第十話の続き 惰性が大人のドリームキラー
前回、「ドリームキラー」の例として、子供の夢を壊す人たちや行動のことを紹介しましたが、大人の夢を壊す「ドリームキラー」は存在するのか?
人によっては、上司や妻、夫を思い浮かべるかもしれません。あるいは、地方の若者なら、仲間が引き留めるかも知れない(地方では、互助関係がとても重要。もっともな理由はある)。
ここでは、相手がいない場合のことを考えてみます。遮る人は誰もいない。にもかかわらず、夢を追いかけようとしないケースですね。
その場合、何がその人を立ち止まらせているのか?
前回の話の中から原因を探すなら、「コンフォートゾーン」ということになりそうです。「針のむしろ」の逆バージョンですね。茹でガエルの「ぬるま湯」。このままじゃ危ないのに、動けない状態。惰性で生きてしまっている者にとっては、今の「コンフォートゾーン」こそが「ドリームキラー」であるという。それが真実のようです。
では、どうすれば、そういう状況を脱することが出来るか?
自分で気持ちを入れ替えて脱するか、コーチングを受けるか、さもなくば、外部要因(災害や事故や病気など)で、強制的に今の生活が壊されるか……。茹でガエルになりかかってる者は、鍋をひっくり返してもらったほうが、救われる。
コーチングを受ける、なんていうのは底辺労働者にとっては厳しいものがあるので、自分でやる、一択なんですが、具体的にやることは、自分のあるべき姿をなるべくリアルに思い描くことだそうです。
萎縮して、想像も出来ない人は、自分のやりたいことや技術を抽象化してみるのだとか。
たとえば、介護の仕事なら、多くの人は決められたノルマをこなすのに追われているわけですが、そのノルマのベースは介護保険の価値観。ざっくりいえば、最低限のことは保険で見ましょうということですから、排泄介助なんかはちゃんとやるけれど、心について、無気力なんかについてはおざなり。
もし、そこの部分に関して、会話やレクやその他、頑張って取り組んでノウハウがあるというのなら、ノウハウとして販売すれば、需要は全国の施設にありそうです。じゃあどうすれば、それが出来るか? イメージが出来ると頭が働く。まず、文章化するとかですね。その次からが難しいというか、未知の領域になります。肩書きのある人に監修してもらうのか、出版社に持ち込むのか、ネットで販売してみるのか……。
肩書きがなきゃダメだな、と気づけば、大学入り直して博士取るかとか。そういうことになる。
ノウハウを売らないにしても、コミュニケーション専門、命の輝きを取り戻す業務に専念したいと思えば、はじめからその条件で採用されないと無理でしょう。それには、やはり肩書きがいる。目的意識が曖昧だと、また大学行くの? ムリ! となりますが、展望がしっかりあると、行動できる、という理屈です。
とはいえ、そのたとえが通用するのは、せいぜい前期中年。中年も後期になると、大学をやり直すというのは、かなりきびしい。
いろんな常識をものともせずに、自分勝手に自由に生きている人でも、相談者が四十歳サラリーマンとなると、「ムリ」のひと言でした。ちょっとくらい変わったことが出来ても、世間は相手にしてくれない。大きく変わるにはそれなりの積み重ねが必要だと。
後期中年が、今の暮らしを守ろうとするのは、それはそれで理にかなっている…… という、一周回って、振り出しに戻るような話になってしまいましたが、一周回ったおかげで、現在地は同じでも、気持ちが整理されたという人がおられるとうれしいのですが……。
自分のことで云うと、こういう発想になりました。
このまま人生終わってもいいの?
見込みがあるなしよりも、そっちですね。
気持ちだけだと、飛んで火に入る夏の虫なんですけど!
いい歳して、悩めるティーンエイジャーみたいな内容になってしまいました。恥ずかしい。
でも、事実だったりする…… もっと恥…… ありがとうございます。