コンサートチケットをプレゼントした時以上の、幸せそうな笑顔を浮かべる。
そして彼女は、両手を置きく広げた。
来い、ということだろう。
「……っ」
俺は有栖に一歩近づいて、そっとその体を抱き締めた。
冬の寒さはどこへやら。
柔らかな温もりが、2人の身体を包んでいく。
有栖の頭はちょうど、俺の肩にきれいに収まった。
「ふふっ」
耳元で、有栖が楽し気な声を漏らす。
そして言った。
「コンサートチケットもすごく嬉しかったし、一緒にデートで行けるの楽しみだけど」
「お、おう」
そうだよな。これから2人で出かける時は、デートってことになるんだもんな。
そんな当たり前の事実に少し戸惑い、そして喜んでいる俺に、有栖が囁いた。
「彰斗が今日一番の、ううん、人生で一番の誕生日プレゼントかも」
そう言って、よりぎゅっと俺を抱き締める有栖。
俺も負けじと、ぎゅっと、それでいて柔らかに彼女を抱き締めて応える。
「俺も。有栖が今までで一番の誕生日プレゼントだわ」
お読みいただきありがとうございました。