°○3話
照りつけていた太陽が隠れて
街が闇に包まれ始めた頃。
私はようやくキーボードを叩く手を止めた。
これまでにないくらい
集中していたんじゃないだろうか。
「おわ...った......!」
そう言って、椅子の背もたれにだらりと体重を預ける。
集中していて感じていなかった疲労が
目を中心に、どっと広がっていくのがわかった。
ああ、このまま眠りたい...。
そのまま睡魔に誘われて
夢の世界へ飛び立とうとした私の意識を
梶くんの嬉々とした声が呼び止めた。
「おお! 終わりましたか!」
そう言いながら近くに寄ってくる気配を感じて、ゆっくりと瞼を開けば
本当に嬉しそうに、隣で微笑む彼がいた。
そんな風に、ずっと笑ってれば可愛いのになぁ。
なんて事を思いながらも
言えばまた、手厳しく返されるのがわかっているので黙っている。
「いやー、今回もギリギリでしたね〜。
あ、データ送るの忘れないでくださいね」
「言われなくてもするよ〜」
口を尖らせながら
たった今完成したデータを梶くんのパソコンへと送信する。
完了したのを見届けてから、コーヒーを淹れるために椅子から立ち上がる。
作業中も飲んでいるが、頭をフル回転させている為、あまり味など感じていない。
だからこの、仕事終わりの一杯が、格別なのだ。
「あ、コーヒーですか? 僕、淹れますよ」
座ってて下さいという梶くんの言葉に素直に甘えることにして
椅子に座り直した私は、キッチンでお湯を沸かす彼の姿を見つめた。
「あ〜...疲れた...」
「お疲れ様です。ここからは僕の仕事ですね。
何事もないといいんですが」
「そこはほら〜、梶くんの腕の見せ所よ」
「その前の先生の腕前に期待してますよ」
はい、どうぞ、と
淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを渡されながら、私は眉を寄せた。
そんな私の表情を見てか、梶くんはまたもや綺麗な笑顔を見せる。
...なんだか、妙に素直じゃない?
いつもなら毒づいてくるはずの彼が
私の腕に期待してるなんて事、言う?
作家と担当としては
別におかしくもなんともない会話だけど
私と梶くんにおいては、奇妙だ。
なにか、企んでる?
「ところでですね、先生」
疑いの目で見つめていると
先に梶くんが口を開いた。
なんとなく、流れ的に構えてしまう。
「...なに?」
「えーと、夏特集のお仕事が来てまして」
「夏特集?」
「そうです。夏をテーマにそれぞれの作家に割り振られるカテゴリーがあるんですが、それで1つ書いていただきたいんですよ」
にこにこと話す梶くんの話に
私は拍子抜けしつつも安堵した。
なんだ、普通の仕事の話じゃない。
仕事終わってすぐだから
流石に気を遣ってくれたのかしら。
可愛いとこ、あるじゃない。
「ええ〜、今仕事終わったばっかりなのに
もう次の仕事の話しちゃうの??」
「いやー、すみません。
お伝えするのは早い方がいいかと思って。
今回は特に」
「ん? まあ、なんでもいいけど...
それで、私に割り振られたのはなに?」
まあ、夏だし
ホラー当たりだろうと予想する。
ホラーなら過去に何回か書いたことがあるし
大まかなプロットさえ組めれば
まあ、なんとかなるかな。
どんな話にしようかなぁ、と
ぼんやりと考えていた私の耳に
梶くんは、私の予想を超えて答えた。
「浅井渚先生に書いていただくのは
恋愛物です」
「はっ?」