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 治癒室へ行ったが、ケイブがその扉の前で呆然と立っているだけだった。彼は、ルアス嬢は大丈夫だそうだ、と云い、バイルと同じように責任について話した。

 令嬢の隠しごとを暴いてしまったのだ。決まりは悪いし、(しゅ)にわびる気持ちになっている。ケイブも、ログスがだめだったら僕がルアス嬢をなんとかまもると誓ってくれた。よい友人を持ったと思ったが、それ以上に彼女が自分以外と結婚するかもしれないことが嬉しくない。

 ログスは治癒室へはいろうとしたが、教員に拒否された。ルアス嬢は動揺していて、ログスに会いたくないそうだ。




 ルアス嬢は翌日、白粉を完璧にはたいて、寮から出てきた。

 ログスに気付くと、さっと目を伏せる。ログスはなるべく、自然に見えるように、彼女へ近付いていく。「やあ、ルアス嬢。おはよう」

「……おはようございます」

「少し歩かないか?」

 彼女はこっくり頷いた。


 ふたりは少しだけ、距離をとって、寮の裏庭へ歩いていく。授業があるが、どうでもよかった。ログスはただ、彼女に怒りをしずめてほしかった。彼女の哀しみを取り払ってあげたかった。

 いつかのように、倒木に腰掛ける。彼女も遠慮がちに座った。脚がぶらぶらと揺れる。


 しばらく、どちらもなにも云わなかった。口火を切ったのはルアス嬢だ。

「夜は、ものが見えにくくて、いいですね」

 ログスは口を開き、しかし閉じる。邪魔をしてはいけないと思った。

 ルアス嬢は項垂れている。

「夜が好きなんです。顔のことを、昼間ほどは気にしないでいられるから。白粉をうすく塗っただけでも、気にならないから。白粉が崩れないかって、笑わないようにしたり、しなくていいから。誰も不快にさせないですむから」

 それで、彼女はいつも、茫洋とした表情をしているのか。

 それで、彼女は夜だと、表情が少しだけ豊かになるのか。

 ログスがなぐさめを口にする前に、ルアス嬢はぱっと、ログスを見た。糖蜜色の瞳がきらきらしている。

「わたし、お姉さまのことが大好きでした。だから、みんなにはないしょよって、乳母から渡されたお菓子を、お姉さまにさしあげたんです。お姉さまは、ありがとうねルアスって云って、ほんのひとつ食べただけなのに、意地汚いわたしは沢山食べたのに、死んでしまったのはお姉さまだったの」

 ルアスの目から涙がこぼれた。「ねえ、どうしてなの? わたしが死んでいる筈だったのに」

 ログスは答えを持っていない。




 事故とされたのは、企んだのがルアスの姉の母親だったからだ。

 ルアスと姉はよく似ていた。勉強も同程度できた。歳がひとつ下のルアスのほうが優秀だということだ。

 ルアスの母親は貴族の出ではない。ルアスを生んですぐに亡くなった。

 ルアスの姉の母は、貴族の出ではない女の娘が、リビン卿と婚約しようとしているのに、腹をたてた。


 そもそも、姉がリビン卿と婚約しようとしていて、死んだからルアスにお鉢がまわったというのが、真実ではなかったのだ。

 ルアスがリビン卿と婚約しようとしていた。彼女の父親がそのように手配した。それを、ルアスの姉の母が嫉妬して、ルアスの容貌を損なおうとした。そうすれば、ルアスの姉が婚約できるだろうからと。

 しかしルアスは心の優しい子だった。ルアスの姉も、ろくでもない母親と違って優しかった。

 なにかにつけ比べられ、対立をあおられていたのに、ふたりは仲がよかったのだ。ルアスが、密かに入手したお菓子を、姉と分けるくらいに。

 あの毒は、ひとによってききかたが違う。それに、菓子のなかの毒の量にばらつきがあったのだろう。彼女の姉は運が悪かった。そうとしか云いようがない。


 トーン家にすれば、家中での争いだ。皇家に咎められないよう、隠蔽する。そういった不祥事は、家ごと罰せられる理由になるからだ。

 ルアスの姉は事故死、ルアスは病でしばらく療養。そういうふうに、対外的には発表するしかなかった。

 それが、ルアスが姉を毒殺し、幽閉された、という話になったのだ。

 ログスは腕を撫でる。肌が粟立っている。違う。噂には出所がある。おそらく、トーン子爵の妻、ルアスの姉の母が、そういう噂を流したのだ。娘を殺したのは自分なのに。

 ルアスの姉の母は、今ものうのうと、トーン子爵の妻として生きている。ログスは今すぐ、トーン家の領地へ行って、その女をくびり殺してやりたいくらいだった。ルアス嬢の心に決して修復されない傷を負わせた卑劣な女を。


 ルアスが、しあわせになりたくないようなことを云っていたのも、意味はわかった。姉に対しての引け目があるのだ。

 まだ、ああやって、涙を流すくらいに。




 ルアス嬢はぼそぼそと喋り、ログスは事態を把握した。立ち上がって、少し離れたところに座っている彼女の前へ行き、ひざまずく。

「無礼なことをしました。ゆるしてください」

「……わたしこそ、ごめんなさい。あざのことを隠して、婚約するなんて」

「その程度のことは、婚約には関わりないだろう」

「リビン卿は、いやがりました」

 授業棟に行ったらあのまぬけを見付けられるだろうか? 決闘を申し込んだら、あいつはどうするだろう。ルアス嬢の傷を抉るような真似をして、あの()()も殺してやりたい。

「あのまぬけがどうかは、この際おいておきましょう」ログスは理性を総動員して、微笑みをつくった。「僕は君の顔にあざがあっても、君の美しさは損なわれていないと思います。君さえよければ……」

 息が詰まった。

 ログスは喘ぐ。項垂れる。

 それから、言葉をしぼりだした。

「ああ、本当に……本当に、すまない。僕は君に隠していることがある。誰でもよかったんだ。誰でも。すぐに結婚できるのなら。僕は、父が二月(ふたつき)以上前に死んでいるから」


 ジャシ皇国の国法によれば、爵位は長子に受け継がれる。男女の別は関わりない。長子が継げない場合は第二子以降が継ぎ、条件を充たす子どもが居なければ最後に爵位を持っていた人物のきょうだいが候補になる。

 しかし、爵位を持つには、結婚している必要がある。

 その為に、皆、婚約者なんてものが居るのだ。すぐに結婚できるように。すぐに条件を充たせるように。爵位持ちが死んでから、三月(みつき)以内に結婚し、跡を継ぐ、という。

 だのに、ログスの婚約者は、土壇場で逃げた。

 だから、ログスは、結婚している叔父に、爵位をとられそうになっている。


「卑劣でしょう」

 ログスはかかとに尻をつけて座っている。脚が痺れていた。

「僕は、誰でもいいからとにかく結婚相手がほしかった。あなたがリビン卿に糾弾されているのを見て、好都合だと思った。こんなにはじをかかされて、そこから救い出したら、この子はなんだって云うことをきくだろうと思ったんだ」

 云いながら、自分に吐き気がしていた。

 ログスはもごもごと続ける。

「まったくもって、見下げ果てた男ですよ、僕は。爵位がなんだ。そんなもの誰にだってくれてやればいい。でも」

 唾を()む。「でも、あなたを失いたくないと思っています。今となっては、あれは(しゅ)のお導きだったと。僕が婚約者に捨てられたのも、あなたを見付けたのも。ああ……」

 声が掠れた。

「ルアス嬢、僕は、婚約者を叔父にとられたんですよ。しかも彼女は妊娠しているらしい。芝居でもこんなにひどい筋書きはない」




 あの〈手紙〉が来た時、ログスは実際に吐いた。

 叔父は若いと云え、四十に手が届く。その叔父と、ログスのふたつ上で去年学校を卒業したばかりの婚約者が、子どもをつくったという。

 叔父には妻が居たが、早世していた。ログスの婚約者だった女は、叔父を()()()思い、ログスのような手前勝手な人間とはやっていけないと、叔父を選んだ。

 彼女の家は、ログスがすぐに、丁度いい娘を見付けられないほうに賭けた。ログスが期日までに結婚できなければ、叔父が爵位を継ぐ。

 彼女の家からの婚約を破棄するという〈手紙〉は、丁寧だけれどどうにも無礼で、腹がたつ文章だった。

 ログスは怒りと羞恥で身を焼かれながら、他家に嫁いでいる叔母や妹の力をかり、なんとか爵位を受け継ごうと、すぐに結婚できそうな令嬢をさがしまわった。

 だが、どうにもしようはなく、ほとんど諦めていた。

 そこに、(しゅ)のお導きで、ルアスと出会った。


 ログスは顔を上げられなかった。ルアスを見付けて飛びついた自分を殴ってやりたかった。もしあの瞬間に戻れたなら、リビン卿を殴り、ルアスに心から求婚しただろう。あんな、ふざけた態度や、彼女をばかにした言動をとらずに。

 だが、時間はもとには戻らない。彼女の顔をさらしたことも、なかったことにはできない。

「僕が卑劣な人間だとわかったでしょう」

「……いえ」

 顔を上げる。

 ルアスは微笑んでいた。涙で白粉が流れ、右目の下のあざがはっきり見えていた。

「そういう、間違いをしたからって、ログスさまが卑劣という訳では、ないです」

「……ルアス嬢」

「いいひとだって、たまには、ずるいことや、間違ったことをします」

 ログスは息を吐き、吸った。

「ルアス嬢。爵位などどうでもいい。僕と結婚してはくれないだろうか」

 ルアスはゆっくりと、頷いた。




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