祝声の魚はただ世界を愛す
光徒歴程(原典)第七章第九節『Tilcris』より
歌う者の物語
歌う者 ティルクリスの伝承
祝声の魚 雨を呼ぶ
雫は血を洗い 傷を癒す
数多を生かした祝声求め
星の子らは争った
祝声の魚 口を閉し
島竜の海に死ぬ
生涯、呪詛を吐かず
生涯、世界を愛す
ティルクリスは雲の海・七星諸島で生まれたとされる尾の長い人魚で、身体には鱗がなく、雲のような美しい色をしており、髪は創造の柱の一片であったと伝えられています。
彼女は自身が吐く言葉を現実にする力を持っておりました。雨乞いの歌を歌えば雨が降り、祝福を願えば必ず祝福がもたらされました。星の子らはその力を求め、ティルクリスを追いかけ回しました。彼女は豊かの海から危難の海へ逃げ、やがて嵐の大洋に浮かぶ大きな島に辿り着きました。その島には背中の焼け爛れた竜が一体、白い子供達を守るように平な島に覆い被さるようにして座っておりました。光に焼かれ、白い子供達も竜と同じく火傷を負い、酷く苦しんでおり、それを見たティルクリスは大急ぎで雨を呼びました。祈りを溶かした雨が、竜と白い子供達の傷を癒していきます。
「この歌声の主は誰か。」
地響きのような声で、竜はやっと口を開きました。
「こちらにございます、島竜様。わたくしは豊かの海から参りました。この声のために人々に追われ、行く宛もなく彷徨っておりましたところ、あなた方の惨状を目の当たりにし、立ち寄った次第にございます。」
竜は巨大な頭を擡げ、目を閉じました。声が届かなかったのかと不安になったティルクリスがもう一度叫ぼうとすると、竜はゆっくりと目を開け、
「長旅ご苦労であった。ここは光に虐げられた者の島。宛がなければ汝もここで暮らすが良い。」
と、言いました。白い子供達は最初ティルクリスに怯え、避けておりましたが、彼女が甲斐甲斐しく傷の手当てをし、雨乞いの歌を歌うのを見ているうちに、徐々に心を開き、共に歌ったり、言葉を交わすようになりました。虐げられた者、それを守る島竜の心は脆く弱く、ほとんど止まったような時の中で、寄り添い生きることに特化しすぎたために、白い子供達は決して強要はせず、ティルクリスの力を奪い合おうとはしませんでした。ティルクリスの噂を聞きつけ、幾人もの星の子らが島を目指しましたが、荒れ狂う海の中に置き去られた大きな島に、誰一人辿り着く者は無く、人々は祝声の魚のことを次第に忘れていきました。
しかし、平穏な日々は長くは続きませんでした。星の子戦争開幕と共に、星の子らは祝声の魚のことを思い出したのです。
十二体の魔法使いが、星の王に集められました。ティルクリスは島竜と共に星の王の声を聞き、少し戸惑いました。傷ついた星の子らを癒すため、各地を巡らなければならなくなったのです。彼女は白い子供達と離れ離れになることを悲しみましたが、愛する世界のためならば、と、歌を残して島竜のもとを離れました。
星の子らはまた祝声を求めて争いました。力に取り憑かれた人々には歌の真意も届かず、次々に黒き炎に飲まれてしまいます。ティルクリスは絶望し、島竜のもとに帰りました。
「わたくしのために、また人々が狂ってしまいました。この声はもはや祝声などではありません。」
白い子供達はティルクリスを慰め、島竜も大きな首を地面に近づけて目を閉じました。
「……我が光よ、それでも呪詛を吐かぬのは何故か。」
「確かに仰る通り、わたくしが呪詛を歌えば星の子らは死に絶えるでしょう。ですが、わたくしはあなた方とこの世界を愛しております。このアストロロジカという星の有り様を、わたくしの我儘のために歪めることなどできません。今のわたくしは争いの火種、であれば、もう、わたくしには。」
そう言うと、ティルクリスは砂浜に這い上がり、白い子供達を自分の周囲に呼び集めました。
「たとえこの声が枯れても、この身が朽ちようとも、魂は枯れず、わたくしの心はいつもあなた方と共に。最期に、わたくしの歌を聞いてくださいますか。」
島竜と白い子供達は泣きながら、黙って彼女の歌を聞きました。その歌は暗い星霞の夜に優しい雨をもたらしました。それは失われた言語で歌われ、今でも口伝で細々と伝えられています。暗黒時代から生き続ける島竜のみがその真意を知り、悲しみの咆哮が一晩中響き渡っていたそうです。
祝声枯れてなお 魚は歌う
愛した世界を忘れぬように