まだ見ぬ明日の邂逅 1
時計の針は、丸一日程巻き戻る。
カウンセラーシティから遠く離れた富士演習場の片隅で、タアン。と乾いた音が鳴り響いた。
大谷竹美は狙撃銃のターゲットスコープから目を離し、遠くへと視線をやる。
「お。また当たり。竹美ちゃん、いいセンスしてるね」
竹美の背後から、若い自衛官が声をかける。痩せ型の優し気な顔をした男──。山本進である。
山本陸尉は双眼鏡を覗き、四○○メートル先の的を再度確認する。的には五つ銃痕が刻まれている。全て中心部近くに命中していた。
「褒めても何も出ませんよ?」
竹美はライフルから手を離し、照れ隠し交じりにか、ちょっぴり不機嫌そうな顔をする。銃口からは薄い煙の筋が伸び、火薬の匂いが拡散されている。
山本進の傍には、もう一人自衛官の姿があった。中年の、それなりに体格の良い男性である。その男は、竹美に様々な教練を施している教官だった。
竹美はこの数日、ずっと戦闘教練を受けていた。武器の扱いや構造を学び、実践的な闘争術について学び、カウンセラーシティ内での心構えや制度についても学んでいる。訓練を受けた場所は、富士山の裾野に広がる演習場だった。演習場は竹美の地元近くにもあるのだが、山本陸尉の都合で、富士演習場へと送り込まれたのである。
「別にお世辞じゃないよ。短い期間でよく、これだけの距離を当てられるようになったもんだ。今日はそこそこ風も強いのに、ね」
「こんな特技、あっても嬉しくないですけど」
「まあ、そう言わないで頑張りなよ。今は依託射撃がメインだから当たりまくってるけど、午後からは三脚ナシでやって貰うから。勿論、当たらなければ試験は失格。言い訳は出来ないから集中するんだね」
山本陸尉は竹美に言い残し、射撃場を後にする。歩むにつれて顔からは柔らかさが消え、少し厳しい顔つきとなる。足早にゆく山本陸尉の背中に、再び、竹美のライフルの発砲音が伝わった。
★
山本陸尉は訓練棟を出ると、宿舎脇に駐車してある自衛隊車両に乗り込んだ。車両は大型で、後方がコンテナになっている。コンテナの中には様々な精密機器が詰まっており、山本の、移動式の研究所として機能していた。
「で、どんな感じ?」
山本が、コンテナ内の女性自衛官に声をかける。
女性自衛官はノートパソコンのモニターから目を逸らし、山本へと顔を向ける。女性にしてはやや精悍な、だが、すっきりとした顔立ちをしている。
「遅いですよ。山本二等陸尉」
「一等陸尉、な。この前も昇進したって言ったよな?」
「あれ。そうでしたっけ?」
女性自衛官は惚けた顔をして、再びノートパソコンのモニターへと顔を戻す。山本陸尉もモニターを覗き込むと、そこには、様々な折れ線グラフやバイオグラフが表示されていた。
「大谷竹美ちゃん、やっぱり普通じゃありませんね」
女性自衛官が、ポツリと言う。
「お。竹美ちゃんについて、ここ何日かで変化でもあった?」
「ありました」
「どんな?」
「三日前の朝、私の部下がいつも通り、採血の為に竹美ちゃんに注射したんですけど、針が刺さらなかったそうです」
「え? 何それ詳しく」
「医師がどう頑張っても針が刺さらなくて、皮膚に傷をつけることもできず、何度試しても針が折れただけだったそうです。明らかに体質が変化しています。でもでも、遺伝子とか細胞、体液とかレントゲンに関しては異常が見つからないんですよね」
「成程ね。まるで品川ゲートのモンスターみたいだな」
「竹美ちゃん本人も、異変に気付いてショックを受けてるみたいですよ。人前では明るく振る舞ってますけど。昨日の夜も一人で泣いてましたから。私には精神的なケアは無理ですから、山本さんがなんとかしてくださいよね。ここ何日も、何処で何をやってたんですか?」
「いや、上から呼びつけられて色々と、ね。それより、昨日は体力測定だったんだろ。そっちに関しては?」
「それは、実際に見た方が早いですね」
と、女性自衛官はコンピュータの画面を山本に向ける。山本は、画面に映し出された映像を目にして呼吸を止める。
「マジか。竹美ちゃん、いよいよ化物じみてきたね」
山本陸尉は腕を組み、暫し思案する。
画面には、竹美が演習場の敷地をひたすら走る映像や、走り幅跳びをする映像、垂直飛びをする映像等が映し出されている。
竹美は垂直飛びで三メートル以上を飛び上がり、走り幅跳びでは一四メートルもの距離を飛び、持久走では四二・一九五キロを、五二分で走り切った。終始、記録に当たる自衛官が「嘘だろ、信じられん!」と、驚きの声を上げている。
「これだけじゃないですよ? 竹美ちゃんの握力は二○八キロ。短距離走では、六秒一の記録を出してます」
「六秒一? 速! それって五〇メートル走の記録か?」
「いいえ。百メートルです」
「……マジか。ナーロッパ帰還者の身体能力に匹敵するじゃないか」
「だとしたら、筋力強化、高速移動スキル、共にランクEといったところですね」
「興味深い。全く、興味深いね」
山本は目を爛々と輝かせ、いくつもの資料に目を通す。その表情には、薄く狂気の気配さえ、漂っていた。
★
一方その頃、竹美は遠距離射撃の訓練を終えて、教官の講義に耳を傾けていた。
四○○メートル離れた的には、七つの穴が空いている。その全てを、竹美が命中させたのだ。
「やっぱり、君は狙撃に向いてるね。カウンセラーシティには強力な能力者が大勢いて、相応に危険な場所でもあるそうだ。もしも戦わざるを得ない状況に陥った場合、極力、距離を取って戦う方が賢明だろう」
教官が、何かメモを取りながら言う。
「はあ。でも、異世界帰りの人たちは物凄いんでしょ。私の腕前が通用するのかどうか、怪しいですよ?」
竹美は不安を浮かべる。
「何を言ってるんだ。この強風の中、観測手もなしで四○○メートルの距離を連続で命中させられるんだ。君の感覚と視力は異常だよ。筋肉の振れも極めて小さい。狙撃手向きだ」
「はあ……。だと、良いんですけど」
「で、いくつか撃ってみた感じ、どのライフルが一番使いやすかった?」
竹美は問われ、暫し思案する。
「これです。とても精度が高いし、すっきりした形で扱いやすいです。ゴテゴテと、無駄な物もついていませんし」
と、竹美は、現在担いでいるライフルに目をやった。その銃は、L─九六狙撃銃。英国軍が正式採用しており、名銃とされる。
「ふうん。じゃあ、君のお供はエルクロで決まりだな」
「お供?」
「カウンセラーシティでは武装が許可されている。場合によっては決闘やクエスト、自衛の為に戦う事もあるだろう。銃の手入れには気を遣うんだね」
自衛の為に戦う──。
その言葉を聞いて、竹美には幾許かの不安が過る。可能なら、戦いなんかしたくはない。でも、カウンセラーシティは何が起こってもおかしくない場所だとされる。だが、どうしても戦わなければならない時、果たして、このライフルが役に立つのか。
「でも、カウンセラーシティの人はモンスターを相手に戦うことがあるんですよね? 私、実際にでっかい蜘蛛と戦ったことがあるんですけど、自衛隊の突撃銃はあまり効きませんでしたよ」
「成程。八九式では火力不足だったのか。一応、その狙撃銃の方が威力は優れているのだが、それでも不安かな?」
「……はい。一○メートルぐらいの大蜘蛛を相手に八九式を何発か撃ち込んでも、倒せませんでしたから。それより大きなモンスターに出会った場合、この銃じゃどうにもならないと思います」
「ふうむ。解った。では、上と相談してみよう」
言いながら、教官はペンを走らせる。竹美はそれを尻目に挨拶を済ませ、ライフルを返却して、射撃場を後にした。
★
蛇口からからぬるい水が吐き出され、竹美の手へと注ぐ。竹美は手を洗いながら、袖の匂いを嗅いだ。
──火薬の匂いは嫌い。
心中に呟いて、石鹸に手を伸ばす。
本当ならば、戦闘訓練なんて受けたくはなかった。カウンセラーシティのルールや、異能たちに関する資料にも興味はない。毎日受けている身体測定や体力のテストだって、面倒で仕方がない。出来るなら、ずっと絵でも描いていたい。
それでも竹美は、この道を選んだ。
幸人に逢いたい。
ただそれだけの気持ちが竹美を奮い立たせ、前に進ませている。その為なら、どんな障害だって乗り越えられる気がしていた。
竹美は午前中の教練を終えて、一人、食堂へと向かった。
一時間の昼食と休み時間を挟んだら、午後からは遠距離射撃のテストが始まる。竹美の場合、そのテストをクリアーしなければ次のステップには進めないらしい。
食堂で、食事を受け取って席に着くと、山本陸尉がやって来て、竹美に声をかけた。
「お。竹美ちゃん、ちゃんと食欲があるみたいでよかった。せっかく育ち盛りなんだから、モリモリ食べてナイスバディ目指しなよ」
山本陸尉は軽口を叩きながら、竹美の向かいに勝手に座る。竹美は顔を上げ、不機嫌そうな眼差しを向ける。
「山本さん、その、私……」
「解ってる。部下から聞いたよ。色々と身体に変化があったらしいね。戸惑ってるだろうけど、今は目の前の課題に専念するんだ」
「はい。でも課題って……午後の遠距離狙撃の次は何があるんですか? まだ聞いていなくて不安なんですけど」
「その事だけど、丁度良かった。竹美ちゃんのバディを紹介するよ。入っておいで」
と、山本陸尉は食堂の入口へと声をかける。
すると、食堂の隅に控えていた見知らぬ少女がやって来て、竹美にぺこりと頭を上げる。竹美も、反射的にぺこりと返す。
「ま、立ち話もなんだから座って」
山本陸尉に促され、竹美の目の前に真っ白な女の子が座った。例えではない。その女の子は、頭のてっぺんから指先に至るまで、真っ白だったのだ。
よく手入れされた髪は長く、雪のように白い。眉も睫毛も真っ白で、肌も驚く程に白い。顔立ちはとても優し気で、瞳は桜色に近い色彩をしている。童顔で、小柄で、その割には物腰は穏やかで落ち着きがある。
少女を目にして、竹美は思わず呼吸を止めた。あまりにも美しかったのだ。純白の少女は、これまで竹美が目にしたどんな女性よりも遥かに美しく、可愛らしかった。そこはかとなく漂っているスッキリとした品性を含めると、テレビや映画で目にする女優やアイドルでさえ、比べ物にならない。まるで品性の塊だった。たった一目で、竹美は純白の少女に言いようのない親しみを覚えた。
「この娘はの名は、三木りんごちゃん。竹美ちゃんのバディだよ」
「バディ?」
「ああ。竹美ちゃんの仲間、さ」
山本陸尉はそう言うが、竹美は意図を読みきれず、少々首を傾げる。
「この演習場にはね、竹美ちゃんの他にも五人、カウンセラーシティへの転入を希望する子がいるんだよ。で、午後の狙撃訓練を終えたら、このりんごちゃんと実践訓練をやってもらう。明日のバディ戦を戦う、君の相棒だからね」
「バディ戦? なんですかそれ」
「六人の転入希望者が、全員転入できる訳じゃない。六人の内、二人は落とされることになる。済まないが、大人の事情でね。君たち六人にはそれぞれ、色々な勢力が背後にいて後押しをしているんだ。まあそんな訳で、竹美ちゃんはこのりんごちゃんと日本チームを組んで、バディ戦を勝ち抜いて貰う必要があるのさ」
「日本チームって……転校する人を戦いの結果で決めるってことですか?」
「ああ。そうだ。帝都学園は普通の学校とは違うからね、どうしても、学力以外の力が必要になって来るんだよ」
山本陸尉に言われ、竹美は言葉を失ってしまう。その視線の先では、三木りんごが、ぽわんとした柔らかな微笑を浮かべている。
「えっと、私は大谷竹美、一六歳です。よろしくね」
と、竹美はりんごちゃんに手を伸ばす。
「はい。よろしくお願いします。私は三木りんごと申します。年齢は……見ての通りです。私のことは気軽に〝りんごちゃん〟とお呼びくださいね」
「あ。うん。よろしくね、りんごちゃん」
竹美は、りんごちゃんと言い合って握手を交わす。りんごちゃんの手はとても華奢で、でも暖かく、驚く程に柔らかだった。
★
午後になり、竹美とりんごちゃんは、共に遠距離射撃のテストを受けることとなった。竹美はL─九六狙撃銃を担ぎ、開始の合図を待つばかりである。
「では、始める。まずは依託射撃(窓枠や三脚等に銃を託し、安定させた状態で狙う)。次は片膝での射撃。最後は、移動から匍匐に移行しての射撃だ。合格、不合格については試験終了後に発表する」
言い終わり、教官がホイッスルを吹き鳴らす。その瞬間に、竹美は地面に這いつくばった。
まず、三脚を立てて狙撃銃を設置する。次に安全装置を外し、コッキングレバーを引いて弾丸を装填。そして落ち着いて……でも素早く正確に、的に狙いを定める。
銃口が、火花を散らす。
発砲音から間もなく、四〇〇メートル先の的に弾痕が刻まれる。五発装填可能の弾倉分、竹美は弾丸を撃ち切った。
「次!」
教官が叫び、ホイッスルが鳴る。竹美は素早く片膝の姿勢へと移行して、弾倉を取り換えて発砲する。弾丸は、いくつもの的を順番に射抜いてゆく。
「次。駆け足!」
再びホイッスルが鳴り、竹美は大急ぎでライフルを担ぎ、走り出す。そして三〇メートル走った辺りで、ピッ。と、ホイッスルが鳴る。その瞬間、竹美は素早く匍匐して的を探す。
的は三〇〇メートル先と四〇〇メートル先、五〇〇メートル先の三か所に、バラバラに配置されていた。その的に順番に狙いを定め、引き金に指を触れる。
焦るな。落ち着いて狙わなきゃ──。
自分に言い聞かせながら、そっと引き金を引き絞る。一連の動作は、闇夜に霜が降りるが如く静かに繊細に行われ、ライフルが弾丸を吐き出した。
三〇〇メートル先、四○○メートル先の的には命中した。だが、五〇〇メートル先の的は、僅かに外してしまった。
くっ。と、悔し気に息を吐き出した直後、終了の合図がかかる。
竹美はライフルを手に、沈んだ面持ちで身を起こした。
「一つ、的を外しちゃいました」
泣きそうな顔で言う竹美を、教官がポンポン撫でる。
間もなく、竹美に続き、りんごちゃんのテストも始まった。
だが──。
「またか。どうして君は学ばない? 一〇〇メートル先の的にさえ命中していないじゃないか!」
テストを終え、教官が、怒り心頭で叫ぶ。
なんと、りんごちゃんは全ての的を外してしまったのである。教官にどやされて渋々、また発砲するのだが、撃っても撃っても当たらない。これには竹美も驚きを隠せなかった。
「えっと。りんごちゃんも、一応、何日も訓練を受けてたんだよね?」
と、竹美。
「はい」
と、りんごちゃん。
「その……銃の扱いは苦手なの? 目が悪いとか、そういうのがあったら言っておいた方がいいと思うんだけど」
「いいえ。目は悪くないですよ。両目とも、視力は一・五はあります」
「じゃあ、銃の調子が悪かった、とか?」
「いいえ。そういう訳ではありません」
「じゃあ、どうして?」
「だって、狙ってませんから」
りんごちゃんは涼しい顔で言い放つ。竹美は、開いた口が塞がらなくなった。つまり、りんごちゃんはわざと的を外していたのか。それに気付くと同時、不安が襲ってくる。
私、りんごちゃんと組んで、バディ戦に勝てるのかな?──。
竹美の不安な表情を見て、りんごちゃんは口を開く。
「大丈夫ですよ。私、結果がどうでも最初から、このテストは合格が決まってますから」
「最初から合格が決まっている?」
「ええ」
りんごちゃんの言葉を聞き、竹美は教官に目を向ける。すると教官はきまり悪そうに、頭を掻きながら視線を逸らす。
「どういう事ですか? なんかズルくないですか?」
「まあ、そう怒るな。三木りんごは宗教上の理由とやらで、人に向けて発砲しないと決めているらしいんだよ。その換わり、居合と合気道の腕前は飛びぬけている。バディとしては悪くない組み合わせだよ」
竹美は教官と言い合って、再び言葉を失った。黙り込む竹美と教官に向け、りんごちゃんが再び微笑を浮かべる。
「あの、りんごではなく、りんごちゃんとお呼びくださいね?」
「気にするの、そこ?」
竹美は思わず、ツッコまずにはいられなかった。




