第七話 自分で疑問を持つ自由
「疑問」と「答え」は本来、セット。「与えられた問題」に答えることばかりやらされていると、おかしくなる…… 「自分で疑問を持つ」ということがすごく大事…… 高名な元解剖学者の方のお話を思い出して、要するに、こういうことか? と書き出したものです。先生のお考えは、上記の部分だけです。後は、こっちで解釈したことです。
先生のお考えは、ご著書でどうぞ。
今の教育は、問題を与えるでしょう?
あれが問題だと思うんですよね
疑問を持つことがすごく大事なんですけど、そこを伸ばさないで、与えられた問題に答える習慣をつける。ロボット化は その辺りからはじまってるんですよ
こないだ話した建築家は、子供の頃、先生の出した問題について質問してたらしんですけど、どういう対応されたかというと、特殊学級に入れられたというんですよ。そんなの担任の一存では出来ませんから、それが当然だと考える人が何人もいたということです
自由は必要か? と尋ねるとみんな うん というけれど、自分で考えた疑問じゃないことに答えさせられているというのは、自由を奪われているということなんです。
極論すれば、疑問を抱かない者に自由なんてないわけですよ。鎖付けられていても、逐一指図されていても、疑問に思わなければ、不自由は感じません。今は、そういう人が多いんじゃないでしょうかね。
通帳に少しお金があって、買い物したり、好きな物を食べられたり、遊びに行けたら、それで自分は自由だと思っている。
実際、学生にこう云われましたよ。
「オレたち、それでイイッス。面倒なことは、嫌なんスよ」
そうこうしてるうちに改憲が迫り、格武装までしようとしているわけです。戒厳令が敷かれても、しばらく我慢してれば元に戻ると思うんでしょうね。あるいは、皆んな我慢していると云われたら、そういうものかと納得するんでしょう。
どこからか攻撃されるか、徴兵でもされてはじめて、どこでどう間違えたんだろう、と疑問に思うんでしょう。
それたぶん相手も同じですよ。戦争すべきだと信念持ってやる連中はごく一部で、多くの人は怪我だってしたくない。それなのに気がついたら戦争することになって、男なら兵隊ですよ。兵隊は兵隊殺してもいいことになってる。殺されても犯罪じゃない。しかし、上官に口答えすれば犯罪。やられるとわかってる作戦だって、従わなければ犯罪。
戦争だけじゃなく、遭難でも事故でも病気だって、疑問を持つのは、もう遅いということがある。それから、自分で疑問を持つのにも技術と経験の積み重ねが必要で、一朝一夕には行かないんです。
こう云っても、「戦争に反対しても殺されるんでしょ? だったら、同じじゃないですか?」て、云われそうですけどね。考えるだけ、ムダという感覚がどうも蔓延している。
下手な考えなんとやらといいますが、最初は誰だって下手ですよ。そこでやめたら、いつまでたっても、詳しい人に教えてもらったほうがいいという感覚になる。自分の健康を医者頼みにするとかね。
でも、今の医者は、治さず通院させ続けた方が儲かる。病気を現状維持するプロなんです。健康を維持する専門家じゃない。専門家と一口に云っても、早期発見が大事と云うことで、やたらと検査するのがいいと思っている専門家もいれば、たいていのことは自分の身体が治してくれると思っている専門家もいる。自然治癒力を損なわない生活を重視するわけですね。
まあ、大多数は前者であって、乳房取りましょうとか。前立腺取りましょうとか云い出す。云われてから、考えても厳しいですよね。今さら、別の医者探すとか、そうこうしているうちに手遅れになるんじゃないかとか。
やはり、日頃から、考えておくことが大事。しかし、疑問を持たない限り、考えることは出来ませんから、自分で疑問を持つことからすべてがはじまるんです。
テレビでね、うつ病のことを、わーと云い出すとか。逆流性食道炎がどうのとか、子宮ガンがどうのとか、キャンペーンですよね。それを見て考えるというのは、それは乗せられてる、というんです。
問題は問題として知りつつ、気分は明るくを心がけています。そのように読んでいただければ、ありがたいです。ありがとうございました。