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 深夜、ログスは婚約破棄を伝える〈手紙〉を夢に見て、とびおきた。

 そのままベッドをおり、化粧着をひっかける。ろくでもない夢を見た。二度と味わいたくない時間を繰り返すなんて。

 ログスは低声(こごえ)で悪態をつき、部屋を出た。




 ひどい気分は、散歩で和らぐかと思った。そんな奇跡は起こってくれなかった。

 ログスは酔ったようなあしどりで、寮の裏庭をうろついている。部屋を出て、建物中央の大広間を通り、玄関広間をぬけて外に出た。それからずっと、歩いている。ところどころに常夜灯が点されているので、転んでみっともないことになったりはしなかった。いっそ、そうなってくれたほうが気が楽だ。どちらにせよ、気分はそれくらいみっともない状態になっているのだから。


 ここを通るのは三度目だ。キンミズヒキにハゼラン、アレチハナガサの繁み。靴下をはいていない脚に、葉がちくちくと攻撃してくる。その傷みでも、悔しさや憤ろしさ、みじめさは消えてくれない。


 どうして俺がこんな目にあわなくてはならないのだ? 俺がなにをしたというのだ。真面目に学び、トーカーの血を途絶えさせないようにあの女を愛そうと努めた。それがどうして、婚約を破棄されるなんて屈辱をうけることになる。


「ログスさま……?」


 ログスはびくっと震えて立ち停まり、振り向いた。うすっぺらい、くるぶしが見える丈の寝間着に、化粧着をひっかけ、ランタンを持ったルアスが、亡霊のように立っていた。




 ログスはしばし、言葉を失っていたが、我に返って彼女に駈け寄った。自分で思ったよりも、焦った声が出る。「ルアス嬢、何故このようなところに」

「ログスさまの姿が見えたので……」

 ルアスはすいっと、寮を示す。女生徒の部屋がある棟だ。

 ログスは口を開け、閉じ、また開ける。

「あなたは……天体観測でもしていたのか」

「いえ、眠れなくて。リビン卿が、怒っていらしたし、ログスさまは、優しくしてくださいましたし、バイル卿とケイブ卿は、とても楽しくて……なんだか、気持ちがたかぶっているみたい……」

 ルアスはぼんやり、笑う。ログスは、彼女は精神遅滞だろうか、と、少しだけ思った。もしくは、なにか厄介な、精神的な問題を抱えているのでは? 自分を毒殺魔のようにからかっていたバイルとケイブを、楽しい、だなんて。


 それに僕は優しくなんてしていない。彼女を利用しているだけだ。なんの問題もなく、トーカー伯爵夫人になれる、丁度いい女を捕まえたと云うだけにすぎない。


 ログスは微笑んでいるらしいルアスを見て、なんだかよくわからない気持ちで気分が悪くなった。「あまり僕を信用しないほうがいい」

「はあ……」

「僕は君の思っているような、優しい人間じゃない」

 自分の行動に整合性がとれない。

 あの夢は、見たくないものだった。あんなものの所為で僕は動揺している。我を失っている。

 自分の云ったことに激しい動揺を覚えたログスに、ルアスは微笑んで云い放った。「ログスさまを優しいとは、思っていませんわ」




 ログスはルアスを見る。

 額から汗がしたたり、目にはいった。

「なに?」

「ログスさまを、優しいとは、思っていません。そう申し上げました」

 ログスは目をこする。

 ルアスは常夜灯とランタンの乏しい灯、それに星と月に照らされて、にっこりした。

「ルアス嬢……?」

「ログスさまは、優しくしてくださいました。でも、それが、ログスさまが優しいという証にはならないと思うんです。悪いひとだって、優しい時はあるでしょう?」

「……ああ」

「でも」

 ルアスは笑みをうすくして、ログスへ手を伸ばしてきた。小さな手が、ひんやりとした手が、ログスの顔の汗を拭った。

「悪いひとでも、優しくできるのなら、それでいいのじゃないかと思います。心のなかは、誰にもわからないから。心が醜くても、行動が美しければ、それで充分です、よね?」

 ルアスはどうしてだか、そこまで云って、かすかに顔をしかめた。

 ログスは彼女をひっぱって、抱きしめた。




「こんな時間に、外へ出るものではありませんよ」

「はい、ログス卿」

「僕だって男なのだから」

「はあ」

「ああ、今のは、忘れてください。そうじゃないんだ、僕が云いたいのは。なににせよ、危険だということです」

「それなら、ログスさまも危険だったのではありませんか」

「勿論。でも、男は危険を冒すものなんですよ。なにしろ、母親のおなかのなかに、思慮深さを置き忘れてきている」

 ルアス嬢はくすくすっと笑った。昼間、ぼんやりしていたのとは違って、感情が少しだけだがわかる。表情が豊かになっているのだ。

 ログスとルアスは、並んで座っていた。裏庭には、二月前の嵐で倒れた木がそのままになっている。腰掛けて休めるようにだろう。そこに座っている。

 ルアスはくるぶしが可愛い。倒木はそれなりに太いものだから、ルアスは足が地に着いていなかった。


 ログスはまだなにか喋ろうとしていたのだが、声が出なかった。

「ログス卿?」

「ああ、いや」ログスは微笑む。「よい思いをしているなと、思っていたんです。僕だけが」

「わたしもです」

 ルアスは小さく頷く。「ログスさまが優しくしてくださって、わたし、分不相応みたい」

「ん?」

「だって、姉はわたしの所為で死んでしまいましたから」

 ログスは目を瞠る。

 ルアスはにこっとした。「ですから、ログスさま、あまり優しくなさらないで。しあわせになってしまいますから。わたし、そんなことになったら、(しゅ)に顔向けできません」




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