幸戴く秤角の鹿
光徒歴程(原典)第七章第七節『Astora sa leneb』より
施す者の物語
施す者 アストーラ・サー・レネブの伝承
右角の皿には宝剣と武具を乗せ
左角の皿には恵みの種と果実を乗せ
暁の娘は大地を駆ける
飢えるものには果実を
力を求めるものには盾を
勇ましきものには剣を
世界を望むものには生を
望まぬものには死を
等しく万人に施しを与える
アストーラ・サー・レネブは大地の女王、アイアート・サー・スピニアの妹であり、星の子戦争終結後、荒廃した大地の復興に生涯を捧げました。アストーラ・サー・レネブは牝鹿でありながら聖樹の角を持ち、その葉は常に散っていながらも枝は決して枯れず、彼女の歯が落ちた土地には養分と活力で満ちていたと伝えられています。
彼女はアイアート・サー・スピニアと共に暁光に生まれ、星の王の心の化身として受肉しましたが、生まれつき盲目であり耳も聞こえなかった彼女には、姉のように善悪を正確に区別することが出来ませんでした。そのため、星の王は彼女の両の角に星金製の美しい装飾の施された天秤皿を吊り下げました。皿の片方にスピニアの花蕾を乗せ、もう片方に対峙したものの魂の一片を乗せ、吊り合えば善、吊り合わなければ悪としたのです。
また、アストーラ・サー・レネブは姉の遣いで各地に赴き、右皿には青燈銅の剣と盾を乗せ、左皿には草花や作物の種と果物を乗せ、各地の貧しい人々に分け与えておりました。全盲でありながら、彼女は迷わずに貧しい人々のもとに向かいました。
【神に愛されし者】
アストーラ・サー・レネブはいつものように姉から渡された宝具と種、果物を天秤に乗せてラングレヌスを出発し、カルパティア山脈を越え、テオフィルスに向かいました。彼女の体は岩にぶつかるなどしていつも傷ついていました。草木は彼女を避けて道を開けてくれますが、岩達はどうしても腰が重いのです。アストーラ・サー・レネブは岩に謝りながら歩き続けます。テオフィルスの海辺で巨蟹宮に出会い、彼女は彼の背に乗ってケプラ・プラトに辿り着き、そこで運んできたものを星の子らに配って回りました。こうして毎日他の聖獣達の力を借り、遠くの地に足を運んでいたので、アストーラ・サー・レネブはどの国にも顔が利き、世界中の民に愛され親しまれる存在であったと伝えられています。
彼女がある日ケプラに赴いた時、波打ち際で一人の星の子がアストーラ・サー・レネブにこう訊ねました。
「お姫さま、お姫さま。暁星のお姫さま。あなたはどうして私たちのところに来てくださるの。」
けれども星の子の声はあまりに小さく、彼女には届きません。返事がなくて困ってしまった星の子が俯くと、アストーラ・サー・レネブは首を傾げ、星の子の胸に鼻を近づけました。
「……声が聞こえる。さんざめく星々の声が。」
それはあまりに透き通って、爽やかな風のように空気を揺らす声でした。驚いて押し黙った星の子に暁光色の果実を渡すと、アストーラ・サー・レネブは去って行ってしまいました。
呆然と立ち尽くす星の子に、様子を見ていた巨蟹宮が、
「彼女はね、神様に愛されているんだよ。」
と、教えてくれました。
「彼女の視界がどんなに深い暗闇に遮られているとしても、彼女の耳がどんなに固く閉ざされているとしても、私たちの中の内なる神が、道が、あの子の魂に繋がっているんだよ。だから辿り着けるんだ。」
そう語る巨蟹宮のまんまるの目は、まるで空の大穴のように輝いておりました。星の子はなんだか難しく思って、とりあえず彼につられて微笑みました。その時彼女がくれた果実は、瑞々しくてなんだか懐かしいような、不思議な味がしたそうです。
アストロロジカが豊かな土壌と動植物に溢れたのを見届けて、アストーラ・サー・レネブは姉の足元で静かに息を引きとりました。その聖躯はやがて幼木となり、現在は聖樹となってスピニアの樹に寄り添うように佇んでいます。