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comimi ポケット  作者: ひあし伸歩
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第十四話 「病は助け」

 わたしが、聴いた順序だと、「病は気づきである」 が最初で、その次が、「病は主張である」。そして、今回が「病は助けである」。

 それぞれ別の方の発言ですが、まるで一作の前編・中編・後編のようでもあります。

これまでの重複になりますが、前編・中編をなぞってから、「病は助け」のお話に移りたいと思います。


「病は気づきである」というのは、


 病気の初期段階(風邪のような症状)で、「気づいて」生活を改めれば、病気は重症化しない。生活を軌道修正することで、人生も豊かになる、


そういうことだと思います。


 それに対して、「病は主張である」というのは、


 初期症状を無視したり軽視したために、より重い症状になるということです。目覚まし時計のアラームの音が大きくなるようなものです。しかし、まだ手遅れではありません。そこで改めれば、重症化の手前で引き返せる。ところが、痛み止めなどの対症療法で、同じ生活を強行すると、そのまま重症化にまっしぐら。


 これは知る人ぞ知る気功の名人の言葉です。標準医療ではもはや難しいという人たちから頼られるヒーラーです。「こんなにひどいことになる前に、云ってよ」という思いがあるので、強い言葉になる。


 一つ目の言葉がやさしいのは、発言者が救命医だからかもしれません。内科医だったりすると、患者が徐々に悪化するのに自分も付き合っているわけで、いわば自分にも責任があります。しかし、救命医の場合は、患者は常に初対面なので、そういう責任がありません。なので、おだやかに正論が云える。まあ、人柄もすばらしい方ですが。


 では、今回の「病は助けである」というのは、どういうことか。


 発言者は一般人の方です。強いて肩書きを作れば、元ベテラン患者。約五十年の不調を卒業された方が、「病は助けである」と結論された。


 その方は、どこの病院に行っても治らないので、ご自分で本や論文などを調べ、自分で出来ることを試みられるようになりました。

 そういう方は少なくないと思いますが、その方が並みではないのは、いつのまにか英語の論文が読めるようになったということです。外国には見やすいデータベースや、医療メディアがたくさんあるそうで、これがその人を自由にした。

 ざっくり云えば、多くの病気には、原因についての解釈や治療法が複数あります。すべてが仮説です。定説があるものでも、すべての患者がそれで治るわけではなく、定説が通用する範囲は少なければ六割とか。多くても九割くらいではないでしょうか。

 一ヶ月、二ヶ月で治ればいいですよ。しかし、自分の子供がなかなか治らないとなれば、親なら、考えますよね? 医者の見立てや治療法が見当違いなのではないかと。ところが、自分のこととなると、結構、ズルズルと何年も通院を続けたりしている。悪化する事への恐怖が半分。あと半分の理由は、医者を疑って自分で考えるのが面倒だと云うことでしょう。

 でも、欧米のデータベースやさまざまな医療媒体のニュースを見渡すと、両極端な仮説があることに気がつく。もちろん、主流の解釈や方法論は、日本と同じことが多いと思います。しかし、異端がちゃんと存在している。

 異端というと、奇抜な解釈や治療法かと思われるかも知れませんが、主流が新薬の場合は、異端のほうがオーソドックスな治療法や自然志向ということになります。

 患者にとっては、治るならどっちでも良いわけですが、逆に言えば、治らないときには、自分で選んだ方がいいのではないか。

 その方がン十年の闘病生活を経て手にされた極意は具体的には、「歩くこと」と「腸内環境を整えること」、その二つなんですが、その根本には、自分の健康法・治療法は、自分で選ぶと云うことがあるのです。その発想を、外国の豊富な情報にアクセスすることで、獲得された。それが大きな転機だったと思います。


「歩くこと」と「腸内環境の改善」によって解消された不調の中には、不定愁訴、ひどいめまいやパニック障害も含まれています。普通は、ひきこもりたくなるような症状であり、精神薬が処方されるような「沼」な病気です。それが治ったというのは、どういうことか?


 あくまでその方の場合ですが、それらの原因は特殊な難病などではなく、不健康な生活にあったということです。

 少し補足しておくと、近代以前の暮らしと比較すると、現代人の普通の生活は、十分、不自然です。環境も食べ物も人間関係までもが、人類の長い歴史からすると激変です。個人差はありますが、そのどれに適応的なくても不思議ではありません。周囲の人と同じように生活しているということは、健康の担保にはならないと思います。


 花粉症なんかわかりやすいですよね。家族全員とか職場全員が発症するわけではありませんから。アスリートだから罹りにくいとか、若いと罹りにくいとか、そういうこともありません。それに対して、強いか弱いかです。

 そういうハードルが現代社会には無数にある。基準範囲内の農薬や食品添加物や大気・水質汚染、あるいは騒音であっても、平気な人もいれば、過敏な人もいる。

 その方の場合、これが問題だったという特定はされていないので、その意味では原因療法ではないのですが、「歩くこと」と「腸内環境の改善」によって、ともかく健康になることが出来た。あくまでその人の個人的なケースですが、同じパターンで苦しんでいる方が、もしかしたら他にもおられるかもしれないと思い、紹介させていただくことにしました。


 余計なことかも知れませんが、その方は数年前より、ブロガーとして経済的にも自立されたようです。健康問題に限らず、世の中の出来事に対する見方が鋭く、多くの人に支持されているのは当然だと思いますが、もし仮に、深刻な病気体験が無くて、単に時事問題だけを我流で語っていたとしたら、たぶんその他大勢のブロガーの一人だったでしょう。とてもお金など支払ってはもらえなかったと思います。


 また、これはもっと余計なことかも知れませんが、今回の○○デミックや○○チンに関しても、初期からさまざまな異端の見解や仮説を紹介されたことも特筆されます。まあ、外れる可能性もあったわけですが、選択肢を示したことが大きかったと思います。

 こういっては何ですが、どこの病院でも治らなかった者には、いわば疑問を口にする資格があると思うのです。素人は黙っていろ、が通用しない場合がある。

 医療にも得手不得手や影の部分があるというのは、当然のことですけどね。ある意味、医療も道具であり、使いようです。患者が自分の責任を放棄して、医者や薬に依存しているなら、そこにも問題がある。


 でも、それもこれも、ひっくるめて感謝できるのが幸せな人生。「病は助けである」というのは、たぶんそんな気持ちの表れです。


 と、だんだん「いいお話」みたいになってきましたが、現在、病気中の方にしてみれば、「じゃあ、わたしたちは間違ってるの?」、「病気が治らないのは、わたしのせい?」と、聞こえるかも知れません。

 だから、ということでもないですが、「いいお話」にはしません。


 この元ベテラン患者さんから皆が学ぶべき教訓があるとすれば、その第一は、自分で健康法・治療法を選択することにした、ということだと思います。

 健康や治療には、どうしても人によって当たり外れがあります。真面目な人が健康でいられるとか、すぐに病気が治るという法則はありません。あんなに健康に気を使っていた人が……ということはあるんです。

 ただ、自分で選んだという意識があれば、結果がすべて、ではなくなります。好きに生きての貧乏と、云われた通りにやったのにダメだったという人生は、全然違います。


 この元ベテラン患者さんが、神さまから受け取ったものは「今の健康」だけじゃないということです。

 健康になれたときに、「五十年分の病気」も受け入れることが出来たから、「病は助け」という言葉が出たのだと思います。


 もし、「五十年分の病気」受け取りを拒否していれば、どうなっていたか?


「あの医者のせいで、あの病院のせいで、あの薬のせいで、オレは人生を棒に振った!」


 そうなっていたでしょう。もしそんなふうに考えるようになれば、せっかく健康になれたのに、今度は憎しみと後悔にさいなまれることになります。そうなれば、不治の病のままだったほうが、心が乱れなかったかも知れません。


 極論じゃないですよ。長期間の病気であれば、「治る」ということも、いわば環境の激変ですから、それに適応するのも大変なんです。

 ちょっと違う例になりますが、脳の病気なんかで、一時的に治るということがあります。これがどれだけ悩ましいかということは、小説や映画でも取り上げられています(『レナードの朝』、『アルジャーノンに花束を』、そして『ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記』など)。


 もしあなたが神様なら、「この人の病気を今、治した方が良いのか?」 それは相当、微妙な判断になるかもしれません。幸せと結果は、必ずしも一致しません。


 一部には、○○デミックが延々と繰り返されるとか、免疫の低下が起こって、あらゆる病気が増える、というような不穏な予測がありますが、そんな時代であるからこそ、なおさら健康法・治療法を自分で調べて選択するということが大事になるかと思います。


 なんとか助かろうというよりも、結果をありがたく受け入れる、という意味で、主体性が問われる時代……。




思い入れが強く、つい長文になってしまいました。わたしも元ベテラン患者の一人なんです。普通の意味では、無為な人生。なんとか自分で意味を掬い上げたい。ありがとうございました。

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