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9.繰り返さない、君との別れ

 昼休み、学校の屋上から眺める紅林邸の木々は青く、艶めいていた。

 僕はツナパンをかじりながら、放課後を待っている。

 今日は珍しく、隣にナナオさんが座っていた。今朝の様子を心配してくれたんだと思う。


「ナナオさん、死体のある秘密の部屋ってどこにあると思う?」


 僕は屋上から見える紅林邸を指差して問いかける。手に乗るようにヒュウと涼しい風が吹く。ナナオさんは不思議なことが大好きだから、こういう話にはすぐ食いついてくれる。


「むむむ。ボッチーだから言っちゃうか。紅林邸って結構特殊な建物だから、隠し通路とかあるかもって一時期探検したことがあるんだ、小学生の時だけど。そういやボッチーは紅林邸に入ったことあんの?」

「まだないよ」


 予想以上の返答。さすがナナオさん。

 でも入ったことはない。なにせ引っ越してきてからまだ二カ月くらいだし。ナナオさんは地元民だから僕より圧倒的に詳しい。


「そんならちょっとわかんないかもしれないけど、こっから見て右側、西側なのかな? 今木で隠れてるところ、あそこスペースがおかしいんだわ」

「スペースがおかしい?」

「そう、畳半分くらいかな、中から見る広さと建物の広さが違ってる気がする。それに、あの壁の辺りは窓が全然ない、だから怪しいと思って壁をガリガリやってたら怒られちった」


 なんだかナナオさんは怒られてばかりだな、と思うとなんだか少しおかしくなった。


「おっ、元気出たっぽいじゃない?」


 ナナオさんは太陽のように笑ってそう言った。


◇◇◇


 放課後、僕は急ぎ足で紅林邸に向かう。

 紅林邸内では係員が残っているようで、僕は陰に潜んでだれもいなくなるのを待つ。そのうち、邸内の明かりが消え、だれもいなくなってからも十分ほど待って、僕はいつもの垣根から公園内に忍び込んだ。

 初めて入る夕方の紅林公園は、朝とは反対に西陽を背負い僕を威圧するようにその影を大きくのばしていた。


 ナナオさんに聞いた西側の壁を探す。

 ナナオさんは壁の広さがおかしいといっていたけど、ぱっと見にはわからない。

 でも、僕にはニヤがいる。ニヤは怪異の匂いはすぐわかるのだ。


「ニヤ、ここに雨谷さんはいるかな」

「いるな」


 ニヤの答えは明確だ。

 僕は漆喰で塗られた白い壁をトントンと叩く。

 壁の下の方には、ナナオさんがやったと思しい小さな傷を見つけた

 何カ所か場所を変えてトントンしてみたけど、空洞があるのかどうかとか、壁の厚さはよくわからない。秘密の部屋があるとしても、入口は屋敷の中だよな、と考え込んでいると、ふいに視線を感じた。


「雨谷さん……」


 そこには少し困った顔をした雨谷さんがいた。


「来ないでって言ったのに……」

「どうしても、伝えたいことがあって。雨谷さんは昔からここに住んでるんだね?」


 雨谷さんはうっすらと頷いてつぶやく。


「ここじゃなんだし、中に入る? おもてなしも何もできないけど」


 僕たちは雨谷さんの持っていた勝手口の鍵で中に入る。初めて入った紅林邸はどこかよそよそしくて、時間が止まっているように感じた。しっとりと黒く光る床を僕と雨谷さんが歩く。

 紅林邸にはいくつかの家具が展示されていたが、生活感は全くなかった。

 僕らは年代物のソファに向かい合って座る。


「雨谷さんは、明治時代からここに住んでいて、2週間くらい前に意識が戻った、これであってるかな」

「そうだけど……なんで東矢くんがそんなことを?」


 雨谷さんは不思議そうに少し首をかしげる。

 僕は、新谷坂山には昔から怪異を封印している存在がいて、おそらく明治時代に雨谷さんが封印されたこと。僕が1カ月くらい前に封印を解いてしまって、その結果雨谷さんの意識が戻ったのだと思う、と話した。


 雨谷さんは少し考えながら、そうなのかもしれない、と頷く。明治時代でいつのまにか気を失って、最近急に意識を取り戻して驚いたそうだ。


 僕は続ける。

 最近の幽霊のうわさ、昔の動く死体の話。昨日、お父さんが見守ってるっていっちゃったけどそれは僕の勘違いで、今も昔も紅林邸内で雨谷さんが動いているのを誰かが見ただけだと思う。だから本当は幽霊はいないってこと。だから、雨谷さんは気にしないでいいと思うってこと。


「それで……僕は解けた封印を元に戻そうと思ってるけど、封印しなくても問題ないなら無理に封印するつもりはないんだ。このままでもいいと思うし、雨谷さんが望むなら、また前と同じように眠り続けることもできると思う。何か望みがあるなら、それをかなえてからでもいい」


 雨谷さんはしばらく玄関の方を見つめていた。

 僕はじっと言葉を待つ。


「……封印っていうのは、いつかまた起きちゃうかもしれないんでしょう? それは、もう嫌かな」


 封印である以上、解ける可能性はある。僕が解いてしまったように。


「でも、私のやらないといけないことは、悪いことだから、封印されても仕方がないと思う」


 予想外の言葉に、僕は目を見開く。


「……やらないといけないことって何? 雨谷さんのお父さん? 紅林治一郎さんのお願いごとなんでしょう?」


 今度は雨谷さんが少し驚く。

 そして、雨谷さんは少し考えた後、一瞬何かを吹っ切るような顔をして、僕に話してくれた。

 治一郎には娘がいて、その死体を使って雨谷さんが作られたこと。治一郎が死ぬときに、雨谷さんも一緒に館ごと燃やすように言ったこと。時間は経ってしまったが、その願いをかなえようと思っていること。


「そんな!? 治一郎さんが亡くなってもう随分たってるんだよ。いままで何も問題がなかったんなら、そのままでもいいんじゃないかな」


 そう問いかける僕に雨谷さんはふるふると首を振る。


「私もそう思う……。でも私にはお父さま以外なにもないの。ここを出て生きていけると思えないし、他に何もやることがない」

「雨谷さんは絵が好きなんでしょう? 絵を描いて暮らすとか」


 僕はそう言ってみたけど、現実的ではないようにも思っていた。雨谷さんはこの紅林邸の外で生活はできる体じゃない。ずっと秘密の部屋で過ごすのも幸せとは思えない。でも、屋敷と一緒に焼いてしまう、そんな悲しい終わり方がいいとはとても思えなかった。


「でも……東矢くん、私の体、もうあんまり持たないんだ」


 雨谷さんはそう言って、寂しそうにカーディガンの長い袖をめくった。雨谷さんの皮膚は乾いてポロポロと剥がれ落ちた。体の内側の方から、土が乾いたときにできるような亀裂が走っていた。


「私の体はお父さまのひよりさんに対する願いで動いてる。お父さまが亡くなってから、動くたびにちょっとずつ減ってって、もうすぐ全部なくなって完全に崩れてしまう。ずっと寝てたときは動かなかったせいかほとんど減らなかったけど」

「だからね、私、ここを私とお父さまのお墓にしようと思って」


 雨谷さんは目を伏せる。雨谷さんは寂しそうに見えた。まるで、無理やりそう思い込もうとしているように。

 ……それは治一郎さんの望みで、雨谷さんの望みじゃないよね。最後のだって、後付けだ。


「雨谷さんは本当にここを燃やしたいの? 今ここを燃やしても治一郎さんが喜ぶとは思えない。治一郎さんが亡くなってから幽霊が出たって話はない。きっと治一郎さんはもう成仏しちゃっててもう天国でひよりさんと暮らしているんじゃないのかな」


 いままで暗く濁っていた雨谷さんの目にフッとあかりが灯り、心なし顔が上向いた。僕はたたみかける。


「もし雨谷さんがお墓がほしいなら、僕が紅林邸に会いに来るよ、毎日とは言えないけど、年に何回かは雨谷さんに会いに。燃やして何もなくなっちゃうより、そちらの方がいいでしょう?」

「私に……?」

「残り時間が少ないなら、だからこそ、雨谷さん、君がしたいことをしてもいいと思うんだ。時間がないなら、せめて、ぼくと一緒にしたいことを探さない?」


 その時、私、雨谷かざりの心の中に風が吹いた。

 お父さまは、もう成仏されている。その言葉に、私の心は羽が生えたように軽くなった。


 でも、お父さまやひよりさんではなく、私のしたいこと……そんなことがあるだろうか?

 ひよりさんなら、健康になってお父さまと暮らしたいと思うのかもしれない。お父さまなら、ひよりさんと生きていたいと思うのかもしれない。けれども、その願いの中に私はいない。

 確かに、私がこのまま消えてしまったら、ひよりさんの体は残ったとしても、私の魂はなんの痕跡も残さないまま泡のように消えてしまうだろう。


 とまどいながら、私は改めて東矢くんを見る。

 東矢くんは私に手を伸ばして言う。


「《《かざりさん》》の、本当にしたいことは、何?」


 東矢くんが私をじっとみていたことに気づく。ひよりさんじゃなくて私を。そういえば、東矢くんはいつもひよりさんではなく私をみてくれていた。

 私はひよりの飾りではなく、私が私として存在してもいいのだろうか? そんなことを、初めて思った。


 私は確かに、今、ここに存在する。

 私は、飾りではない私としてここにいてもいいのかな。

 ひよりの飾りではなく、東矢くんが見つめてくれる私自身として。


 私は無意識に東矢くんの手を取った。

 暖かい東矢くんの手を中心に、私の世界が広がっていく。


 私は……お父さま……ごめんなさい。


「私は……私のことを知っててほしい。私がここにいたことを」


◇◇◇


 それから、私は1週間ほど、東矢くんと過ごした。不思議で大切な毎日だった。

 朝少し会って何をするか話し合い、放課後にまた会う。

 日曜日にはショッピングモールにも行った。初めて乗る電車がカタコトと線路を動くのに驚き、駅ビルの大きさに驚き、人の多さに驚いた。

 そして、あふれかえるものの量、ここには本当になんでもあって、私とお父さまが過ごしていた時代と全く違うんだなってことが実感としてわかった。いいって断ったのに、東矢くんは薄いショールを買ってくれた。安物だけど、って言ってくれたけど、ひよりではなく私のためだけに買ってくれた、私だけの宝物だ。


 私が学校や友達のことを羨ましいって言うと、翌日友達を連れてきてくれた。末井奈也尾さんっていう女の子で、髪が金色でちょっとびっくりした。ちょっと男の子みたいだけど、とても楽しい人。一緒にお洒落な喫茶店でケーキを食べていろんなことをお話しした。


 他の日は、庭で絵を描いたりおしゃべりしたりして過ごした。

 東矢くんの絵を描きたいって言うと、東矢くんは最初は嫌がってたけど、しぶしぶ了解してくれた。無理にまじめな表情を作ろうとして面白かったな。


 それから、1週間前、私は東矢くんに、本当のお別れを言った。

 東矢くんは残念そうだったけど、私がもう動かないことはわかってくれていたと思う。その頃の私の体はもうぼろぼろだったから。

 怖がらないでいてくれたことが不思議。


「じゃあ、本当にさようなら。僕はちょくちょくお墓参りに来ることにするよ。来世ではもっといいことがありますように」


 最後にキュッと握手をして、立ち去っていく東矢くんの姿を見守った。


 それから1週間、私は秘密の部屋にこもりきり。ゆっくり最後を待っている。東矢くんが、やっぱり私が持っていた方がいいと言って返してくれた屋敷の絵と、東矢くんの絵を並べて眺めながらぼんやり過ごした。絵の中のお父さまも優しく微笑んでいるように見えた。きっとこれで、よかったんだと思う。

 東矢くんとの思い出を思い浮かべて、とても幸せな気分に浸りながら。


◇◇◇


 雨谷さんとお別れして10日ほど。その日の日差しは特に眩しく、風はすがすがしく、夏の匂いが漂っていた。授業中、珍しくニヤがベランダを伝って窓際にある僕の席までやってきた。


「アマガイが消滅した」


 それだけ言ってニヤはトコトコと去っていった。


 そうか、と僕は思う。

 雨谷さんは、少しでも幸せに眠れただろうか。最後に会ったとき、雨谷さんはとても満足した表情をしていたと思う。これでよかったのかどうかはわからないけど、僕が解放した怪異の1つが消滅した。


 紅林邸の秘密の部屋で眠る、絵と雨谷さんのことが思い浮かんだ。

 今週末にでも、紅林邸にお墓参りに行こうかなと思う。ナナオさんも誘って。

1/31 現在、同じシリーズで【叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼】(ホラー)連載中です。

読んで頂けるととても嬉しいです♪

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