そして勇者は目を覚ます。3
大柄のスキンヘッドは、店の隅でゆっくりと腰をあげた。
「足利義孝……」
光が警戒を露に呟く。
「ちゃんと名前を憶えててくれたみたいでホッとしたぜ」
言いながら、足利義孝は光たちへと歩み寄る。
目の前まで来ると、改めて体格の良さが浮き彫りになる。身長は一九〇センチ近くはありそうだ。幸人より二十センチ以上は高い。
「な、何の用よ?」
「あ? 決まってるだろ。この前の話の続きだよ」
「話なら終わりよ。きっぱりと断ったでしょ?」
言い合う光と足利に、幸人が怪訝な眼を向ける。
「二人とも、なんの話をしてるの?」
呑気に首を傾げる幸人に、足利は不敵な笑みを向ける。
「丁度良い。話があるのは真田幸人、お前だ」
足利が言う。直後、光が幸人の腕を掴む。
「話なんか聞く必要ない。行くわよ」
光は幸人を引っ張るが、幸人は後ろから肩を掴まれた。
「待て。俺と真田との話を邪魔するんじゃねえ」
幸人はぐっと引き戻された。
★
幸人たちは喫茶店を出て、路上で足利と向き合った。
「で、話って何かな?」
幸人は言う。
「なあ真田。お前、光とのチームを解消しろよ」
足利は言う。
「何故かな?」
「俺が光とチームを組むからだ。お前は必要ねえ。能力を使えないみたいだしな」
「……断るよ。僕には光さんしかいないんだ。この世界で、たった一人の友達なんだよね」
幸人が言うと、光は急に、頬を赤らめた。
「バカ。幸人、なんでそんな恥ずかしい事……」
「え。間違ってたかな。僕は光さんの事、友達だと思ったんだけど。違う、のかな?」
「ううん。合ってる。友達だよ……。それと、さんは要らない。あたしの事は呼び捨てで良い。光って呼びなさい」
「じゃあ、光……」
幸人が言うと、光は一層顔を赤らめて、モジモジと顔を伏せた。
「ええい。いちゃついてんじゃねえ! 真田。お前に決闘を申し込むぜ。正式にな。お前が賭けるのはそこにいる、明智光だ。おっと、記憶を失ってるんだったな。そいつの名前が解らなければ、尻軽女って言い換えてやってもいいぜ?」
足利に言われ、幸人の眉がピクリと動く。
「だ、駄目よ幸人。絶対に受けちゃ駄目だからね!」
光は顔を青くして言う。幸人は光にニコリと頷いて、足利の顔を見上げる。
「わかった。その勝負、受けるよ」
「そうそう。って、え? なんで受けちゃうの? 馬鹿なの? クレイジー野郎なの?」
「でも光、僕は挑戦を受ける他、選択肢が無いと思うんだよね。足利君には、僕が記憶を無くしている事を知られた。だったら彼には沈黙をかけて勝負をして貰う。決闘の結果は絶対なんだろう? 勝てば、僕等の秘密は口外されない」
「そ、そうだけど……何か勝算があるのよね?」
「ないけど。不味いかな? だってあの人、頭に来るんだよね」
「不味いわよ! あいつ、そこそこ強いのよ?」
言い合う幸人と光に、足利は笑みを向ける。
「良い度胸だな。どっちにしろ、決闘の約束は交わされた。もう、逃げられねえぞ……」
足利の闘志むき出しの眼が、幸人を見下ろした。
★ ★ ★
三十分後、三人は帝都学院脇の闘技場にいた。闘技場はドーム状で、体育館の三倍ほどの大きさがある。場所は、道路を挟んで帝都学園のすぐ隣に位置する。
「では、これから決闘を執り行う。対戦者は口上を述べ、賭けの対象を明確にせよ」
見届け人兼、審判の武田が言う。光の話によると、この武田君は、幸人と光のクラスの学級委員であり、決闘を取り仕切る管理委員でもあるらしい。見かけは線が細い眼鏡の優男だが、とてもとても、強いのだそうだ。
武田に言われ、まずは足利が進み出る。
「正々堂々。身体、能力、精神の限りを尽くして戦う。要求は、そこに居る明智光の足利チームへの参加」
「よろしい。真田君も口上を述べなさい」
武田に言われ、幸人も、メモした口上を読み上げる。
「正々堂々。身体、能力、精神の限りを尽くして戦う。要求は、足利君が僕たちの秘密を守る事」
「よろしい。では、二人は座席へ」
そう言って、武田が促す。その視線の先には、ゆったりとしたソファーが置かれていた。ソファーは闘技場の隅に、分厚い強化ガラスで守られる形で複数、設置してあった。
「ね、ねえ。どうしてソファーに?」
幸人は光に耳打ちする。
「いいから座りなさい」
光に言われ、幸人は渋々ソファーに座る。すると、武田が懐から、金色の、謎の球体を取り出した。
おもむろに、武田は球体をかざす。すると、幸人の目の前に、淡く光る球体が現れた。球体はもぞもぞと形を変えてゆき、人の形へと変化する。
出来上がったそれは、幸人そっくり、否、幸人そのものといっても良い、精巧な何かだった。
「こ、これは……」
幸人は驚いて言葉を失う。
「では、分霊を行う。目を閉じたまえ」
武田に言われ、幸人は目を閉じる。
その瞬間、幸人は脳裏に裂光を感じ、身体を引き寄せられる感覚がした。
「う、わ……!」
幸人は驚いて目を開ける。すると、何か違和感があった。さっきと、少し景色がずれている。不審に思い辺りを見回すと、ソファーには、座って目を閉じた幸人の姿があった。
「マジックアイテムの力よ。一時的に、コピーに魂を移したの。実際に殺し合う訳にはいかないでしょ。やるからには全力でやりなさい」
光が、少し沈んだ声で言う。幸人はすぐに、その意味を理解した。
つまり、幸人の今の身体は、ゲームのアバターみたいなものか。この肉体が滅んでも決闘者は死なず、殺人事件にもならない。そして、実際に殺し合うのと同じように全力で戦えと。そういう事か……。
幸人は目を上げる。すると、足利のアバターが、もう、闘技場の中央まで歩みを進めていた。足利は、まるで剣闘士のようないでたちで、その肉体も鍛え上げられていた。
幸人も歩き、足利の目前で足を止める。
「これを使いなさい」
光の声に振り向くと、透明な、長い棒が飛んで来た。幸人はそれをキャッチして、まじまじと見つめる。
硝子……? 否、似ているが違う。冷たい。まるで、水、その物だ……。
「あたしの能力で作ったの。棒術も出来るんでしょ?」
「要らない」
幸人は棒を放り投げた。
「ど、どうしてよ?」
「だって、足利君は素手じゃないか」
「素手といっても、足利は格闘スキル持ちなのよ。武器も持たず勝てる相手じゃない!」
叫ぶ光に、幸人は背を向けた。その目の前で、足利が力強い構えを作る。
「馬鹿が。良い度胸だな」
足利が吐き捨てる。
「度胸じゃない。覚悟があるんだ……」
幸人も、柔らかな空手の構えを作る。
「では、決闘開始!」
武田の声が響き渡る。その瞬間、幸人と足利は踏み込んだ!
ふっと、足利の身体が消える。幸人は危険を感じ、横へと飛び退く。
ドカン! と、音を立て、振り抜かれた拳が床のタイルを割った。飛び散ったタイルはコンクリート製で、七、八センチぐらいの厚みがある。それを目で追う暇もなく、次の攻撃が振り抜かれる。
人間の早さじゃない!
感じながらも幸人は拳を潜り、反撃の正拳突きを繰り出す。
ぶんっ、と、拳が空を切り、幸人の攻撃が外れる。足利は身を逸らせてパンチを潜り、幸人から距離を取った。
「やるじゃねえか。一撃で決まると思ったのにな」
言いながら、足利はトントンとステップを踏む。
「僕も驚いてる。光が言った事は本当みたいだ。僕はもの凄く成長している……」
「はっ。能力も使えない奴が吠えやがる」
「能力が使えない、か。でも不思議なんだよね。何故だか君に、負ける気がしない」
「……ぬかせクソがあああっ!」
足利は怒りを発し、再び踏み込む!
渾身の拳が唸りを上げ、幸人の顔面に迫る。だが幸人には、それがスローモーションのように映った。極限まで高められた集中力が、そう、感じさせたのだ。
ズシン。と、床が鳴る。
幸人が踏み込んで、カウンターを放ったのだ。床のタイルが踏み割られ、幸人の拳が、足利の胸に深く突き刺さる。
一瞬遅れて、パアン、と、足利が殴り飛ばされる。巨体は一○メートル以上も飛び、後方の、強化ガラスに叩きつけられる。分厚い強化ガラスに亀裂が入り、割れる。
そして、ドサリと、巨体が床に落ちる。その瞬間、足利の肉体は崩れ、光の粒子へと変わって霧散した。
「く、ふ…………は!」
ソファーの、足利の本体が目を開けて呼吸を取り戻す。その額には恐怖と脂汗が浮かんでいた。
「勝負あり。真田幸人の勝ちとする!」
武田が声を張る。
「やった。やったね、幸人!」
光は声を上げ、幸人に駆け寄って背中に飛びついた。