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 ログスとルアスは、その日、授業をうけなかった。腕を組んで堂々と出ていき、聖廟へ向かったのだ。結婚する為に。正しい人間でも間違いを犯すし、勿論、未熟な人間が正しいことをすることだってある。




 ルアスの家族は、結婚についてなにも云ってこなかった。ルアスのことに興味がないらしい。持参金も払えないそうだ。


 リビン卿とクラン嬢も、すぐに結婚した。

 結婚後すぐに、クラン嬢が前後不覚になって治癒院へ担ぎ込まれ、なにを考えたかリビン卿がルアスを訴えた。

 が、クラン嬢は、特定の食べものが毒になる体質だったとわかった。ルアスが贈った菓子で具合が悪くなったのも、その為らしい。

 ふたりは揃ってわびに来て、ルアスはそれをゆるした。ログスは、ルアスの顔のあざを云々したらしいリビン卿を一発殴ってやりたかったが、こらえた。リビン卿があざのことを持ち出したのは、クラン嬢にのりかえたかったからだろう。それだけクラン嬢を好きなのが伝わってきた。だから、ログスは我慢した。

 自分だって、ルアスの為にならばかなことをして、他人を傷付けてしまうかもしれない。だから、リビン卿のことは、だめな手本だと思えばいい。それに、ルアスがもういいと云っているのだ。僕はそれに逆らわない。




 半年後、ふたりは夫婦で、皇太子の結婚の宴に参加していた。ルアスはもう、以前のようには白粉をはたかない。家では素顔ですごしていた。

 ただ、日に当たるとあざが痛むらしい。それに、見ているひとが不快だろうからと、うすく白粉を塗って、ヴェールで顔を隠している。昼間ならそれに、日傘が追加された。

 ログスは妻のその決断に、満足している。なんにせよ、彼女の顔を隠しておくのはよいことだ。ばかな男どもが群がってきたら、腹がたつ。あざのひとつふたつ、なんだというのだろう。彼女はそれをうわまわって、可愛い。


 宴は宮廷の前庭で行われている。バイルとケイブが、それぞれの婚約者をつれて歩いているのが見え、軽く手を振ると、ふた組ともやってくる。

「よう、ログス」

「商売はどうだい」

「まあまあだよ」

 ログスは結局、爵位を叔父へ譲った。かわりに、もと婚約者と叔父から、それなりの額の金をせしめたのだ。もと婚約者は、ログスが居ながらほかの男性と子どもをつくったという落ち度があるし、叔父には他人の婚約者を妊娠させた落ち度がある。という訳で、ことをおおやけにしないという条件で、商会を興すくらいの金を手にいれたのだ。

 ログスは学校を退学し、その金で、浄水に関する事業を始めた。

 皇都は水がすぐに汚れ、下水がひどいことになる。そこで、汚水をなるたけ綺麗にして川へ流す研究をしている在野の学者達を雇い、浄水槽をつくって売っているのだ。それから、肥料の扱いも、最近はじめた。


 バイルはオック・スラミヤ嬢、ケイブはトロ・カール嬢と、それぞれ腕を組んでいる。今年の初め、ほとんど同時に、ふた組は婚約した。

 なんでも、皇太子殿下のすすめだったそうだ。ケイブもバイルも将来の公爵だから、皇家の覚えはめでたいし、いまいちひとと話すのがお得意でない殿下とも気易く接している。会話が成り立つことはないが、殿下がいらだった様子を見せることもない。


 ログスは周囲を見た。

「パナ・ケイア卿を見なかったか?」

「いや」

「さっきまで、ライ卿と話していた。ライ卿の美しい妻も一緒に」

 ログスは頷く。ライ卿はかなりかわった格好をしているから、目印にしやすい。長い髪で顔を隠し、長身をまるめるようにして立っているのだ。

 さがしてみるが、居なかった。バイルがのんびりと云う。

「何故、パナをさがしている?」

「君ら、親しかったのか」

「いや、パナ・ケイア卿から連絡があって、宴に来るようにと云われたんだ。でなきゃあ、貴族籍から外れている僕達が、ここに居られない」

 肩をすくめた。周囲にはほかにも、慣れない礼服を着た商人達が居るが、貴族達には近寄らない。

「それもそうか」

 バイルとケイブは顔を見合わせ、それぞれの婚約者の頬へ軽く口付けた。「オック、ログスを見張っていて」

「トロ、彼女は聡明だから、君も話していて楽しいだろう。しばらくここに居て」

 オック嬢もトロ嬢も、にっこりして頷いた。バイルとケイブは左右に分かれ、貴族達のなかへ突撃していく。


 ログスは苦笑いでそれを見た。バイルもケイブも、ログスが貴族でなくなってからも、同じように付き合いをしてくれている。彼らは貴族らしくない。ほかの貴族達は、軒並みそっぽを向いたというのに。

 オック・スラミヤ嬢と、トロ・カール嬢も、かわった部類にはいるようだった。ふたりしてルアスに話しかけ、女三人で会話に花を咲かせている。ただし話しているのは、浄水装置や、肥料についてだった。

「アシャンテのたまごの薬を知っている?」

「はい」

「とても役に立つのですって……」

「ログス」

 驚いて、ログスは息をのんだ。

 バイルとケイブがつれてきたのは、皇太子殿下とその花嫁だったのだ。




 花嫁は裸足で、足とドレスの裾が汚れている。泥のなかで遊んだらしい。

 殿下はどういう訳だか、松葉杖をついていた。妻のように毒を盛られて、歩くのに不便があるのだろうか、と思ったが、どうやら骨折したようだ。

 殿下はちらっとご自分の脚を見て、こともなげに云った。「窓から落ちてしまってね。右脚は骨がくっついたんだが、左はまだなんだ」

「は……はあ」

 花嫁が跳びはねはじめた。時折奇妙な声を発する。バイルとケイブが、その真似をはじめた。同じように跳びはね、同じように声を発する。

 殿下は優しい目でそれを見て、ログスへ向き直った。

「君を宴に呼んだのはわたしだ」

「あ……そうだったのですか」

「ああ。ライ?」

 殿下が背後へそう云ってはじめて、ライ卿とその夫人が近くに居るのに気付く。ログスははっとして、殿下、その花嫁、ライ卿とその夫人に対して、お辞儀した。ルアスもぎこちなくお辞儀する。忌々しい毒はまだ彼女の体をむしばんでいて、たまに動きを制限する。


 ライ卿は相変わらず、脂じみた髪でほとんど顔を隠し、祭礼だというのに野暮ったい服を着て、かすかにドブのような香りをさせていた。

「やあ」

 声が掠れているが、以前ほどではない。夫人が研究一辺倒の夫を、なんとか健康にしているのだろうか。

 科は違ったが、二学年上のライ卿は有名人だった。ほとんど授業に出ず、研究室で薬や毒をつくり続けている、と。

「ログス・トーカー、君の商会の浄水槽は素晴らしいね」

「は? ……あ、はい」

「僕ひとりでは限界があったとよくわかったよ。貴婦人達も喜んでいる」

 ログスはぽかんとする。貴婦人?

 それから、ライ卿の在所が湖沼地帯だったことを思い出した。彼は湖や沼に親しんでいるから、それを貴婦人と呼ぶのだろう。

 皇太子殿下がにっこりした。

「ログス、君を呼んだのはほかでもない。爵位を与えたい。伯爵位を」




 ログスは今度こそ、声を失った。

 皇太子殿下はまだ喋っている。

「わたしの妻がラー伯爵家の跡取りだということは知っているね」

 ログスはなんとか、頷いた。

 殿下は続ける。

「わたしがわがままを云ったので、彼女は皇家へはいってくれた。しかしそうなると、ラー伯爵家を継ぐ者が居なくなる。そこで、ラー伯爵家の領地だったところは今は皇家のものになった。しかし、あの場所は皇都からは離れすぎている。ライ卿に打診したが、彼は領地経営についてはからきしだと断った」

「僕は長子じゃない」


 その言葉は単純に、現状をあらわしていた。普通、領地経営について学ぶのは、長子だけだ。

 ログスはそれをしてきたのに、爵位を継がなかった。

 殿下が頷く。

「なので、丁度いい人材はないかと、パナ・ケイアに相談してね。彼は優秀だから、君を見付けだしてすすめてくれた」

「で」ログスは声を震わせる。「殿下の、第二子が、継げば宜しいのではないでしょうか」

「パナ・ケイアの云うとおりだな。ログスはそう云って断るだろうと彼は云ったよ」

 ログスは唾を()む。

「しかし、わたし達の子どもが爵位を継げる状態になるまでは、長い時間がかかる。だから、君に頼んでいる」

 跳びはねるのをやめたバイルとケイブが、にやにやしていた。殿下に事情を聴いたのだろうか。


 ログスは喘いだ。「その……殿下の御子の為に、自分が一時、爵位を戴いて、つなぎをするというのならば、おうけします」

「ふむ」殿下は肩をすくめた。「すべてパナ・ケイアの云ったとおりだな。彼には特別手当を支払わないといけない」

 殿下は嬉しそうに、跳びはねるのを辞めて爪を弾いている花嫁を見た。彼女はうっとりした様子だ。

 ライ卿が肩をすくめている。「ラーの領地はうちに近い。実験できる池や沼があるから、商会の研究者達も幾らかつれてくるといい。僕もあの浄水槽については、くわしく知りたい」

 ライ卿の妻が呆れたように夫を見たが、すぐに笑った。ルアスもそれにつられたみたいで、くすくすしている。

 ログスは気を失いそうだった。




 トーカー家は叔父がうまくまわしているらしい。子どもは男の子で、きちんとした教育をうけさせるだろうと噂で聴いた。


 リビン卿もクラン嬢も、元気だ。クラン嬢は毒になるものをとらないように気を付けていたら、身籠もったと、大喜びで伝えてきた。いつの間にかルアスとクラン嬢は親しくなっていて、ログスは疎外感を覚えている。


 トーン家も、特に何事もないようだ。ログスが一時的な伯爵位を与えられたことについても、是とも非とも云ってこない。ルアスとは縁を切りたいらしい。ログスにしてみれば、トーン家と関わりたくないので、丁度よかった。

 ルアスがどう考えているかは知らないが、彼女はいつも、姉の形見だというリボンの切れ端を持ち歩いている。




 ログスはこのところ、夜になると、妻と邸のまわりを散歩する。月光や星明かりならば、妻もあざの痛みを訴えない。

「お星さまが綺麗ですね」

「ああ。バラ園はどんな様子?」

「大変です。でも、楽しい」

 ラー伯爵邸には、バラ園があった。彼女はその手入れを、このところ行っている。

 ログスは振り返った妻に、微笑んだ。「ルアス、君のほうが星よりも綺麗だよ」

 妻はにっこり、笑う。白粉がひび割れる心配がなくなってから、妻はよく笑うようになった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 最期がちょっと泣ける…。 最終話の最初がとても素晴らしかったです。 良くも悪くもおろかでも賢くもあるのが人であるのだと。 [一言] 王太子夫婦と沼夫婦が再登場嬉しかったです。王太子まだ足の…
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