2度目のファーストキス
恋に恋をするという言葉があるけれど、俺はまさしくこのタイプで、恋に幻想と憧れを抱いていた。それは年齢=恋人いない歴であることが大いに関係しているだろう。生まれてこの方恋人というものができた試しがない。
俺は男子校出身で、大学は工学部だ。他学科は違う場所にキャンパスがあるため、学科どころか校内に女子が殆どいない。サークルには入っておらず、かといって数少ない女子と親密になれるほどのコミュニケーション能力も持ち合わせていなかった。
要件を話したり、趣味の話をするくらいはできるんだ。
ただ、それ以上どうにもならないだけで……。
「ご、合コン?」
「そう。興味ない?」
ほぼ研究室とワンルームを往復するだけの味気ない日々を過ごしていたある日、同じ研究室にいた貴重な陽キャの高橋に合コンに誘われた。え、あの巷で話題の? と問いかけ返すと、高橋は何だそれと言いつつも笑ってくれる。高橋は人を馬鹿にしないタイプの人間なのだ。信頼しかない。
俺は声を上ずらせながらも頷いた。もう大学での出会いは望めなかったし、高橋が幹事なら安心だ。
ロマンチストゆえに出会い目的の飲み会なんて無粋じゃないか? という気持ちがなかったわけではない。しかし見せてもらえた女性側の幹事の写真、の横にいた可愛らしい女子に、あろうことか俺は一目で恋に落ちてしまったのだ。
「折坂千尋です。友達ができたら嬉しいなと思って参加しました。よろしくお願いします」
彼女はスラリとしているのに薄着じゃなくてもわかるほど大きい胸をしていた。黒目がちな瞳、長い睫毛に柔らかそうなピンク色の唇。大変な美少女だ。
俺は本物の彼女に会って、さらに夢中になってしまった。事情を知っている高橋がフォローにまわってくれて何とか連絡先を交換させてもらい、指と声を震わせながら初めて女子にメールを送った。ものの数分で返事が来た時は息が止まり、デートにオッケーを貰えた日は興奮して眠れなかった。
「友紀くんが好きなの。もし付き合って、嫌だなって思ったら別れてもいいから、彼女にして、ほしいです……」
そうして何度かデートをして、ロマンチックな告白しようとスケジュールをたてていたら、帰り道のコンビニの前で付き合ってほしいと千尋に告白をされた。
予定外の告白にパニクった俺はどうにかYESと返事をして、大好きな千尋と念願の恋人同士になった。
のだが…………
「可愛い~!!!!」
「可愛いじゃない! いや、可愛くもない!! 」
俺は付き合って初の家デートの最中、物凄い力でベッドに押し倒されていた。
目の前にいるのは彼女の千尋で、今日も大変美少女である。ただその目は獲物を前に爛々と輝やく肉食獣の目をしており、鼻息は荒く、大人しかった千尋の面影が一切ない。なんだこの猛獣は!?
「な~に恥ずかしがってんの。彼氏と彼女ならふつーじゃん。ふつー」
「普通!? 彼女が彼氏を押し倒すのが!?」
「いい体してんなって思って告ったのに、友達からなんてなめた真似して悶々としてんのよこっちは。さっさと脱げ。可愛がってあげるからさぁ!」
「ひぃっ!!!」
遠慮なく服の上から口にしづらい箇所を触りまくる千尋に逃げ惑う俺。猫の皮を脱ぎ去って狼になった千尋はあの手この手で俺をその気にさせ、俺は哀れな草食獣のように震えることしかできないまま、あっけなくいろんなものを食われてしまった。嘘だろ初めてだったのに……。
「何泣いてるの? 良さそうだったじゃん? めっちゃ体の相性いいんだよ私達!」
「う、ううぅ……」
なぜか千尋に腕枕をされながら、俺は両手で目を覆い、めそめそ泣いていた。千尋はそんな俺を見て、ケラケラ笑っている。
美少女なのにがさつで、なぜか豪気という言葉が似合っていた。最初の小動物のような印象はあっという間に崩れ落ちていく。
「なんで、あんな……最初のイメージと全然違う……」
「私さぁ、草食男子がすごい好みなんだよね。あんたらあっちの方が好きでしょ? でもここまで好き勝手させてくれたのは友紀が初めてだよ」
千尋は小動物のような可愛い外見とは裏腹にめちゃくちゃな肉食系だった。草食男子である俺が一番敬遠していたタイプのギャルだった。この口ぶりなら食われたのは俺だけじゃないのだろう。恋に恋をしていた純朴な少年は、自分の望まない方法であっという間に男になってしまった。
「泣かない泣かない。ちゃんと結婚したげるね」
「……それって体の相性が良かったから?」
「好き勝手できて最高だった。絶っっ対逃がさない」
「ひっ!」
舌なめずりをする千尋に俺は声をなくした。俺の心のロマンチストで純朴な少年が、これは恋愛結婚といえるのだろうか!? と警笛を鳴らし続けている。
「い、嫌になったら別れてもいいって言ったじゃん!?」
「そうだね。まぁ別れるとは言ってないけど」
鼻で笑われ、情けないことに俺はさらに泣いた。それにそそられたと千尋がまた覆いかぶさってきて、もっと泣かされる羽目になった。
「――ハッ!?」
目を開けると、見知ったような知らないような、やっぱり知っている天井があった。チュンチュンという雀の鳴き声を聞きながら、ほぼ無意識にベッドサイドを右手がまさぐる。
「あ、眼鏡はもういらないんだった」
天井の模様がはっきりわかる両目1.5の視力は”友紀”が持っていなかったものだ。
「私まだ18歳未満なのに……えらいものを見ちゃったな……」
その日、俺ははっきりと自分の前世というものを思い出した。
***
現在の俺は横生友紀という、偶然にも前世と全く同じ漢字の名前で生を受けた。ただし性別は逆だ。女性に生まれ変わったので、とものり、ではなく、ゆき、と読む。
前世とは見た目も、雰囲気も似ていない、と思う。いや、地味なところは似ているかもしれない。
「だから女の子の趣向とちょっとズレてたのかな……」
前世が男だった、という衝撃の記憶は驚愕よりも納得を俺にもたらしていた。俺は昔からピンクより緑が好きで、フリルよりも動きやすい格好が好きだ。男性への興味も薄く、友情を感じても恋慕は抱かない。
しかし地味ながらも、いや地味ゆえに割とモテている。主に草食男子に。
モテていたとしても、俺自身が魅力的な女子かと問われれば首を捻る。話が合う、手の届きやすい範囲にいる。自分を緊張させない気心のしれた子。それは彼女が欲しい思春期真っ盛りの男子にはうってつけだったのだと今なら理解できる。これも前世の影響によるものだろう。
しかしそれは中学までの話だ。高校に入ってから、俺はすっかりモテなくなった。いや、正確に言うならたった一人にモテているため、他の男子から『こいつはナシ』という認定を受けている。
「友紀ちゃん、おはよう」
「ひっ」
登校中、背後から低い声が聞こえて、ゾゾゾと背筋が粟立つ。おそるおそる振り返ると、背の高い青年が俺を見下ろしていた。前世、最低限の身嗜みしかしなかった俺とは違い、おしゃれに髪をセットし、眉も綺麗に整えている。瞳は切れ長だけれど黒目がちで、睫毛も長い。大変整ったお顔立ちのイケメンである。
「お、折坂くん……おはよう……」
「今日も可愛いね。小動物みたいで」
「……」
彼の名前は折坂千尋。もうお察しかもしれないが、前世で俺の何もかもを奪っていった彼女である。彼女もまた、生まれ変わっていたのだ。なぜか男として。
「今日、遅かったね? 寝坊した?」
千尋は爽やかな笑顔で登校中の女子達の目を奪っている。キラキラと輝かんばかりの笑顔だけれど、今の俺には嘘くさく感じられ、思わず目を逸らした。
「いえ、あの。変な夢みて……その……」
「二度寝しちゃったんだ? 低血圧だもんね」
「あ、あの……前にも言ったんですけど、私のこと待たなくて大丈夫だから!」
「気にしないで。俺が好きで君を待ってるだけだから」
「そ、そうじゃなくて……」
千尋は高校の入学式で出会ってからずっと地味な俺にこうやって好意を隠さず絡み続けている。
通学路の待ち伏せ、休み時間はしょっちゅう別のクラスなのに遊びにやってきた。
前世のことを知らなかった俺は、イケメンに追いかけられる自分を友人に貸してもらった少女漫画みたいだと思い、最初こそ悪い気はしなかった。
しかし彼と話せば話すほど、なぜか自分のことを自分以上に知っている千尋が怖くなって、できるだけ距離をとるようになっていた。今も言ったことがないのに低血圧だとバレている。多分前世の因果関係か何かで前世と今世の俺はよく似ているのだろう。それは千尋も同じなのかもしれない。
(前世なんて、ファンタジーすぎるよな……)
生々しい夢だったとしても前世の記憶を思い出すなんて荒唐無稽な話だ。しかし趣向といい、千尋のことといい、納得してしまうことの方が多いのである。
「今日は思い出した?」
「な、何をでしょうか?」
毎朝聞かれるこの謎の質問。前世を思い出したおかげで、やっと俺はこの質問の意味を正確に理解した。
何度もこの質問をされ、彼が転校した幼馴染だったりしたのだろうか? とアルバムを見たり、母親に聞いてみたが、該当する人物が一人も出てこなかった。
当たり前だ。千尋が「思い出した?」と聞いてるのは友紀の過去ではなく、友紀のことなのだ。折坂千尋は間違いなく前世の記憶を持ち、俺が元旦那だと確信している。
「今日も思い出してないか……」
「それ、一体なんのこと?」
「んーん。思い出さないならいいんだ」
意味深に口にするものの、千尋は詳細を語りたがらない。確かに前世の話なんて、すんなり信じてもらえないだろう。
千尋が生まれ変わっても俺を探し続けてくれていると思うと、ちょっと、少し、かなりキュンとしてしまうあたり、俺も懲りないなと呆れてしまう。
(結局結婚したんだもんなぁ……)
前世、宣言通り千尋は俺と結婚し、子供5人を産んだ。計7人の大家族である。豪快な妻と流されがちの夫だったけれど、俺は俺なりに頑張って生きていた。
一家の大黒柱として必死に働き、休みは子供のために長時間車を運転したりと、地味だが真面目に、努力を積み重ねて生きてきた。家族を守ることは、俺の中の男としての矜持でもあった。
千尋は自分本位だったが、俺のなけなしのプライドを守ってくれていた。なんなら持ち前の猫っかぶりで男の俺をたててくれていて、立派な男だ、良い父親だと褒められることの方が多かったし、友人達には非常に羨ましがられていた。
さらりとそういうことができる千尋を俺は尊敬していたし、きっと千尋も頼りないながらも必死に頑張る俺を尊敬してくれていたのだろう……と、思いたい。
「それで今日はどう? 俺と付き合ってくれる気になった?」
にっこりと優しい笑顔で告白をしてくる千尋に、俺は目を瞬かせたあと、頭を横に振った。
「遠慮します」
「今日も駄目か」
「そろそろ諦めてください……」
千尋が告白してきたのは今日が初めてではない。毎日のように好意を告白されている。出会ったばかりだから、そういうことは考えてないから、毎回断っているのに、それでも千尋は毎日こうやって俺に告白し続けていた。
(嬉しいだけじゃだめだよな……)
千尋が俺のことを好きでいてくれたのは嬉しい。
けれどどうしても千尋にはもっと良い相手がいるのではないかと思ってしまうのだ。
(今もだけど、昔もすごくモテたもんな……)
白黒写真に鮮やかな色が滲むような感覚で、じわじわと前世の記憶を思い出す。
これは、会社の同期達と家で飲み会をした時の記憶だ。赤ら顔の同僚達、付き合いでと同席した千尋も頬を紅潮させている。(しかし実際は少しも酔っていないことを俺だけが知っていた)
「千尋さんほど美人で最高の奥さんなら引く手数多だったでしょ? なんでこんなさえないのと結婚しちゃったの? 俺がもっと早く出会えてたらな~!」
ふざけたことを口にしたのは俺達同期の中で特に目立つタイプの男だった。ハンサムで、趣味はテニスで、彼に憧れている女性社員も多い。リーダー気質とガキ大将気質が共存したような性格のせいか、要領の悪い俺はよく仕事を押し付けられたり、いじられたりしていた。
「おまえが死んだら奥さんは俺に任せろ!」
背中を痛いほど叩かれ、力なく笑うことしかできない俺はとても惨めだった。まわりも苦笑いしていて、嫌な空気が漂っている。さすがに怒っていいのだろうか、と悩んでいるうちにブチギレたのは俺ではなく千尋だ。
「も~! 小泉さん酔いすぎじゃありませんか? 私が旦那死んだあと、心とち●こが小さそうな男相手にするわけないじゃないですか~!」
やだ~! と可愛く笑う千尋にシンと部屋が静まり返る。小泉も、他の同僚達も何を言われたのかわからずポカンとしていた。
「そもそも~小泉さんが大きい会社の仕事任されてるのって、奥さんの唯ちゃんが取引先の会社役員の娘っていうのが大きいじゃないですか。私、この前の飲み会で唯ちゃんとすごく仲良しなんですよ。今の動画撮ってたから送っちゃおう~!」
「はぁ!? な、なっ何してんだよ!? それ寄越せ! ぐぉっ!? げふっ!?」
本当に動画を撮っていた千尋は躊躇なく友人である小泉の奥さんに動画を送った。それを聞いてブチギレた小泉がスマートフォンを奪おうと腕を伸ばす。俺が二人の間に入ろうと動いたが、千尋は冷静な身のこなしで小泉に足をひっかけていた。
「きゃ~! やめてください~!」
「ちょ、マジで痛いマジで痛い死ぬ死ぬ死ぬ!!」
声だけは可愛い。しかしよろけたふりをして体当たりしたり、思い切り踏みつけたり、千尋は可愛いこぶりながら引くほど小泉をボコボコにしている。その結果、俺はなぜか小泉を介抱していた。
「こ、小泉無事か!?」
「……」
「良かった! 息してる……! 傷は浅いぞ!」
のびた小泉を見た他の同期達もさすがに千尋の異質さに気付いたと思いきや、俺の腕から小泉をぶん投げた後「怖かった……!」と泣きつく千尋を見て、全員が誤魔化されてしまった。普段の千尋の好感度が勝ったのか、千尋の言動全てを酒が見せた幻覚や幻聴だと思い込んだらしい。そんな馬鹿な。
余談だが、この後小泉は一年も経たずに離婚した。取引先から(間違いなく元奥さんの父親から)小泉を営業担当から外すようそれとなく匂わされ、ビビリ倒したうちの会社は小泉を子会社の工場に出向という形で左遷。同期達はこれを小泉島流し事件と呼んだ。
「あ~! 久々に暴れたからすっきりしちゃった!」
「……怒れなくてごめんね」
皆がいなくなった後、俺は情けなさと不甲斐なさを千尋に謝った。自分だけが傷つくだけならいいかとスルーするのは間違いだった。ちゃんと怒っていれば千尋にあんなことをさせずにすんだだろう。千尋は項垂れている俺の手を取り、う~んと悩むように唸った。
「でも私って実は短気だし、喧嘩っぱやいんだ。情けない友紀とお似合いじゃない?」
この言葉を聞いて、もっと泣きたくなる。嘘をつけ、と思った。千尋は短気でも喧嘩っぱやくもない。自分が傷つけられた時はどうでもいいとスルーするのに、俺が傷つけられた時だけ怒ってくれる優しい人だ。
「それよりも。さっき、私のこと守ろうとしてくれたでしょ? ありがとうね」
小首を傾げる千尋はやっぱり可愛かった。こんな素敵な人と結婚できて、不相応だと知りつつも、俺は最高に幸せだった。
(本当に素敵な人だった……でも小泉の言うことも理解できるって何度も思ったんだよな……)
転生した千尋も前世と同じハイスペックだ。外見、頭、性格もまぁ、猫をかぶってるだけかもしれないけど非の打ち所がない。今もすごくモテていて、俺のことを目障りだと思っている女子も多い。なんでこんな地味なのが……と思う気持ちはすごくわかってしまう。俺もそう思う。
千尋にはきっと素敵な、お似合いのお姫様が待ってくれている。だから今生こそ、そんな素敵な人と結ばれるためにハイスペックのまま生まれ変わったのではないだろうか?
男になったのは謎だけど、前世と同じ性格なら男子の方がよりモテるからかもしれない。なんかこう、ギャップ萌えみたいなもので……。
「付き合ってみて、やっぱり嫌だなって思ったらすぐ別れるから……」
「ぜっっったい嘘だ!!!」
付き合う前の千尋の言葉と同じことを言うので、反射的にツッコミをいれてしまう。
「友紀ちゃん……」
「!」
ハッとしてしまったのもよくなかっただろう。千尋は俺の肩に腕をまわし、顔を覗き込んできた。目が三日月形に歪んでいる。普段の爽やかさが微塵もなく、怖すぎて呼吸が止まった。
「なんで嘘ってわかんの? なんで? ねぇ?」
「ひっ!」
「わ~、ビビリって死んでも直らないんだ?」
「失礼な!!」
小心者だけど、いざという時は頼りになる(こともある)と言ってくれたのは千尋である。晩年は多少自信をつけて、孫の前では堂々と振る舞うことができていたはずだ。その時の子供達と千尋はちょっとニヤニヤしていた気がするけれど……。
「……思い出してんなこれ????」
「いや、違うの、あの……死んでないっていうか……」
前世をなんとか否定しようと必死に言葉を紡ごうとするけれど、嘘が苦手で頭が上手くまわらない。どうしようと狼狽えていると、千尋は俺から離れ、俯いてしまった。僅かに見える表情に息を飲む。苦しそうに歯を食いしばっていた。
「ずっと会いたかったのに、嘘ついてまで思い出してないって言うの?」
「折坂くん……?」
悲しそうにしている千尋を見ていると胸が苦しくなった。前世も今世も、千尋が辛そうにしていると同じくらい俺も辛くなる。千尋には、家族にはいつでも笑っていて貰いたかった。
俺は息をゆっくり吐き出し、覚悟を決めて頷いた。
「ごめんね。ちゃんと思い出したよ」
「……いつ思い出したの? 出会った頃から知ってた?」
「ううん……」
今朝、夢を見たのだと俺は正直に話をする。前世、来世なんて創作でしか見たことがない出来事だから、口に出すと少し不安になったけれど、千尋が熱心に話を聞いてくれるうちに不安は綺麗に霧散した。
「……そう。まぁ友紀ちゃんは今も昔も誤魔化すの得意じゃないもんね」
「怒ってる?」
「誤魔化そうとしたことはちょっと怒ってる」
「ウッ、すいません……」
申し訳ないことをした自覚があるので、素直に謝ると。千尋は優しく頭を撫でてくれた。男子に触れられて、こんなに嬉しいと思ったことはない。ふわふわとした心地に、俺は今も、性別が変わったって千尋が好きなんだと思い知らされた。
「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」
「……私でいいの?」
「友紀がいい」
覆いかぶさるように抱きしめる千尋の背中に手を回すと、ビクリと一瞬震えた背中からすぐに力が抜けていく。トクトクトクと少し早い心臓の音を聞きながら、俺は千尋の背中を優しく何度も撫でた。
「生まれ変わってもさぁ、相性いいと思う?」
「え?」
何のこと? と千尋の問いに答える前に、千尋の手がスカート越しに骨盤の骨を撫でる。くすぐったさとも違うゾクゾクゾクと奇妙な感覚が体に走った。反射的に逃げようとした俺の腰と尻をがっちり千尋の手が抑える。……え、尻!?!? この人痴漢です!!
「ひっ! お、おやめください!?」
「友紀、女になってさらに可愛くなってるよね? 腰ほっせぇ~! 肌すべすべ~!」
「ひゃん!」
「ひゃんて、ウケる」
変な声が出て咄嗟に口を抑える。千尋はイケメンとは思えないニヤニヤした顔で俺を見下ろしていた。他の人には見えないよう背中を向けているので俺にだけしか見えないのが口惜しいほどの下衆顔だった。
「は、離して!」
「嫌」
恥ずかしすぎてその場を逃げ出そうとするも、千尋の力が強くてビクともしなかった。必死に千尋の胸を押してみたが、手首を掴まれてしまうと指先しか動かない。
「こらこら、男の時も逃げられなかったのにさぁ、女になって逃げられるとか本気で思ってる? ウケるね」
「ゆ、許して……!」
青ざめる俺を見て、千尋は心底楽しそうにケタケタ笑っている。やだやだと騒ぐ俺を抑え込むように抱きしめて離す気配がない。登校している生徒や通勤中のサラリーマンが俺達をチラチラ見たり、ヒソヒソしながら歩いていることに気付いて死にたくなる。違うんです! 不可抗力なんです!
「許さないよバカ。先に死んじゃうなんて裏切りじゃん……死ぬときも一緒って言ったくせに」
「……千尋?」
千尋の声と手が震えていることに気付くと、俺は抵抗ができなくなってしまった。顔を見ようとしたが、肩口に額を押し付けられて確認ができない。
「そっか……そうだったね」
友紀の最後の記憶。薄れていく景色の中、見えたのは今にも泣きそうな、皺だらけの千尋の顔。先に死んだのは俺だった。
「ごめんね……寄る年波には勝てなかったから……」
「めっちゃ泣いた。親族全員集まって寿司パしながらめっちゃ泣いた」
「……なんか思ったより楽しそうでよかったよ」
前世の俺は随分賑やかに送り出してもらったのだろう。
俺達の子供は男3人の女2人で見た目が俺似でも千尋似でも全員性格が千尋のクローンだった。とんでもないハイスペックな自由人ばかりだったのである。馴染みの坊さんの胃は大丈夫だったか不安だな……。
「楽しくなかったし。結局友紀より20年も長生きしちゃったし」
「20年かぁ。頑張ったね」
「うん。頑張った。友紀がいなくても頑張ったよ。生まれたばっかの孫の成人式見届けてきた」
そんでギネスのっちゃった。と笑う千尋は豪快で、思わず苦笑いしてしまう。嘘か本当かわかり辛い。そしてなんとなく本当な気がする。子供や孫はどうなったかな? あとで色々教えてもらいたい。
「そうそう。めっちゃ頑張って生きたからさ、死んだときにご褒美もらったんだよね。神様に」
「は?」
千尋の話が急に方向転換をし始めた。神様? 宗教?
俺の頭には沢山の?マークが生まれている。そんな俺を見た千尋はニタリと意地悪く笑っていた。前世でも見たことがある笑顔にとてつもなく嫌な予感がして、背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
「俺さ、5人も産んだじゃん。あれずっとさ、理不尽だって思ってたんだよね」
「り、理不尽?」
「そ。めちゃ痛かったのに、何回産んでも旦那がおろおろしてばっかで役に立たなくてさ」
「うっ、面目ない……」
誤解なきよう言い訳するが、最初はテニスボールで千尋の腰を押したり、さすったり、飲み物準備したりもしていたのだ。自分なりに頑張ってはいたけれど、じゃま! ちがうそれじゃない! 静かにしてて! って怒られたら、もはや椅子に正座する以外することがなくなってしまった。それを無能だと言われたら、うん……まぁ、無能かな……。俺は申し訳無さに生まれ変わった今も深く反省した。
「だからね。死んだ後、神様をひっ捕まえてお願いしたんだよね。今度生まれ変わったら友紀に5人産ませられるように手配しろって」
「は????」
突飛すぎる、けれどなぜか千尋に言われるとやたら説得力がある言葉に、俺は言葉をなくした。今なんと仰いました? 誤認? 5人? 誰に産ますって??
「生まれ変わって男とか萎えかと思ったけど、イケてるでしょ? 超女子群がってくる。わら。ってか友紀が可愛くてよかった。これなら10人確定でいけるわ」
「え??????」
「さっきから一言ばっかだね?」
千尋が笑って俺の腰を抱いたまま顔を近付ける。
塞がれた唇に、2度目のファーストキスも奪われた……と俺は遠い目で現実逃避をしていた。
実は陽キャいいやつの高橋は千尋とグルでした。
閲覧ありがとうございました。