永劫の竜と月の眼【観測者は語る】
光徒歴程原典第八章第一節
私は永劫の竜が語る全てを記録し、アステリア語へ翻訳した。神層の言語を残すな、と言う彼の意志により、当時の私はこの章、及び節には敢えて題を付けなかった。「永劫の竜と月の眼」という題は、ロジカ語への翻訳時、便宜上付けたものである。
座標点を一致させる、というのは、即ち「個」の死を意味します。十三の眼を持つ魔獣に対抗すべく、星の王は十二体の聖獣に協力を求めました。六体が名乗りをあげ、彼らは聖躯を環に変え、魂を天球の座に返しました。そうして戦争は終わりましたが、アル・ルグは悲しみに暮れたまま、白い子供達と静かに暮らしておりました。
次々に死んでゆく聖獣達を見送りました。そうして眼を瞑れば、かつての仲間達の魂が再びこの世に戻ってくるのを感じます。瞼を閉じ、暗い視界の中にいると、遠い昔のことを思い出します。
……
いつからそこにいたのか、アル・ルグは暗い世界の中で眠っておりました。白い子供達は皆思い思いに過ごしておりました。彼に寄り添うように眠る者、空間を泳ぎ揺蕩う者……。アル・ルグは彼らの楽しげな声を聴きながら、この時間が永遠に続くと思っていました。
鳥が空を破り、世界が晴れ上がった時、光に焼かれて多くの子供達が死にました。アル・ルグは巨体を起こし、子供達を自分の影に隠しながら、嵐の中を彷徨い、やがて大きな島に辿り着きました。その最中にも多くの子供達が死に、光に適合し多様性を得た生き物、星の子達が、劣等種族である白い子供達を淘汰すべく暴れ出しました。アル・ルグは遠くに残した白い子供達を魔力で引き寄せたり、力を求める子らには加護を与えたりして守っておりました。彼が腰を落ち着けた島は、嵐の大洋と渦潮に囲まれ、星の子らは決してこの島に入れず、アル・ルグが引き寄せた白い子供達以外に島を訪れるものは居ませんでした。そうして虐げられ、誰の手も届かぬ島国に隔離された子供達は、時折ロジカの環の隙間を通ってくる幽霊船を遠くに眺めながら、光を避けて生活しておりました。
光に蝕まれ、白い子供達はもう永遠を生きられない身体になってしまいました。十万の時を生きた子供達は体の一部を切り落とし、それから生まれた新しい子供達に見送られ、静かに灰になっていく……。アル・ルグはその様を幾度となく見て、新しい子供達と共に涙を流しました。
実に多くのものを失った、と、アル・ルグは眼を閉じながらゆっくりと鼻で息をしました。あの戦争の中で、自分や皆が何もかも失って、そうして砕け散った綺麗な心の破片が、あのおぞましい魔獣を生んだのだ、と。
アル・ルグは暗い視界の中で、さんざめく星々の声がざわざわと語り合っているのを聞いておりました。光など受け入れなければ良かった、私たちは間違っていたのだ、と。
……そうだ、だから我々は光を拒んだ。
アル・ルグは星々の会議に混ざろうと言葉を飛ばしました。ざわめきは一瞬盛り上がり、やがて静かになりました。
……でも、あなたは王様に愛された。
一つの星の声に、他の星々も騒ぎ立て、アル・ルグのことを非難し始めました。
……あなた達も、結局、空をこじ開けた、あの鳥の力をもらった裏切り者だ。
……お前達を殺して、空を閉じなければならないんだ。
……穢れを全て取り除いて、神様の世界を取り戻さなければいけないんだ。
アル・ルグは言い返すことが出来ませんでした。もう彼らに何を言っても無駄だと思いました。確かに、あの鳥が空に穴を開けたことは罪なのかもしれません。けれどもその恩恵を得て、今の今まで生きてきた彼らに、今更それを問う資格があるのでしょうか。力に溺れ、歪み、愛する人を殺した彼らに。
……間違いは、修正しなければならない。
数多の星の中で、一つの星がそう言ったのと同時に、それまでざわめいていた星々が、大きな一塊になっていくような感覚がして、アル・ルグは目を開きました。地平線の向こう側から、十三の眼を持つ巨大な魔獣が、黒い炎を津波のように押し立ててこちらに向かってくるのが見えました。
ああ、それが彼らなりの償いか、と、アル・ルグは思いました。彼らは逆行を選んだのだ、と。即ち、原点への回帰を……。
星の王クル・エルス・イガルカはその魔獣の姿を見て悲しみました。十二個の目が形成する極彩色の翼、指針を象る胴体に開いた丸い眼球。悍ましい外見ではありますが、その姿は一羽の鳥のようでした。星の時代を創造したのが鳥ならば、神の時代を破壊したのも鳥であると、魔獣は失われた言語で叫びながら羽撃きます。
アル・ルグは星の王に言葉を飛ばしました。
……恐れてはならぬ。振り返ってはならぬ。貴殿は生きて進み続ける指針、即ち暁光そのものである。世界は神の光と共生する道を選び進んだ。後戻りなど出来ぬ。してはならぬ。星の時代を生きる者と座標を重ねよ。そして革新に向かい進み続けよ。我は過去の遺物、貴殿らと同じ道を歩めずとも、理の先で貴殿らの到着を待つ。
星の王はそれに答え、全ての星の子に向けて咆哮を放ちました。星の王の身体が膨れ上がり、弾け散った瞬間、まるで卵から孵ったかのように、大きな鳥がゆっくりと翼を広げました。その日の宵刻は、宵刻とは思えないほど眩い光に包まれていたと伝えられています。星の魂を持った大きな鳥は、魔獣を退け、ロジカの環をもたらしました。ロジカの環は本来、砕け散った心をあるべき姿に戻すために設けられた浄化の光でした。しかし、十三の眼を持つ魔獣はその大きな翼でアストロロジカの半球を包み、ロスト達をその中に匿って、正しい心を忘れさせるように呪い続けました。受け入れるな、受け入れるなと呪詛を吐き、天球に戻りかけたロスト達を、自身の心臓であるウラノグラフィアに引き戻すのです。
アル・ルグはロジカの環の前で、魔獣の声を聞いておりました。轟々と唸る雑音と星の泣く凄まじい渦の中心に、一段と低い嘆きが静かに沈んでおります。
……神の名を忘れた我々に、光を貪る資格は無し。その地に蔓延るは傲慢と知れ。神性を焼かれ永劫不変を捨てし者共、混ざり合い神の肉体を捨てし者共、瑣末、瑣末……。其は楽園の終焉、即ち原点への回帰。観測不能、観測不要。望まなければ幸福であったものを。
望まなければ、と、アル・ルグは魔獣の声をなぞりました。でも、もうきっと遅いのです。魔獣を残したまま、世界は前に進み続けてしまいましたから。
……
アル・ルグは目を開け、前を向きました。仮面越しの視界の中に、他人の皮を被ったかつての仲間達の魂が数名。全員が同じ時代に立つことは叶いませんでしたが、それでもアル・ルグには伝えなければならないことがありました。彼らはこちらを見て、アル・ルグの言葉を待っています。すう、と息を吸い、アル・ルグは小さな口を開きました。
「永遠など無いと、誰かが言った。……しかし、それを誰が観測したか。」