第27話 忘却を願う
第四章、『過去が呪いになる話』の最終話です。
碧真は病室のベッドに腰掛けて深い溜め息を吐く。
鬼降魔の本家に戻った後、総一郎は母屋に引っ込んだまま姿を現さなかった。
丈と壮太郎と情報を交換して、大体の状況は飲み込めた。
日和は壮太郎と少し話をした後に自分の家へ帰って行った。丈は穢れや鬼降魔幸恵の後処理をする為に本家に残り、碧真は壮太郎が運転する車で病院へ戻ってきたところだ。
(入院生活は面倒だったが、それ以上の面倒事に巻き込まれるとはな……)
眠らされて、廃屋に放置されて。胸糞悪い夢を見せられて、総一郎に担ぎ上げられた。碧真にとって、散々な一日だったと言える。
病室にあるソファに腰掛けた壮太郎がクツクツと楽しそうに笑っているのに気づいて、碧真は顔を顰めた。
「何笑っているんですか?」
「チビノスケも、ピヨ子ちゃんと同じように感情が表に出てわかりやすいなって思ってさ。散々な一日だって思っているでしょう?」
「あの単細胞と同列に扱わないでください。何の力も持っていないくせに、攻撃術式の前に飛び出していく考え無しですよ?」
鬼降魔雪光の術で見せられた過去の夢の中で、日和は碧真を庇って攻撃を受けようとした。まともな神経では無いだろう。
「ピヨ子ちゃんのお陰で、術を破れたんでしょ? ”ありがとう”くらい伝えておくんだよ。誰かと一緒に生きていくなら、嬉しいって気持ちも悲しいって気持ちも、ちゃんと伝えることが大事だからね」
「……必要ないです。一緒にいたい人間なんていませんから」
誰かと一緒に生きるなんて、考えるだけで煩わしい。碧真の表情を見て、壮太郎はまた笑った。
「チビノスケも臆病だよね。誰かと親しくなるのが怖い?」
「はあ? 意味がわかりません。面倒臭いだけです。勝手に人のことを決めつけて話さないでください」
碧真は”臆病”という表現に不快な気持ちになる。壮太郎は苦笑しながらソファから立ち上がると、碧真に近づいた。
「まあ、今はゆっくり休みなよ。あの子は暫く動けないだろうし。一応、用心棒を置いておこうね」
壮太郎がクマの形をした呪いの人形の背中に手を翳すと、白銀色の術式が浮かび上がった。
呪いの人形は日和にくっついていたが、本家に向かっている最中に効力が切れて動かなくなった。壮太郎に返したが、また碧真に押し付けるつもりらしい。
呪いの人形が壮太郎の手からベッドの上に飛び乗り、碧真の左隣に座る。
「少し改造して、呪術を察知した瞬間に結界を生成して、チビノスケを守るように設定しておいたよ。残念ながら、かくれんぼや鬼ごっこは出来なくなったけど、退院するまでは動いてくれるよ」
「……残念の意味がわからないんですけど」
何故、人形と遊ばなければならないのか。碧真は溜め息を吐く。
「いらな」
「あの子の術に抵抗する事も出来なかったんでしょ? 囚われのお姫様♪」
壮太郎に揶揄われて、碧真は嫌悪の表情を浮かべる。物凄く不愉快だが、人形を突き返せるだけの説得力は今の碧真には無い。
呪いの人形が右手で碧真の左腕をポンポンと叩きながら、何度も頷く。
まるで、落ち込む人間に『元気出せよ』と言うような呪いの人形の態度に、碧真はイラッとした。
(退院したら、この人形を燃やし尽くそう)
「チビノスケを攫うなんて、あの子は本当にわからないね。昔、目をつけていた”妹”になる子を手に入れたいのなら、もっと簡単な方法があるし。あの子の家族構成から考えても、チビノスケは『家族』に必要ない筈なのにね」
丈の話では、雪光の目的は失ってしまった自分の『家族』を集めること。雪光の家族構成は両親と妹一人。碧真は目的外の存在だ。
「……あいつは、俺の事を勝手に『友達』だと思い込んでいますからね」
──”碧真君。僕達は同じだよ”。
碧真に向かって笑いかけてきた傷だらけの姿の雪光。昔の事を思い出して、碧真は顔を顰めた。
「チビノスケは、あくまで友人として側に置きたかったという事か。それとも、『お兄ちゃん』と呼ぶ人間が描いたシナリオ通りに行動していたのか……。まあ、今は考えても推測を並べるだけだよね」
雪光の口から語られた『お兄ちゃん』という存在。もし、その人物が背後で雪光を操っているのだとしたら、鬼降魔にとっては脅威となる存在だろう。
(いずれ、また何か仕掛けてくるだろうな)
壮太郎の推測では、雪光は禁呪を失敗した代償を受けて暫く動けない状態だという。当分は心配ないかもしれないが、ここで終わりはしないだろう。
「じゃあ、僕は帰るよ。またね、チビノスケ」
壮太郎は手を振り、病室を出ていく。
静かになって、ようやくゆっくり出来ると思い、碧真はベッドの上に仰向けに倒れて体の力を抜いた。
(面倒臭いことだらけだ……)
雪光も、碧真に関わろうとしてくる人間も、全てが煩わしい。
腹が空腹を訴えて鳴く。
そういえば、今日は何も食べていない。碧真の視界に、ベッド脇の棚の上に置きっぱなしになっていた紙袋が映る。
碧真は体を起こして紙袋を手に取る。紙袋から取り出したのは、日和が持ってきた菓子のバームクーヘン。包みを外し、口に運ぶ。
久しぶりに食べた菓子の味は、悪くはなかった。
***
本家に残った丈は、現れた人物を前に困惑の表情を浮かべた。
「またお会いできましたね。鬼降魔丈さん」
天翔慈鋼は穏やかな笑みを浮かべる。天翔慈家に連絡を取ろうとした矢先に来客を知らせるインターホンが鳴った。丈が門の前に行くと、鋼が立っていたのだ。
「何故、ここに?」
「我が主からの命で参りました。穢れの浄化が必要でしょう?」
あまりにタイミングが良すぎる登場に、丈は訝しむ。鋼はニコニコと笑ったまま口を開く。
「我が主の能力をご存知でしょう? 主は鬼降魔を助けたいと、私を派遣した。善意ですよ」
(確かに、上総之介様の能力ならば、穢れが起きる事を予測出来るだろうが……)
穢れの浄化が必要なのは事実だ。わざわざ足を運んでもらったというのに、失礼な態度を取るのは良くない。
「ありがとうございます。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
丈は穢れの漂う庭へ鋼を案内する。
鋼は庭と幸恵の状態を確認した後、合掌した。
「では、始めさせていただきますよ」
目を閉じた鋼の体から淡い金色の光が溢れ出す。
穢れの漂う場所に淡い金色の浄化の術式が浮かび上がると、穢れは呆気なく消え去った。
幸恵の体にも浄化の術式が浮かび、淡い金色の光が全身を包み込む。徐々に穢れが祓われていくのが見えた。
「場の浄化は終わりました。穢れによる精神汚染を受けた人は、継続的な浄化が必要なので時間を頂きます。明日の朝には浄化が終わりますので、ご安心を」
「ありがとうございます。お礼は、後日改めてさせて頂きます」
丈は深く頭を下げる。本来なら、当主である総一郎から礼を述べる方がいい。しかし、今の総一郎には難しいだろう。鋼は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「お役に立てたのなら何よりです。今回は天翔慈家としてではなく、主の判断ですから、正式な礼は不要です。鬼降魔の方には、いつもお世話になっていますからね。それにしても……」
鋼はわざとらしさを感じる仕草で周囲を見回す。
「当主様の姿が見えませんが、如何なさいましたか? もしや、後処理を全てあなたに任せて、屋敷に隠れているわけではありませんよね?」
鋼はにこやかに丁寧な口調で総一郎を嘲笑すると、丈の右肩に左手を置いた。
「総一郎様は、まだお若い。上に立つ者として、経験も知識も実力も不足している。共にいれば、あなたも暗い道へ進む事になりましょう」
思惑を滲ませて笑う鋼。
鋼は『頼りない当主の元にいれば、向かう先は破滅』だと言いたいのだろう。そして、『共倒れするより、天翔慈家につけ』と。
丈は鋼の目を真っ直ぐに見据える。
「暗い道を行くのならば、照らせばいいだけのことです」
総一郎は、確かに経験不足だろう。間違ってしまう事も、うまく行かない事もある。
経験が無くて出来ないのは当然だ。誰にでもあることで、それは恥では無い。
総一郎が当主として揺るがない自信を持てるように、丈や一族の者達が側にいて、暗い道を照らす明かりになればいい。
鋼は目を見開いた後、丈の意志を悟って苦笑する。
「道に迷ってから考え直しても遅くはありません。神は、あなたのような者を見捨てはしない。では、またいずれお会いしましょう」
鋼は一礼すると、屋敷から去って行った。
***
布団の上で眠る美梅を見つめて、総一郎は重たい溜め息を吐き出した。
雪光が屋敷を襲撃した話を聞いて、心臓が凍りそうな思いをした。
嫌な予感が的中したが、誰も死んでおらず、最悪な事は免れた。
『どうして? どうして? 当主様ぁ。総兄ちゃん』
泣いている幼い雪光の姿が頭にチラつく。雪光は総一郎に助けを求めるように手を伸ばした。当主である父が、雪光の首へ手を伸ばす。総一郎は雪光の目を直視する事が出来ずに、突き放すように視線を逸らした。
(あの時、私に力があれば……。きっと運命は変わっていた。あの時、あの手を掴んでいたら……。きっと、何も失う事は無かった……)
大切な人達を奪っていった五年前の光景が、総一郎の瞼の裏に浮かんで離れない。
あの悲劇を引き起こしたのは、当主である父。そして、総一郎だ。
「ここ……は?」
か細い声がしてハッとする。美梅が目を覚まして天井を見つめていた。
「美梅さん。目を覚まされたんですね」
総一郎はホッとして、美梅を支え起こす。美梅は、ぼんやりとした目で総一郎を見つめる。
「美梅?」
首を傾げる美梅に、総一郎は目を見開く。美梅の表情からは、感情が欠落していた。
「私は、美……違う。私は……梅……?」
美梅は目を見開いて虚空を見つめる。異様な雰囲気の中、美梅は口を開いた。
「お兄ちゃん。何処? お兄様? お母様、お母さん。お父様、お父さん。何処に行ったの? やだ。行かないで。置いていきたくない。死にたくない。死なないで」
平坦な声で壊れたように言葉を紡ぐ美梅。総一郎は美梅の両肩を掴む。
「美梅さん!」
美梅の目が、再び総一郎を捉えた。
「総一郎さ……たし……」
美梅の頬に涙が伝う。
「わたしは一体、何なのですか?」
総一郎は悲痛な表情を浮かべて、美梅の額に指先を当てる。再び眠りについた美梅を見下ろして、総一郎は唇を震わせた。
「お願いですから……思い出さないでください」
総一郎の体から淡い金色の光が溢れる。
美梅の額に術式が浮かび上がった。淡い金色と白銀色の光が美梅の体を包み込む。
閉じた目から涙が溢れる。
総一郎の涙が美梅の頬を伝い、混じり合った二つの涙が光の中へと零れ落ちた。
次回から、第五章『呪いを封印する話』が始まります。