第九話 世界からの贈り物 affordance
ちょっとしたトラブルが、連続
自転車の歯飛び=高額の部品交換が必要
自分の歯も、被せがとれた
水道の高額請求=漏水
そして、冷蔵庫の不調=満九年
これに加えて、公表出来ないことも……
例によって ラジオで耳にした話ですが
「アホォーダンス……
野山を歩いていて疲れた時に、ちょうどいい岩があって腰掛けたとしましょう。その時、自分が椅子の代わりになるものを見つけたのか? そうではないんですね。岩が誘ってくれたんです。ここに腰掛けなよ、とね。
自然の中で過ごしてきた人には、こういう感覚がわかるんです。自然の中で愉しんだことがない人には、この感覚が決定的に欠落しています。自然は危険なもの、管理すべきものとしか思えない。
これはすごく大事なことで、ここでいう自然とは大自然のことだけじゃなく、自分の部屋の外すべてに共通してきます。
つまり、いつも最善の行動を取ろうとしているジブンと、それを邪魔する外部世界という、そういう世界観になれば生きづらくなるのは当然です……」
そういえば、中世の高僧も、そんな意味のことをおっしゃってましたね。確か、災難に遭うときは災難に遭うのが良いとか。
そう思えれば苦労はないよ、という悟りの境地の話かと思ってましたが、そうじゃなかったんですね。
生きてる以上、必ず絶えず何かが降りかかってくる。それは避けられない。ならば、それを受け入れて愉しんだほうがいい、というごく基本的な心がけであったようです
「また、悪いことが起きた!」
「どうして自分には、いいことないんだ……」
という心理状態になれば、そりゃあ苦しくなりますよね。
と他人事のようにいってますが、自分のことです。
ラジオの人は、性についても語っていました。マッチングアプリなんかで、スペックで相手を選ぶというのがどれだけ残念なことかと。
大事なのは、たまたま出会った人に心が動くこと。どんな相手かよくわからないけれども、なんとなく話してみたくなった。二人きりになりたくなった。どんな素性の人なのかよく知らない。ましてや履歴や年収なんかわからない。でも、話が弾んだ。一緒にいると愉しい。そういう自分とは別の存在、でも引かれ合う存在、そういう相手に出会うと云うことがものすごい醍醐味なわけで……。
……出会いによって、それまでの自分が変わっていくんですよね。こうじゃなきゃいやだ、絶対こうしたいという考えが、どうでもよくなってくる。もっと大事なことに気づく。今まで思っても見なかったことが、やりたくなってくる。そうじゃなきゃ出会う意味がないじゃないですか。自分の期待通りの会話がしたいのなら、それこそ人工知能がやってくれるようになりますよ……。
……快楽と享楽は違うんです。快楽は自分の計算通りに愉しめることです。享楽は相手あっての愉しみ。自分の意志だけではどうにもならない。どっちの喜びが大きいか? これも両方を経験しないとわからない……」
トラブル続きで、へこんでいる、ちょうどそのど真ん中のタイミングで、こんな話が聞こえてくるんですからね。説得力あり過ぎでしょ?
世界は実によく出来ていますね。
トラブルが問題なんじゃなく、トラブルを恐れたり、嫌悪する心理が病的……
ありがとうございます。
参考 日本大百科全書「アフォーダンス」の解説
「アフォーダンス affordance
知覚研究で知られるアメリカのギブソンJames Jerome Gibson(1904―1979)によって提唱された概念。
環境がそこに生活する動物に対してアフォード(提供)する「価値」や「意味」のこと。
歴史的にみると、ギブソン以前の考え方は、環境からの刺激を生体がその内部に取り込んでからさまざまな処理をして、意味や価値をみいだすというものであった。
……ギブソンの貢献は、そうした考え方からの脱却にある。ギブソンは、アフォーダンスは環境の側にあり、認知主体はそれを探すだけだというのである。
ただ、ギブソンの考え方は情報源を環境の側に限定している点が、少し行き過ぎと思われる。実際には「価値」や「意味」は、主体と環境との相互作用によって明らかになると考えるのが正しい……」