緋碧の魚 2
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「天に星あり地に陣列あり。大地の理は次元の境界を揺るがしたり。那由他の時空を超えて聴け。池田せんりの名において命じる。盟約の鎖もて領界の狭間より力を示せ! 強固なる大地の鎧よ、直ちに顕現せよ。アースアーマー!」
せんりが、魔法を発動する。
次の瞬間、ドン。と、地面がせり上がり、せんりの姿を覆い隠す。そして……。
せり上がった地面の陰から、金属化した、巨大なせんりが姿を現した。
「みんな下がって下さい!」
叫びながら、せんりがドシン、と踏み出した。仲間たちは、大急ぎで道を開ける。せんりはミノタウロスへと駆け込んで、ドロップキックを繰り出した。
「ブモオッ!」
ミノタウロスは、せんりに対抗して大戦斧を振る。が、カアンッ! と斧が弾かれて、綺麗に蹴りを食らう。
ドカン。と、まるで大砲のような衝撃音が響き渡り、ミノタウロスが派手に蹴り飛ばされる。せんりはすぐに起き上がり、モンスターの群れを蹴散らしながら、ミノタウロスへと追い打ちをかける。
「あはっ。あはは。あはははは! どうしてそんなに切ない顔をするの。ほらほら、もっと抵抗して。えいっ。貴方の力はそんな物なんですか? 血染めの大角なんて偉そうな二つ名で呼ばれてるくせにだらしないですね。弱いですね。惨めですねえっ! あはっ。そうそう。もっと頑張って。でも駄目よ。そんなんじゃ全然たりないわ。えいっ。えい、えいっ!」
せんりはミノタウロスに馬乗りになり、ボッコボコに殴りまくる。その衝撃で地面に亀裂が入り、迷宮が揺れる! 頭二つ分程せんりが大きいので、まるで、大人が子供を暴行しているような光景だった。
せんりの周囲では、織田の火球が炸裂し、光の、水の剣がモンスターの群れを薙ぎ払う。それぞれの攻撃が、一度に百匹近い数のモンスターを倒してしまうのだが、モンスターの軍団は、やられてもすぐに数を増し、洞窟を埋め尽くす。
「ふむ。これは本当に、モンスターの数は無限。と、いうことなのかもしれんな……」
織田が誰にともなく呟く。その不吉な推測を、誰一人、否定できないでいた。
「幸人、あんなになるまで。頑張ったのね……」
光は、幸人に目をやって、不安な顔を浮かべる。
幸人は気を失って、生死の境を彷徨っていた。体中、埃だらけで傷だらけ。その魂は、ほの暗い場所で尚、現世にしがみ付いて藻掻いていた……。
★ ★ ★
そこは深い闇だった。
暗い暗い闇の中を、何処までも沈んでゆく。思考は定まらず、意識も消えてしまいそうだ。
何処まで沈むのだろう。幸人はぼやりと感じて、辺りを見回してみる。でも、やはり何もない。ただ、ほの暗い闇が広がっているだけだ。
幸人は遠近の狭間で、失った筈の何かを見ていた。
それが何処なのか、いつなのか。もう、時間の感覚すらも、解らなくなっていた。
「その呼び方、嫌い……」
ふと、背後で声がする。
焦って振り向くと、パッと、光が広がった。
そこは、とある湖だった。長閑で、静かで、澄み切った水を湛える田舎の湖。
知っている──。
幸人は一歩踏み出して、肩を震わせる。
湖は夕暮れの光を反射して、キラキラ輝いている。幸人の目の前、湖岸のベンチには中学生ぐらいの二人組の姿があった。二人の姿は逆光で陰になり、顔は伺い知れない。一人は少年。もう一人は、華奢で小柄な少女だ……。
「ねえ、幸人。もしも私が何処か遠くに行ったらどうする?」
ふいに、小柄な少女が言う。
すると少年は暫し、黙り込んでしまった。
そして幸人は自覚する。これは僕の記憶だ。僕が失った、大切な大切な欠片……。
この時、なんで僕は黙ったんだっけ?
ぼやりと考える幸人の眼に、大粒の涙が浮かぶ。涙はどんどん溢れて来て、拭っても拭っても、止まらない。胸が焼けるような悲しみと切なさと、甘酸っぱい何かが、幸人の中に充満する。
彼女が何処か遠くへ行ったら、彼女が居なくなってしまったら、僕はどうなるだろう。そんなの耐えられない。耐えられる筈がない……。
「…………探すよ。必ず見つける」
ベンチの幸人は言い、少し目を潤ませる。
そうだ。僕はこう答えたんだっけ。そうだよ。君を探さなきゃ。一人ぼっちになんてさせない。絶対に、絶対に見つけてやるんだ……!
ぐっと、幸人は顔を上げる。その目の前を、華奢な少女の影が駆け抜ける。幸人は少女を目で追う。
するとまた、景色が変わった。
そこはありふれた繁華街の路地裏で、人気のない淋しい場所だった。
華奢な少女の人影は、小さな額縁に覆いかぶさっている。その背中を、金髪の男が踏みつけにしている。少女は何度蹴られても、必死に額縁に覆いかぶさって守っていた。
「なんだお前等。付き合ってるのか? 彼氏に良い格好したいってか」
金髪をした何者かが、叫ぶ。
「そ、そんなんじゃ、ない……。あの人とは今日、初めて逢ったから」
少女は苦し気に言う。
「じゃあ、あいつはお前の何なんだ?」
問われて、少女は暫し沈黙する。華奢な肩が擦りむけて、震えている。
そして、少女は大きく息を吸い込んだ。
「私は、あの人の共犯者なんだあああっ!」
少女が叫んだ瞬間に、幸人の中で何かが弾けた。強い強い、熱い物が込み上げて走り出す。
そうだ。
僕が彼女を守るんだ。必ず……!
「うおおおおおっ!」
幸人は拳を握りしめ、それを思いきり放つ。
拳は解き放たれて、スローモーションで、金髪の男の頬に突き刺さる。その瞬間に、ドカン! と、音が鳴り響く。
金髪が殴られて、ゆっくりと宙を舞う。
音は尚も続く。
ドカン。ドカン、ドカアアンッ!
それは鼓動を打つように、彼方から鳴り響いている。薄れゆく景色の中で、じわりと、少女が振り向いた……。
★ ★ ★
ドカン! 凄まじい音と衝撃音に感応し、幸人は目を開ける。
「幸人!」
目の前には光の顔があった。光は頬を擦りむいて、口元には薄く血が滲んでいる。服もボロボロだ。目には涙を滲ませて、そっと、両手で幸人の頬を包んでいた。
「光……」
「もう。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったんだから! 心配させないでよね」
「ごめん」
幸人は光と言葉を交わし、ゆるりと身を起こす。
その瞬間、幸人の頬を一筋、涙が伝った。
なんだろう。何かとても懐かしい、大切な事を思い出していた気がする。でも、何を思い出したのだろう。思い出せない……。
幸人はボヤリと感じながら、手探りで棒を探す。だが、近くに棒はない。そしてハッとする。そうか。僕はミノタウロスの一撃を貰って吹き飛ばされて。その時に落としたのか。
幸人の背後からは、ドカン、ドカンと衝撃音が鳴り続けている。
見回す光景は、燦々たるものだった。
幸人の傍には羽柴秀実と池田せんりが横たわっている。二人とも頭や手足から出血し、気を失っている。少し離れた所には、霧隠才華と清原凪子先生が倒れている。二人とも、やはり傷だらけで気を失っている。もう少し離れた所には、伊達正治と直江兼倉が倒れている。
「幸人君。気が付いたんだね。良かった……」
背後からの声に振り向くと、そこには、徳川家理亜が横たわっていた。家理亜も、体中傷だらけだ。その華奢な手が、幸人へと延びる。
幸人はそっと、家理亜の手を取った。
「家理亜……僕は一体どれぐらい?」
「二○分ぐらいかな。もう、死んじゃうかと思ったんだからね。ウォーターエンチャントをかけておいて良かったよ。状況はね、魔法組はボクを含めて全滅。残ってるのは、近接戦闘が得意な三人だけだよ」
家理亜は、途切れそうな声で言う。
そうか。あれだけの攻撃を受けたのにこうして話していられるのは、家理亜がかけてくれた持続回復魔法のおかげか……。
幸人は内心呟いて、立ち上がる。
幸人の背後では、織田信秋、柴田勝奈子、斎藤道三の三人が、鬼神のような勢いでモンスターと戦っていた。
柴田勝奈子と斎藤道三がモンスターの軍勢をなぎ倒し続け、織田信秋は、単身、ミノタウロスと交戦している。だが、どう見ても旗色が悪い。
無限に湧き出し押し寄せるモンスターの軍団と、何度倒してもすぐに再生してしまう巨大なミノタウロス……。流石の織田も疲弊して、傷だらけで肩で息をしている。斎藤も柴田もボロボロだ。
「幸人」
光が幸人に声をかけ、透明な棒を放る。幸人はそれをキャッチして、光に目を落とす。
「あたしの能力で作ったの。今度こそ使いなさいよ?」
と、光は苦し気な顔に無理に笑顔を浮かべる。
見ると、光の足が片方、妙な方向に折れ曲がっていた。もう、とても戦える状態ではない。
幸人はそっと、光の肩に触れ、踵を返す。
「幸人君、やっぱり戦うんだね。どうしてさ? ボクと逃げてくれたらよかったのに……」
幸人の背に、家理亜の声が刺さる。
「毎晩、夢を見るんだ」幸人は掠れた声で言う。「夢はいつも、目覚めたらすぐに忘れちゃうんだけど、何かとても重要な事を思い出している気がする。夢の中には大切な何かがあって、僕はその、大切な何かを守りたいって、心底願ってしまうんだ。ここで逃げたら世界が壊れてしまう。だから僕は守る。世界を守る事は、大切な何かを守る事に繋がってるって思うから……」
「キミはバカだよ。そんなに死にたいの? そんなの勇気じゃない」
家理亜はほろりと涙を零す。
「ああ。勇気じゃない。覚悟があるんだ……」
幸人は静かに呟いて、踏み出した。
★
「ブモオッ!」
ミノタウロスが大戦斧を振り下ろす。織田はファイアウェポンでいなし、攻撃の軌道を変える。すると、ドカンと、大戦斧が近くの岩に突き刺さり、破片が飛び散った。だが、ミノタウロスは間髪を入れず、再び、大戦斧を振り上げる。当然、織田は攻撃をかわそうとしたが、出来なかった。
足が、砕けた岩に挟まって抜けない……。
そこへ、大戦斧が唸りを上げ、降り降ろされる!
コオンッ。と、音が響き渡る。
突然、大戦斧がかち上げられた。幸人が、水の棒の一撃を叩き込んだのだ。
「遅かったじゃないか。いつまでもサボり過ぎだ……」
織田が疲れた微笑を向ける。
「愚痴るなんて織田君らしくないね」
幸人は憎まれ口を返し、織田と肩を並べた。




