表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
comimi ポケット  作者: ひあし伸歩
11/20

第十話  ドリームキラー


 今日、聞こえてきたのは、「コーチング」の話のようでした。そっちを勉強された方にとっては、何も得るものは無いかと思います。初心者向けのお話。


 表題は穏やかじゃない言葉ですが、意味は簡単です。

 たとえば、子供がサッカー選手になりたいとか、ミュージシャンになりたいと云い出した時に、「親身になって」、「もっともらしい理由をつけて」、潰しにかかる人のこと。往々にして、親や教師や親しい人がそれをやる。それで伸び損ねる子供がいるのだとか。


 こう云っても、「自分の子供や生徒に才能があるかどうかはわかる! いい加減な気持ちで忠告したんじゃない!」という反論が返ってきそうですが、ラジオの人は「コンフォートゾーン」と「潜在力」という言葉を使って、ドリームキラーの問題を説明されていました。


「コンフォートゾーン」とは何か?

 検索すれば、ちゃんとした説明が出てきますので、関心のある方はそちらを参照していただくとして、狭い意味は「居心地の良い場所」。

 コーチングで使われる場合は、多くの人にとって「今の状況」ということのようです。低賃金の非正規で未婚で安アパートに住んでいようと、それを変えようとしていなければ、安住している可能性がある。


 その場合、その人の潜在力はどう発揮されるかというと、その生活が変わりそうになる時。「頑張れば、正規にしてやるぞ」なんて声をかけられた時に、逆に、(そのほうがリスキーだ!)というように感じて、断る理由を考え、勇気を出して断る。潜在力がコンフォートゾーンを守ろうとする。ある意味、それはとても自然なことなんだそうです。


 が、平均的な収入があり、家庭があるというような生活なら、それを守ろうとするのはもっともですが、底辺でもそれに慣れてしまうと、そこから抜け出したくなくなる。それは、一般的に云えば、その人の意志とか自由というよりは萎縮ではないかと。一般的には、ですよ。個別の判断はとても難しい。


 で、コーチングというのは、その人が本当に現状を望んでいるのか? いろんな思い込みを取り除けば、本当はやりたいことがあるんじゃないのか? そういうアプローチをするみたいです。

 結果、本当はその人は○○がしたかったと。それが判明すると、その人にそれをはっきりと自覚させる。

 ベタな例ですが、たとえば、田舎で陶芸がやりたかったとしましょう。そのことに気づけば、その人のコンフォートゾーンは、そこになる。今のバイトをしていても、そこには近づけない。すると、潜在力は、コンフォートゾーンに近づくために力を発揮するようになる。要するに、陶芸につながるようなバイトに変えるとか、陶芸の出来そうな田舎に引っ越すとかですね。


 冒頭の子供の話に戻ります。


 その子が本気でサッカー選手やミュージシャンになりたい思っているのなら、それに向かって舵を切ることで、その子の持ってる潜在力が発揮されるようになる。それが大きい。

 サッカー選手やミュージシャンになれなくても、それはいい。潜在力を発動させることを覚えることが大事。その感覚を覚えると、他の仕事についてもそれをやる。当然、並の人よりも良い成績が出ます。


 一方、夢をあきらめさせるとどうなるか? 

 その子は自分の潜在力を発揮する機会を失う。その情熱を学校の勉強に向けてくれれば、と周囲が期待しても、そううまくはいかない。ふつうの努力がせいぜい。つまり、凡庸な成績で、その子も自分は凡人だと思い込むようになり、そこで人生が決まってしまうおそれすらある。


 じゃあ、そんな感じで大人になってしまった者は、絶望か?

 大人だってコンフォートゾーンを変えることが出来れば、変われる可能性はある。コーチングの人ならそう云ってくれます。まあ、しかし、長い時間続けてきた生活を脱するのは、大変です。世間的には、どんなに酷い生活でも。


 ヒントになるかなと思えたのは、次の点。

 自分個人で実現可能な目標だと、バカヂカラは発揮されにくいそうです。逆に、自分だけでは無理。誰かの協力が必要、多くの人の協力が必要な場合に、大きな力が発揮されるのだとか。


 たとえば、小説家になりたい、では爆発力がない。声を上げられない誰かのために、見過ごされがちな大切なことを伝えるというような時に、特別の力が発揮される。社会問題を書くということでなくても、自分のことを書くにしても、外が意識されないとダメなのかもしれません。

 敢えて、ダメと云いましたが、自分自身のことを思い浮かべると、厳しく云いたくなります。荒療治が必要だ。意識を外に向けさせないと、たぶんズルズルと行ってしまう。もう時間が経つのが早いのなんのって。


 わたしの場合、問題は「ドリームキラー」と云うより「オープンキラー」か。外とつながろうとすることを阻む何かが自分の意識に巣くってる。今の状態を守っても埒があかないのに……。


 その虫を追い出すにも、窓を開けないといけない。換気が悪いから虫が湧いたのか。世の中、うまく出来てる~



余裕のない文章で、不快な思いをさせてしまってたら、ごめんなさい。ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ