1.5度目の雨谷さんと僕
短編の「私と、電車のすき間の都市伝説」【夏のホラー2020】と同じ世界です。
ご興味がありましたら、見て頂けると嬉しいです。
新谷坂高校1年の春の終わり。
雨谷かざりは同じ一日を何度もくり返していた。
雨谷かざりは毎朝僕と初めて出会い、夜をまたぐとすっかり記憶をなくし、また新しい朝に僕と初めて出会う。
これはくり返す春の日を終わらせるお話。
◇◇◇
春の早朝、すき通った日差しが山の端から差し込み、少し乾いているけど春めいた風が吹き抜ける。
風はそのまま、僕の前にいた雨谷かざりの帽子を吹き飛ばした。
僕は帽子をつかまえる。
「落としたよ」
僕はふり返った雨谷かざりに帽子を手渡す。
雨谷かざりは魅力的な笑顔でにこりと笑って、上品なレースの手袋をした手で僕から帽子を受け取った。
「ありがとう! 今日は風が強いから油断しちゃった」
雨谷かざりは、ここ5日間、毎日この紅林公園北端のベンチで絵をかいていた。
紅林公園は、小さいけれどもきれいに整備された公園だ。低木は丸く切りそろえられ、芝生も青々としている。
この公園は、もともと明治時代にここに住んでいた有名な建築家の邸宅の庭で、現在は観光地として一般公開されている。ベンチからのぞむ池はキラキラと光を反射しながら、その奥にある紅林邸の白色と紺色をうつし出していた。
紅林公園は僕が通う新谷坂高校から遊歩道を歩いて10分ほどのところにある。僕は4日前に紅林邸の裏側にある垣根のすき間からここに忍び込み、彼女と知り合うようになった。
本来、早朝の今はまだ営業時間外。門は開いてない。
彼女は怪訝そうに首をかしげ、僕に問いかける。
「あなたはどこから入ってきたの? ええと……」
「僕は東矢。猫と散歩してたら裏の垣根のところからここに入り込んじゃって。追いかけて入ってきたんだ」
僕は足元の黒猫のニヤを指差す。
5度目の問答。でも、嘘が1つ。僕は最初の1回をのぞいて、自分の意思で侵入している。彼女に会うために。
「そうなんだ、私は雨谷かざりだよ」
にこりと笑ってから、雨谷さんはニヤを見る。
雨谷さんは、僕と同じくらいの年頃の女の子だ。
身長は150センチほどで、ふわふわした髪を左耳の上で結んで肩まで垂らしている。その上に、僕が渡した少し大きめの白いキャスケットをかぶり直した。
ハイネックの白いブラウスと、膝丈まである薄緑色のゆったりしたカーディガンの裾から、刺繍の施された青いスカートがのぞいていた。
ニヤは関心なさそうに、池のほとりを眺めていた。
「かわいい猫ちゃんだね、お名前はなんていうのかな」
「ニヤっていう、ニャーニャーなくから」
ニヤは心底嫌そうに顔をそむけた。
僕は雨谷さんが描いていた絵をのぞき込む。
イーゼルに60x80センチメートル度のキャンパスが立てかけられ、池からのぞむ紅林邸が描かれていた。
紅林邸は2階建ての白い漆喰の壁と紺色の屋根瓦の映える洋風の建物だ。玄関の上に塔屋があり、その屋上には長い避雷針がたっている。どこか昔の時代の香りがする不思議な建物。
雨谷さんの絵は精密画というのか、白と紺の建物がそのままキャンバスに写し取られたようでとても美しい。早朝の日差しに照らされた紅林邸は、絵の外でも絵の中でもきらきら輝いて見えた。
「雨谷さんは絵が上手だね」
「ありがとうっ。2週間くらい前からこっそり朝に描いてるんだ。でもそろそろ行かなくっちゃ」
筆を片付けながら雨谷さんは言う。
『2週間前から』というのは4日前と全く同じセリフだ。やはり今日も雨谷さんの時間は進んでいない。
僕は時間を進めたい。だから、少しドキドキしながら、慣れないセリフを口に出す。
「せっくだから、放課後また会わない?」
雨谷さんは、少し驚いたように両眉を上げたあと、にっこり微笑む。
「アハハ、ナンパなの? でも、東矢君とは初めてあった気がしないな。いいよ、5時くらいに公園の入り口でどうかな」
「わかった、じゃあまた後で」
僕とにとって5回目の同じ会話。
でも、最初よりは照れずに言えた気がする。
僕は気恥ずかしさを隠しながら、雨谷さんに別れを告げ、垣根のすき間を潜って公園の外にでた。
◇◇◇
僕は東矢一人。今年の春から新谷坂高校に通っている。
詳しい話は次の機会にゆずるけど、この春、僕はちょっとしたきっかけからこの新谷坂に施された封印をといてしまった。
それから僕は、黒猫のニヤとともに、新谷坂周辺に拡散した怪異を追いかけている。
僕からすると4日前、ニヤとともに怪異の残滓を追って紅林公園に忍び込み、雨谷かざりに出会った。
それ以降、雨谷かざりだけ時間の流れに取り残され、同じ時間を繰り返している。
未だ解決の道筋はついていない。
------------
神津市の地図を更新しました。
ご参照ください。
≪≦10bb245527bc38ce90d38c5e9c9b3ce4.png|L≧≫