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呪いの一族と一般人  作者: 守明香織
第十章 呪いを返す話<鬼降魔編>
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第52話 愛の感情



 (きく)()の頭の中は最悪な想像で占められていた。


 (りつ)()に刺された(きみ)(まる)を助けたいのに、(さる)が邪魔をする。菊理は全ての苛立ちを拳に込めて、申を真横へ殴り飛ばした。宙を飛んで行く申に向かって、威力を込めた簡易攻撃術式の矢を放って仕留める。申は何が起きたかわからない表情のまま、呆気なく消えた。


「君丸さん!」


 菊理は目を見開く。君丸は顔を歪めているものの、自力で起き上がっていた。胸を刺された筈なのに、着物には血が滲んでおらず、白いままだ。君丸は立ち上がると、呆然としていた菊理を見て頷く。


「お前も無事だな。俺はあいつを追う。お前は怪我人を見ておけ」


 君丸は何事もなかったかのように、加護の(いぬ)と共に颯爽と走り去った。


「いや、え? は?」


 感情が状況との落差について行けない。菊理は共感相手を探して、自然と(おさむ)を見る。いつも穏やかな笑みを浮かべている修も、流石に苦笑いをしていた。


「菊理ちゃんは、君丸君のところへ行ってきて。(あん)()さんのことは、私が対応しておくよ」


 碌な事情も説明できていないまま任せるのは心苦しいと思っていると、玄関側から地面を揺らすような大きな音がする。菊理は修に一礼して、急いで君丸の後を追った。


 一番の近道となる廊下は緑色の結界で封鎖されていたため、菊理は別の廊下から玄関へ向かう。


 玄関を出て門へ向かって走っている時に、視界の左端に君丸の背中を捉える。方向転換した時に見えた光景を前に、菊理は事態を察した。


 応接間の腰高窓の前にある木が二つに折れて、地面に倒れている。近づいていくと、折れた木の下に、苦悶の表情を浮かべて絶命している律子の姿があった。


「どうして……」


 君丸が術を使ったわけでも、木が自然に折れたわけでもない。

 屋敷では、樹木の状態を専門家に定期的に診断してもらっている。災害も起きていないのに、庭の木が突然折れる可能性は低い。それに、木が倒れている方向と逆にある応接間の窓が割れているのも不自然だ。


「俺が来た時に黄色の光が見えた。あの女が術を使っていたんだろう」


 君丸は屈むと、手探りの状態で何かを掴んだ。掌にある黒の長い髪の毛を見て、君丸と菊理は(ゆう)()の仕業だと確信する。


(じょう)さん達と話していた時に聞こえた窓ガラスが割れる音も、これが原因だな」


「注意を引きつけるためだけに、木を操ったということですか? 随分とお粗末ですね」


 地面に複雑に根を張った樹木を操れば、周囲に大きな被害が出るに決まっている。現に、裕奈の操作によって、律子が死亡する結果となった。


「手段を選んではいられなかったんだろうな。それより、お前は何故ここにいるんだ? 怪我人はどうした?」


「修さんが対応するから、私に君丸さんを追うように仰ってくださったんです。……思えば、君丸さんは何で無事なんですか?」


 胸を刺された筈なのに、ケロリとしている。血の気が引いた分、怒りが湧いた。


「無事なのに、何で怒っているんだ? (かず)()()(すけ)様が預けてくださった呪具のおかげだろう」


「でも、呪具が発動した気配はありませんでしたよ? 結界も張られていませんし」


「条件によって結界の発動が異なるんじゃないのか? 俺達が感知できない程の速さで局所的な結界が張られたのかもしれない」


 君丸は呪具の存在を確かめるように懐に手を置いてピタリと止まる。慌てて懐を探った後、君丸は絶望的な表情を浮かべた。


「失く……した?」

「あーあ。怒られますよー。”君丸君、廊下に立っていなさい!”って」

「廊下に立つだけで許されるわけがないだろう!? 早く探さなければ!!」

「あっ、ここに落ちてますよ」


 地面に落ちている小さな巾着を拾い上げてみると、布の軽さしか感じなかった。


「中身は入ってないですね」

「嘘だろ……」

「木を退かしたら見つかるかもしれませんよ。私も一緒に探しますから」


 落ち込む君丸に慰めの言葉をかけた後、菊理は改めて律子を見下ろした。


「人の死体は、久しぶりに見ましたね」

「最近はなかったからな。……お前は中に戻っていろ。ここは俺が始末しておく」


「私もやりますよ」

「やめろ。女中がやることじゃない」


「女中であることとは関係ないでしょう? 私も本家の従業員です。このくらいのことは覚悟していますし、内部事情を口外するような馬鹿な真似も絶対にしません」


「そうではなくて……。俺が昔言ったことを気にして、死体処理をやろうとしているならやめろ」


「は? 急に何の話ですか?」


「……お前が言っただろう? 昔、俺に酷いことを言われたと。どうしてそう言ったのかは、よく覚えていないが、お前を下げたかったわけでも、傷つけたかったわけでもない」


 君丸は苦々しい表情をしながら言葉を絞り出す。菊理はポカンとしていたが、はたと気づいた。


「もしかして、さっき私が話したことを気にしてたんですか?」


 図星だったようで、君丸は黙った。菊理は気が抜けて思わず笑ってしまう。


「話の途中でしたね。期待していないと言われた時は、見捨てられたと思ってショックでした。でも、そのあと君丸さんが続けて言ったんですよ」


 ──”ベテランでもミスをするのに、新人に完璧を期待するのは愚かだ。お前のミスくらい、俺がいくらでもカバーしてやる。その代わり、必要以上に落ち込まず、何が問題だったか、次はどうしたら良いのか考えて、ゆっくりでもいいから成長していけ”。


「……その言葉を聞いた時、私は思ったんです。君丸さん相手に遠慮はいらないと。めちゃくちゃ迷惑かけてやろうと心に決めました!」


「ちょっと待て!! 何でそうなるんだ!?」


「だって、私のために泥を被ってくれるって言うんですよ? くまなくかけてやらなければ失礼です!」


「それが礼儀だと思っているなら、今すぐゼロから学び直せ!! ……はあ、お前相手に心配するなんて損したな」


 君丸は深い溜め息を吐く。 

 本音を言えば、あの時の君丸の言葉は、菊理にとって本当に衝撃的だったのだ。


 完璧を期待されない。理想を押し付けられない。そのことに、どれだけ心を救われたか。重石に埋もれていた心に、爽やかな風が吹いたように心地がよかった。

 

 君丸がそう言ってくれたから、その言葉が真実だったから、菊理は今の自分になれたのだ。好きなものや、やりたいことを聞かれても、まだそんなに答えられないけれど。それでも、生きることに対して気楽になれた。


「君丸さん一人に背負わせません。何なら、君丸さんが人を殺した時は、一緒に死体を埋めてあげますよ。共に大地を讃えるような芸術的なお墓を作り上げましょう!!」


「不謹慎すぎないか!? それに、俺は人を殺さないと決めている。縁起でもないことを言うな」


「まあ、そうでしょうね。君丸さんに殺せる人はいなそうです」

「おい、どういう意味だ?」

「さあ?」


 菊理は肩を(すく)めておちゃらけた態度を取る。

 君丸は仕事をきっちりとするが、人を殺せるような人ではない。きっと、相手の命を奪うことに躊躇している内に殺されてしまう。だから、(そう)(いち)(ろう)は、丈や『呪罰行きの子』と同じような仕事を君丸にさせないのだろう。


「さて、そろそろ片付けましょう。律子さんに対して怒りはありますが、いつまでも木の下敷きにしておくのは流石に可哀想ですから」


 菊理は平然と言いながらも、内心では緊張していた。 

 何度か人の死体を見たことはあるが、遠巻きにであり、ここまで近くで接するのは初めてだ。


 修と君丸は、死体に関わる仕事を菊理に命じたことはない。新人の女中が外部に漏らす危険性を危惧していることもあるだろうが、精神面を案じてのことだろう。鬼降魔で死体と関わるなら、穢れを受けてしまう危険性もある。


(思えば、律子さんの体には穢れを感じない。こんなに苦しそうな表情なのに……)


 疑問はあるが、きっと答えは得られないだろう。菊理は恐怖と緊張を振り払うように(ぎん)(ちゅう)を取り出した。


「拘束術式で木を退かします。君丸さんは離れていてください」


「待て。このまま拘束術式を使うと、遺体まで巻き込んでしまう。拘束術式は俺が使うから、お前は加護を使って木を浮かせろ」


「わかりました。へい、うっしぃ」


 菊理が加護を呼ぶと、子牛の姿をした(うし)が現れる。菊理は銀柱に刻んでいた爆発術式の中の風の構築式を引っ張り出して、丑の前に置いた。


 丑は菊理の意図を理解して後ろへ下がると、頭を下げた姿勢のまま、勢いよく風の術式に突進した。


 風の力で加速した丑が木に衝突する。木は宙に浮き、庭の端の方にある倉庫を超えて塀の向こう側へ飛んでいく。


(やばっ!! やりすぎた!!)

 

 菊理が焦った瞬間、木に白い光の糸が巻き付いた。

 君丸が生成した拘束の糸が一気に収縮して、木は倉庫手前の地面に向かって引っ張られる。君丸は続け様に風の構築式を使って、木が地面に落ちる際の衝撃を和らげた。


「君丸さん、ナイスカバー! グッジョブです!」

「お前は本当に……。まあいい。とりあえず、遺体を中へ運ぶか」

「はい。君丸さん一人では運べないでしょうから、私が足の方を持ちますよ」

「舐めるな。俺一人で運べる」

「ええ? 嘘だぁ」

「嘘じゃない。母の介護で鍛えているからな。お前が手伝う必要はない」


「……もしかして、律子さんをお姫様抱っこするつもりですか? 親族ならまだしも、人妻相手に胸が密着するような真似はどうかと思いますよ」


「何でこの状況で、そんな下品な考え方ができるんだ!?」


「とにかく、セクハラ野郎というレッテルを貼られたくないのなら、二人で運びましょう。君丸さんは律子さんの腕の方を持ってください」


 君丸は「納得いかない」とぶつくさ文句を言っていたが、大人しく律子の頭部側へと移動する。


「胸に触らないようにしてくださいよ」

「触るか!!」


 君丸は、律子の背中に手を入れて上体を起こさせる。その時、律子の口から何かが吐き出されて地面に転がった。


 黒く染まった石のような物。君丸と菊理が見つめる中、黒い物が粉々に割れる。驚いている間にも、黒い塵となり、風に攫われて消えた。あとに残ったのは、黒い物の中から出てきた真珠のような白珠だった。


 菊理は惹かれるように、その珠を拾い上げる。君丸がギョッとした顔で律子の体から手を離し、菊理の右手を掴んだ。


「ばか! 得体の知れないものを触るな!」


 菊理の目から涙が溢れるのを見て、君丸は急いで珠を取り上げる。珠を投げ捨てようとした君丸は、振りかぶった姿勢のまま手を止めた。君丸の目からも、同じように涙が溢れ出していた。


 害のあるものではない。むしろ、その逆だった。


「君丸さん、これは何でしょうか?」

「俺に聞くな。悪いものではないだろうが……。あとで丈さんに見てもらおう」


 君丸は涙を袖で乱暴に拭うと、珠を懐にしまう。菊理も指先で涙を払った。


 珠を手にした時、心を包み込むような温かい感情が流れてきた。

 初めて触れる、それでもどこか懐かしさのあるような。暖かい日差しの中で、誰かに全てを受け入れて抱きしめてもらったような気がした。



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