緋碧の魚 1
「どうしてよ……」
光は怒りを滲ませて、織田を睨む。織田はファイアウェポンの魔法を解除して、光に、溜息を吐き捨てる。
そう。絶壁の際を切り落として、本願寺を突き落としたのは織田だったのだ。
「討伐目標ノ死亡ヲ確認。クエストガ達成サレマシタ。大壁ヘ帰還シテクダサイ」
ドローンが舞い降りて、無機質な音声で言う。その無常さに、光の胸に、強い怒りが込み上げる。
ゆらりと、光が立ち上がる。
何か言いたそうな顔を見て、織田が口を開く。
「人生五〇年。明智は本願寺を救う為に、貴重な時間と労力を使った。それで十分だろう?」
織田が言う。その頬を、光がパアン、と、張る。
「織田、あんた何様のつもりよ!」
「どうあっても救えぬ者もいる。明智は手を伸ばした。本願寺は掴まなかった。それだけの事だ」
光は織田と睨み合う。光は尚も言葉を発しかけたが、ぐっと、言葉を飲み込んだ。
「とりあえず戻るっす。言い合っても、どうにもならないっすから……」
秀実が苦い面持ちで促した。
織田班は浅井長代を拘束し、迷宮を引き返した。拘束に使った道具は、治安維持局御用達マジックアイテムである。
迷宮を戻り始めると、彼方から、ドオン、ドオオン! と、音が鳴り響いた。微かに、衝撃も伝わって来る。
「真田か。あっちも修羅場になっているらしいな……」
織田がぽつりと言う。
突然、織田班の眼前にドローンが降下してきた。
「緊急クエストノ内容ヲ更新。煉獄門ガ破壊サレマシタ。大至急、清原凪子班ト合流シテ下サイ。復元能力者ノ到着マデ、モンスターノ群レヲオシ留メテクダサイ」
ドローンの言葉を聞き、冒険者たちが顔色を変える。
「れ、煉獄門が破壊されたって、大変じゃないっすか! また、東京が滅茶苦茶になっちゃうっすよ!」
秀実は焦る。
「ほう。良い事じゃないか。永田町が灰燼に帰せば、俺の手間も省けるというものだ」
織田は黒い微笑を浮かべる。
「私は戻ります。品川には、私の母親が住んでいますから……」
柴田勝奈子は言い、速足で歩き出す。
「待て勝奈子。そういう事であれば、話は別だ」
織田は勝奈子の肩を掴み、光へと視線を送る。光はもう、大量の水を呼び集めて船を形成し始めていた……。
★ ★ ★
一方その頃、清原凪子班の面々は、モンスターの軍団を相手に、熾烈な戦いを繰り広げていた。
「うおおおおおっ!」
直江兼倉が、魔法矢を射ちまくる。モンスターの群れが、魔法矢を受けて次々と倒れる。が、すぐに、新たなモンスターの群れが押し寄せる。
「くそ! こいつら無限にいやがるのか? 倒しても倒しても、キリがない」
愚痴る直江の傍らで、凪子先生が【エアーカッター】の魔法を発動する。
無数の空気の刃が、モンスターの群れを切り裂き、薙ぎ倒す! だがやはり、新たなモンスターの群れが現れて、次々と、冒険者たちへと押し寄せる。
「愚痴るな直江。お前はさっき、すぐに長安にやられてろくに働かなかっただろう。モンスターの相手ぐらいして貰わんとな」
強気に言った凪子先生だったが、内心は、かなり焦っていた。
魔法力《MP》が底をつきかけていたのだ。
そこで凪子先生は長刀を掴み、直江の眼前へと踊り出す。固定砲台役の直江の盾となるつもりなのだ。
直江と凪子先生の眼前では、真田幸人、霧隠才華、斎藤道三の三人が、巨大なミノタウロスと戦っている。ミノタウロスは、所謂、ボスモンスターと呼ばれる類の存在だった。その体躯は一五メートル以上はある。
ダンジョンの中層には、六匹の強力な首魁級モンスターがいる。六匹はそれぞれ多くの魔物を従えて、冒険者たちの侵入を阻んでいる。
その六匹を、中層六角という──。
これは、冒険者たちの共通認識だった。そして、目の前にいる、赤い巨大なミノタウロスこそが、中層六角の一角、通称「血染めの大角」と二つ名される魔物だった。
ミノタウロスが、大戦斧を振り上げる。
ドオン! と、大戦斧が地面に突き刺さった。大戦斧は容易く大岩を割り、破片が四方へと飛び散る。
「あっ……!」
と、悲鳴を上げ、才華が地面を転がった。岩の破片が命中したのだ。そこへ間髪を入れず、大戦斧が降り降ろされる!
斧はドシッと、才華に命中して、土煙が上がる。だが……。
次の瞬間、切られた筈の才華の身体が、煙となってかき消えた。
「忍法、変わり身の術!」
叫びながら、才華が、ミノタウロスの頭上へと姿を現す。才華は「やっ!」と、ワイヤーを放ち、ワイヤーが、ミノタウロスの耳に巻き付いて切断する。
「霧隠さん、下がるんだ!」
才華が着地すると同時、幸人が叫ぶ。才華が咄嗟に後方へと飛び退くと、目の前に、ドカン。と、大戦斧が降り降ろされた。
「うおおおっ!」
幸人が大戦斧の攻撃の隙を突き、棒の連撃を放つ。
膝、肘、鳩尾。棒が叩き込まれ、ミノタウルスの体内で、強烈な浸透勁が炸裂する。
パアン、と、ミノタウロスの肘と膝が弾け、大きな骨が露出する。
だが……。
じわりと、ミノタウルスの傷口が蠢いて、見る見る傷口が塞がってしまう。才華から切り落とされた耳も、完全に再生してしまった。
高速の自己再生能力──。
それが、血染めの大角の特性だった。冒険者たちがその事に気が付いた時には、既に、魔法薬や魔法力《MP》が尽きかけていた。
「グモオオオッ!」
ミノタウルスが雄叫びを発し、大戦斧を横薙ぎに振る。
「どきな」
斎藤道三が進み出て、大戦斧を蹴り上げる。大戦斧は衝撃で軌道が逸れ、岩壁に激突する。そこへ、斎藤が踏み込んで、強烈な掌打を叩き込む。
ドン! と、気の塊が発射され、ミノタウロスを貫いた。ミノタウロスは背中が爆ぜ、背骨が露出して呻き声を上げる。しかし、それ程の大怪我もまた、二〇秒もせず完全に治ってしまった。
「く。このままじゃ、じり貧だな……」
斎藤が、額に冷や汗を滲ませる。大戦斧を蹴り上げた足からは、血が滲んでいた。
「幸人君。無理だよ。これはフラグ的に、あのミノタウロスを倒さない限り、モンスターが無限に湧き出してくるパターンだよ。ボクも、もう何回も回復魔法を使えない。取り返しが付かない事態になる前に撤退しよう!」
「フラグ? そんな、アニメやゲームじゃあるまいし」
「あるんだよ。例えば、ナーロッパは人々の想念が作り出した世界なんだ。そして、あそこでは、お約束みたいな展開は珍しくもなかったそうだよ。現世の人々が、異世界とはそういうものだと思ったり、ゲームみたいな幻想を求めている限り、どんな事でも起こり得る。そういう世界なんだ。このダンジョンは、ナーロッパ帰還者が証言するナーロッパの環境と酷似している。だとしたら、これはだいぶ不味い状況だよ!」
と、徳川家理亜が撤退を促す。家理亜は、二つの刀を素早く振り回し、骸骨の群れを蹴散らしている。それは流麗な、見事な剣舞だった。だが、敵の数が多すぎる。倒しても倒しても倒しても、迷宮の地面から、次々と敵が湧き出して来る。
幸人は周囲を見回して、事態の深刻さを理解する。
斎藤道三はこれまで氣功術を乱発したせいで、かなり疲弊している。才華も、飛び道具系の暗器を使い果たし、負傷して満身創痍の状態だ。凪子先生も、あと一回、魔法を使えるか使えないかまで魔法力を消耗している。直江兼倉は魔法矢を射ちまくり続けているが、やはり、かなり体力を消耗している。かくいう幸人も肩で息をしている……。
「仕方がない。家理亜、みんなの回復を頼む。詠唱の時間は、僕が稼ぐから!」
「で、でも……」
「頼む。家理亜」
「わかったよ。皆、回復魔法を使うから、ボクの所に集まって!」
叫ぶ家理亜を尻目に、幸人はモンスターの大群へと踏み込んだ。
「うおおおっ!」
幸人は、切り札の【緋碧の魚】を円盤状に変形させて、モンスターの群れへと放つ。円盤は、キッと鋭い音を放ちながら、瞬く間に、魔物を切り裂いてゆく。
巨大な狼が、甲虫が、蜥蜴戦士や大蜘蛛や骸骨が、次々と細切れにされる。それなのに、モンスターの軍団は怯まない。倒された魔物の屍を踏み越えて、続々と、幸人へと殺到する。その数は数千か、数万か……。
その隙に、仲間たちは家理亜の許へと集結し、回復魔法の発動を待つ。
「ぐ。うおおおっ!」
幸人は一人、洞窟に立ち塞がって、敵の進撃を押し留め続けた。
無数の矢を潜り、不死者の群れを薙ぎ払う。巨大な狼の牙をかい潜ってカウンターを放ち、人食い甲虫の分厚い装甲を叩き割る。襲い来るミノタウロスの大戦斧をいなし、浸透勁の連撃を叩き込む!
幸人は神経を研ぎ澄まし、緋碧の魚を操り続けた。しかし、魚の操作は、かなり体力と精神力を削られる。その上、棒を振り回して、近接戦闘までもをこなしているのだ。やがて、幸人は切れ目のない攻防に息を切らし、気を失いそうになる。だが、まだ倒れる訳にはいかない。まだ……。
幸人が敵を押し留める隙に、家理亜の【ウォーターヒール】が発動した。仲間たちは最後の回復魔法により、じわじわと傷が癒されて、体力も回復されてゆく。
「幸人君ありがとう。ボクの最後の魔法薬だよ。幸人君も回復して!」
家理亜が、幸人へと魔法薬を放る。幸人は倒れそうになりながら、魔法薬へと手を伸ばす。しかし……。
ヒュ。と、矢が飛んで、魔法薬の瓶を貫いた。瓶は割れ、最後の魔法薬が台無しになる。
矢を放ったのは、骸骨の射手だった。
「よ、よくも!」
才華が怒りを発し、ワイヤーを振る。骸骨の射手は、ワイヤーに巻かれて細切れに切断された。
「く……」
遂に、幸人が膝を折る。
家理亜は現状を分析し、判断を下す。
「幸人君、逃げよう! もう、ボクたちだけじゃ戦線を維持できないよ。帰り道でもモンスターと戦闘する事になるんだ。体力は、その為に残しておく必要がある」
「そうだね。家理亜、今なら全力で走れるだろう。君は皆を連れて逃げてくれ」
「何を言ってるの? 幸人君も逃げるんだよ」
「僕は逃げない」
「どうして。どうしてそこまで? どうしてさ!」
家理亜の問いかけに、幸人は答えなかった。代わりに、再び幸人は立ち上がり、モンスターの群れへと突撃する。
目にも留まらぬ勢いで、棒が唸る。続けて、パアン、パアン、パアンと、無数の破裂音が響き渡る。浸透勁の乱れ撃ちだ。緋碧の魚も円盤に変形して、ミノタウロスを切り刻む。幸人は荒れ狂う竜巻のようにモンスターを蹴散らして、仲間たちの壁となる。
「僕が殿になる。みんなは走るんだ!」
「でも幸人君。キミは本当は……」
「他に選択肢はない。家理亜。みんなを頼んだよ。体力が残っている内に、早く!」
「……く。みんな、一時撤退だ。凪子先生も、ボクの判断を信用してくれるなら、従って欲しい……」
徳川家理亜は絞り出すように言う。その目には、絶望が、スローモーションで写っていた。
幸人が討ち漏らした巨大な狼や大蜘蛛が、こちらへと殺到して来る。その向こうでは、モンスターに包囲されながら、幸人が奮戦している。でも、モンスターの数が多過ぎて、幸人の姿が隠れ、見当たらなくなる。直江が必死に魔法矢で援護しているが、敵が多すぎてとても追いつかない。斎藤道三は、近くのモンスターを蹴り飛ばしている。凪子先生は、家理亜の傍で長刀を振り回し、敵の矢の攻撃を防いでくれている。才華は泣きながら、風遁の術をモンスターの群れに放っている。
災厄は留まるところを知らない。
ゆらりと、ミノタウルスが起き上がる。幸人のあれ程の攻撃を受けても、まだ再生を続けている。
家理亜の絶望が加速する。
どし、どしと、ミノタウロスが駆け出して大戦斧を振り上げる。それは幸人がいると思われる辺りに振り下ろされて、ドカン! と、土煙が上がる。
そして──。
幸人が弾き飛ばされて宙を舞う。血まみれで、意識を失っている。幸人は天井から垂れる鍾乳石で頭を打ち。空中をぐるぐる回る。ズタボロになった幸人は、ドサリと、家理亜の足元に落ちて来た。
家理亜も、もう冷静ではいられなかった。
「うわあああ!」
家理亜は絶叫しながら二刀を構え、敵へと駆け出した。
刹那──。
キュン。と、鋭い音がして、水の剣が放たれる。水の剣はモンスターの群れを薙ぎ払い、ミノタウロスの腕を切り落とした。
家理亜はハッとして振り返る。
するとそこには、透き通った小船が浮かんでいた。船には、織田信秋班の姿があった。織田信秋が、明智光が、羽柴秀実が、柴田勝奈子が、池田せんりが、伊達正治が、船から飛び降りて、モンスターの群れへと突撃して行く。
「待たせたな。家理亜」
織田は駆け抜けながら、赤熱した刀身を振り抜いた!




