第十二話 「病は主張」
「氣功」の先生のお話から
救命医の先生から「病は、氣づきですから」という言葉を聴かせていただいたのが昨年のこと。なるほどと、うれしくなりましたが、今回、「氣功」の先生から教わったのは、
「病は、主張」
本質的な意味は同じですが、ニュアンスは違いますね。
「病は、氣づきですから」の場合は、穏やかな忠告。
「しんどくなれば、休みが必要だと云うことですよ。生活や環境に何か問題があるということですよ。立ち止まって、反省して、改善した方が良いですよ」 ということですね。
一方、「病は、主張」という云い方になると、こうなります。
「対症療法の薬なんかで、熱を下げるとか、咳を止めるとか、痛みをとるとか、そういうことだけやって原因を放置すれば、病氣は必ず別の形で主張します。二つ目、三つの目覚まし時計が鳴り出す。
目覚まし時計を複数使っている人ならわかると思いますが、二つ目の目覚まし時計の音のほうが小さいということはありません。後ほど、強力になる。つまり、重い症状が出るということです。
ですから、最初の軽い症状を適当な薬で抑え込むのはとても危険なことなんです」
「西洋の近代医療には、症状だけを薬で緩和して、治すのは患者の自然治癒力を期待するという、そういうところがあるんです。対症療法で時間稼ぎをしているだけ、というケースがいまだにたくさんあるんです。
せっかく時間を稼いで、その時間でそれまでの生活を漫然と続けたりすれば、そりゃあ、病氣は怒ります。病氣はどんどん悪化します」
僭越ながら、付け加えるとすれば、
「病気も生き方。病気も自分」
ということでしょうか。その人の人間性が出ますね。行けるとこまで行けばいいや、という楽観的な人、医者委せ、薬委せの依存的な人もいれば、自然志向、自分で工夫するのが好きな人もいる。考え方、方法はいろいろ。正解探しよりも、自分で納得するのが大事かも。
ありがとうございます。