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 期限は迫っている。


 ルアス嬢は毎日、白粉を綺麗にはたき、きちんと制服を着て、ログスの前にあらわれた。彼女は制服と寝間着しか持っていないみたいで、休みの日であってもほかの令嬢のように華やいだ格好をすることはない。

 その制服にしても、丈が短くなってしまっている。彼女の家族は、娘の身長が伸びることをまったく考えていないらしい。

 彼女はおとなしく、はかなく、頼りない。だが、ログスには彼女のありようが、とても美しく思えた。彼女はいつでも、最善をなそうとする。限りなく優しくあろうとする。無礼な求婚をうけてしまうくらいに。

 ログスは花嫁のドレスを用意してはいたけれど、彼女に結婚の話を切り出すのはこわくてできなかった。婚約を破棄されたあの苦い記憶が、どうしても邪魔をする。




 きゃっと悲鳴が聴こえて、ログスは立ち停まった。

 ついと、左を見る。ログスは丁度、皇立学校の廊下の、十字が交わる部分に居た。左の突き当たり、その角を曲がった向こうから、声がした……と思う。

 一緒に歩いていたケイブとバイルも、立ち停まっていた。それから、三人は目をかわす。

「今のは……」

「ルアス嬢じゃないか?」

 自分の耳の迷いではなかった。ログスは鞄をほうりだして、走った。「おい、ログス!」


 角を曲がると、うずくまった彼女が居た。数人の女生徒が、はっとして踵を返し、走って逃げていく。一瞬のことだったが、顔は見えた。

 彼女達がほうりだしていった木桶が転がってくる。ログスはいらだちのままにそれを蹴った。あのばか女どもは、俺の婚約者に水をぶっかけやがった。それも、掃除につかったような汚い水を。

「ルアス嬢」

 ログスは怒りに声を尖らせ、彼女に近付いていった。こういったことは、今に始まったのではないだろう。いやがらせというのはどんどん度合いがひどくなる。最初からこんな真似はしない。彼女は()()()()俺に相談してくれなかったんだ。安心できるなどとほざいたくせに。

「さあ、これで顔を拭くといい」

 綺麗な髪がしとどに濡れ、彼女は異臭を放っていた。手巾をさしだしたログスは、顔をしかめる。あの小娘ども、ただではおかない。僕の婚約者にはじをかかせるなど、トーカー家にたてついたのと同じだ。なにしろ僕は……。

「近付かないで」

 ルアス嬢の拒絶の言葉で我に返ったログスは、ぽかんとした。


 ルアス嬢は項垂れたまま、ゆっくりと立ち上がった。ログスは彼女の腕を掴むが、彼女はそれを振り払う。

「ルアス」

「顔を見られたくありません」

「なにを云っている?」

「どこかへ行って」

 ルアス嬢の声は緊張していた。ログスは眉を寄せる。「僕がどこに居ようと、あなたに指図されるいわれはない。あなたは僕にはじをかかせたいのか? いやがらせをされた婚約者をほうりだして、まぬけ面をさらして授業をうけていたと?」

「そういうことではありません」

 ルアス嬢の足許には、水溜まりができていた。黒く濁った水だ。それに、白が斑にまざっている。

 それで、わかった。彼女は白粉がとれたことを気にしている。


 バイルとケイブが走ってきて、ルアスの後ろ姿にはっとした。どちらも手巾をとりだし、ログスへさしだす。

 ログスはそれを見てはいたが、まともにわかっていなかった。「ルアス嬢、顔を見せなさい」

「いいえ」

「見せなさい!」

 婚約者に隠しごとをされるのはもううんざりだ。彼女はなにを隠している? なにを?

 ログスは激情のままに彼女の腕を掴み、乱暴に顔をあげさせた。手巾が落ちる。ルアス嬢は抵抗したが、ログスの腕力にかなう力はない。

 ケイブが息をのんだ。バイルが云う。「なんてことだ」

 ログスは彼女の素顔をさらしたことを一瞬で後悔した。彼女の顔には紫色のあざが斑にあった。それは顔の上半分をほとんど覆っていた。




 ケイブが上着を脱いで、彼女にかぶせた。「治癒室へつれていく」

「あ……ああ」

 ケイブが彼女を促し、歩かせる。彼女はまた、おぼつかないあしどりで歩いていく。

 目を瞠っていたバイルが、喘いだ。

「なんてこと……ログス、聴いているか」

「知らない。なにも聴かされていない」

「驚いたな。彼女、毒を盛ったのじゃなく、盛られたのじゃないか!」

 ログスはぼんやり、頷く。あわせた上下の歯がきしんだ。どうしてあんなばかな真似をしたんだろう。彼女がいやがっていたのに、顔をさらすなんて。


 バイルの云うことは理解できた。

 令嬢の結婚を妨害する為に、容貌を損なおうとする愚か者どもが居る。あの紫のあざは、ある毒によってできるものだ。その毒は、ひとによっては死ぬこともある。

 しかし、よりによって、顔にあれだけのあざができるとは。

 ログスは、ルアス嬢の気持ちを考えようとした。きりきりと胃が痛む。どれだけつらい思いをしただろう。どれだけの量の毒を盛られたのだろう。死ぬような目にあったに違いない。体の目立たないところにほんの少しのあざができて、それで助かる娘も居るのに、(しゅ)は不公平にも彼女にあんな仕打ちをした。

 バイルは頭を振り々々、落ちてしまったログスの手巾を拾う。バイルの顔は悲痛げにゆがんでいた。「ログス、彼女に謝るべきだ」

「ああ」

 ログスはバイルを見、吐きそうに気分が悪いと気付いた。彼女は俺に、あのあざを見せなかった。深夜に白粉をはたきなおして俺の前にあらわれた。あれを見られたら婚約を破棄されると思ったんだろうか。俺がそんなに、卑劣な人間だと思ったのだろうか。

 彼女に軽蔑されたくないと強く思った。

「バイル、もし俺がだめなら」

「お前がゆるしてもらえなかったら、僕やケイブが彼女に求婚する。僕達にはそれくらいの良心は備わってる。誓うよ」

 バイルがそう云い、ログスはかすかに気分がよくなった。それから、ひどい仕打ちをした自分が受け容れられることはないだろうから、おそらくバイルかケイブが彼女と結婚するのだろうと考えた。

 そう考えると、悔しさで体がちぎれそうだった。




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