パレードがやってくる
色とりどりの電飾に、ペンキの剥がれたカルーセル。木漏れ日が夕暮れに変わり、金色と紺色が混じりあうその頃に、パレードはやってくる。
象がいるかい? ライオンがいるかい? ピエロがいるかい? ほら、パレードがやってくるよ。
ほら懐かしい――君の街にパレードが来るよ。
――みんな見においで。サーカスを。パレードを。
君の大切なものを見つけたら、どうぞ家にお帰りなさい。でもね、もし見つけられなかったら――
僕らと一緒に行こう。次の街へ、次の街へ――
ほら、今日もやってきたよ。
少女はランドセルを背負っていた。ため息をつきながら、手にはサーカスのチラシを持っている。テントの前できょろきょろと辺りを見回していた。
「どうしたんですか?」
ランドセルの少女は背後から聞こえた声に驚いて、肩をすくめた。恐る恐る振り返ると、そこには灰色のコートを着た男がステッキを持って立っていた。
「あ、あの。サーカスを見たくて……。でも、お金がないから……」
少女は恐る恐るそう言った。
「そうですか。では、お帰りください。こちらは無料で見られる興行ではございませんので」
男はにべもなく少女にそう告げる。
少女はため息を吐く。ポスターには子ども1000円と書かれている。学校にはお金を持ってきてはいけないから、少女はお金を持っていない。
もしかしたら――
可哀そうに思った誰かが少しのぞかせてくれたりしないかな?
入ってもいいよ、って誰か言ってくれないかな?
「そんな都合のいいことは、ございませんよ」
呆れたような声が聞こえて、少女は自分の心が覗かれたのかと思って、目を丸くした。
「まあ、にべもなくそんなことを言っても可哀そうですね。よろしければ、あなたの事情をこの私めに聞かせてくれませんか?」
男は綺麗な顔をにいっと歪ませて笑ってみせた。
少女はどうしてもサーカスを見たい事情を話し始めた。
友達がサーカスを見に行った自慢話を学校で言っていて、つい、自分も見に行くんだと言ってしまったこと。
いつも嘘ばかりついてしまって、友達にもまた嘘をついていると言われてしまって、嘘じゃないと啖呵を切ってしまったこと。
明日サーカスがどんなだったかを話す約束を友達としてしまったこと。
嘘をつきたくないのに、つい、嘘をついてしまうこと。
「もし、見てないなんて言ったら友達に笑われちゃう」
「……そんなことで笑うのが、友達ですかねえ? そんなウソをついてしまう相手は、友達なんですかねえ?」
訝しげに男は言うと、ため息を吐きながら、歩き始めた。
「本当は、ダメですよ。だけど、特別です。ついておいでなさい」
振り返って、男は少女を見た。
やった!
少女は慌てて男について、テントの中に入った。
「本来は、お金を払ってみてくれる人たちのためにステージですからね。あなたを入れるわけにはいかないんです」
テントの裏側。
舞台のそでから、ステージを見せてくれた。
「私は出番がありますからね。ここで見ていてください。もしも、他のところに行ったら、あなた、猛獣に食われてしまうかもしれませんからね」
男はにやりと怖い顔をして笑った。
「レディース&ジェントルマン! 今宵限りの夢をご堪能あれ!
レッツショータイム!!」
さっきの男がステージで両手を広げている。
少女が見た舞台は、まるでこの世のものとは思えないほどきれいだった。
きらきらと変わる電飾。熊たちの玉乗り、蝶のような羽をつけた少女たちの踊りと、関節がグニャグニャと曲がるような軟体人間たちが中国雑技団のような踊りを見せる。
すごい! すごい!
口を開けて、舞台を見つめていた。
タイトロープを渡る羽をつけた少女。マスカレイドのお面をつけた男女の空中ブランコ。獰猛なライオンを鞭で操るフロックコートの男。
あっという間の一時間だった。
少女はこんなに素敵な舞台だったら、それはあの子も自慢したくなると思った。これで明日はみんなに自慢できる。
すると、舞台を終えた男が少女の前にやってきた。
「おや、約束を守ってちゃんとここで見ていたようですね。では、テントの外まで送りましょう」
男はそう言って、テントの外まで少女を送った。
「お兄さん、ありがとう!」
少女はこの薄気味悪い男が悪い人ではないと思えた。
男は笑うと、喜んでもらえてよかったと言った。
「そうだ。一つ、あなたに約束があります」
男は背筋を伸ばして少女の前に立つと、とんとステッキで一回地面を鳴らした。
「この舞台は、本来ならばお金を払っていただいた方のための舞台です。ですから、この公演の内容を他言してはいけませんよ」
男の申し出に、少女は「え!?」と声を上げた。
「おや?」
「ダメよ! だって、舞台の話をしないと、本当に見たって信じてくれないじゃない!」
「……なんとまあ、都合のいいことばかり」
呆れたような男に、少女は睨みつける。
「あなたがどうなろうと、私の知ったことではございません。ですが、その約束だけはお守りください」
「いやよ!」
「やれやれ。いいですか? あなたが本当に探している“あなた”は一体どんなあなたですか? もしもこの約束を破ったら、あなた、取り返しのつかないことになりますよ。それが嫌ならば、どうしたいか、きちんとお考えなさい。そうすれば、最悪のことだけは免れますから」
男はそれだけ言うと、テントの中に帰っていった。
ランドセルを背負った少女は、男の言葉を考えながら家に帰った。
学校の帰りに遅くなったことを散々親に怒られたけれど、これで明日友達に自慢できる。嘘つきって言われなくて済むと安堵していた。
だけど、見てきた内容をしゃべってはいけないって言われた。しゃべらないと、嘘つきだって言われてしまう。
ああ、そうか! 少女はひらめいた。
そうだ。自分がしゃべったとしても、男にそれがわかるわけがない。だから、言ったってバレるわけがない。そう思ったら、少し心が軽くなった。
翌日、学校に言った少女は友達に昨日サーカスを見てきたことを告げた。
「うそだあ! 学校の帰りにやってるわけないじゃない」
「嘘じゃないよ。見てきたもん」
「嘘ばっかり! じゃあ、どんなだったのか教えてよ」
少女は友達の言葉に、内容を話そうとした。
「……あの、見てきたけど……」
昨日の男との約束を思い出して、口を閉じた。
「見てきたけど、何?」
「話しちゃいけないって言われて……」
「はあ!? やっぱり嘘なんじゃん!」
「嘘じゃないよ! 見たもん! 本当だもん!」
少女はムキになって話を続けた。
「熊の玉乗りに、羽をつけた女の子がロープを渡ったり、お面をつけた人たちが空中ブランコをしたり!」
「はあ!? 全然違うんですけど? やっぱり嘘じゃん!」
話をしていた女の子に、馬鹿にされたように言われて、少女はかっとなった。
「嘘じゃないもん!」
そう叫んだ時、パチンと音がして、辺りが真っ暗になった。
え?
辺りを見回した途端、ぱっと一つハロゲンの明かりがついた。
「言いましたね」
ため息交じりの声が聞こえて、少女はびくっと肩を震わせた。
「他言してはいけないと、言いましたよ、私」
明かりに照らされたのは、男の顔だった。端麗な顔立ちの男には眉毛がなくて、それが一層不気味さを増した。
「約束を破ったら、取り返しのつかないことになる――そう、教えましたよね、私」
男は一言そう言う。
ぱっともう一つ、電球がついた。それからぱらぱらといくつか電球が着くと、そこがどこか分かった。
サーカスのテントの中だった。
「あなた、大切なものを見失ってしまいましたから、もうここから出られませんよ。私たちと次の街へ、一緒に行きましょうね。
もちろん、タダで連れて行くわけにはいきません。ずうっとずうっとここで働いてもらいますよ。あなた、何がいいですかね?
空中ブランコ――落ちそうですねぇ。
熊と玉乗り――熊が嫌がるかもしれませんねぇ。人間嫌いですから。
軟体人間――関節、折ってしまいましょうか?」
さらっとそんなことを言われて、少女は悲鳴を上げた。
「そんなことしたら、誘拐だって騒がれるわよ! みんな、警察とか、探すんだから!」
食って掛かった少女に、男は大声で笑いだした。
「これはこれは、世迷言ばかり! 行方不明になって、見つからない子供たちなんてごまんといますよ! このサーカスは街から街へ行く。あなたがいなくなって、探し始めたって、私たちは次の街へ行っていますよ! ねえ、誰があなたを探しに来てくれるというの!? 常に嘘ばかりついてきたあなたを!」
男は大声で笑いながら、唾を飛ばしながら言う。
少女は恐ろしくなって、テントから逃げようと出入り口に向かって走り出した。
「無駄ですよ」
後ろからひたひたと足音が聞こえる。
天幕を開けようとしても、開かない。
少女は近づいて来る男に、ひっと叫んだ。
「もしも、あなたが本当にやり直したいというのなら、もう一度チャンスを差し上げます。私も鬼じゃありません」
男は少女を前にして、顎に手を当てながらため息交じりにそう呟いた。
「あなたは嘘をついて一生生きていきたいのですか?」
男の言葉に、少女は首を横に振る。
「ですよね。では、嘘を吐くのはなぜですか? 楽だから? 注目されたいから? 自慢したいから? でも、嘘をついて得られるものなんて、結局何もありはしませんでしたよね? 本当のことを言っても、誰も信じてくれなくなって!」
その言葉に、少女は目を瞠ると、みるみる泣き出した。
嘘なんて吐きたくなかった。でも、ひとつ嘘をついたら、信じてくれて怒られなくて済んだ。それから、怒られたくないときや、友達にすごいって言われたいとき、嘘を吐くようになっていた。
でも、後でつじつまがつかなくなって、取り繕ううちに訳が分からなくなった。
嘘つきって言われても、やめられなくなっていた。
「あの時から、巻き戻しましょう。約束をお守りなさい。約束は二つに増えますけれどね。
一つ、公演の内容は他言しないこと。
二つ、嘘をつかないこと。
この二つを守った時、あなたが探していたものが手に入りますよ。だけど、いばらの道ですけどね。覚悟――できますか?」
男に問われて、少女は頷いた。
男は満足げに微笑む。その笑顔はとても優しくてきれいだった。
「お行きなさい」
男が天幕を開く。少女は一度、ごくっと喉を鳴らして外へ飛び出した。
男の足元に、小さな熊がとことことやってきた。男の足をぺちぺちと叩く。
「ねえ、あの子が嘘ついてまで探してたものって何?」
男は熊の言葉に、優しい声で答える。
「嘘をついてまで欲しかったのは、友達――ですよ。本当の友達。そんなもの、嘘を重ねて見つかるはずがないのにねえ」
呆れたように男は呟く。
「ふうん。ぼくのだいじなもの、見つかるかなあ?」
熊が首をかしげる。
「ううん、君はまだ、時間がかかりそうですねぇ」
男は熊の頭を撫でた。
見つかると、いいですねぇ。
なんとも間延びした声でそう呟いて。
「ねえ、サーカスが来るんだって! 見に行く?」
「サーカス! 懐かしい! 私ね、一度小学生の頃見に行ったことがあるの! 楽しかったけど、でも、なんだか楽しいだけじゃない気がして……」
高校生くらいの少女たちが、街にやってきたサーカスのチラシを見て笑う。
ほら懐かしい――君の街にパレードが来るよ。
――みんな見においで。サーカスを。パレードを。
君の大切なものを見つけたら、どうぞ家にお帰りなさい。でもね、もし見つけられなかったら――
僕らと一緒に行こう。次の街へ、次の街へ――