第○?話 敬具 死人
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鬼が盤上から降りて
魔が去った平和な世界で 君はいきてほしい
すべてが丸くおさまるわけではないけれど たくさんの幸せがふりそそいでほしい
世界から祝福された子 あなたは重荷なんかじゃない
なによりすてきで だいじな わたしのたからものです
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鬼の死体を見下ろして、私は笑みを浮かべる。
この屋敷の中で、あの子を脅かす人間はもういない。
(神様。私の子を守ってくださって、ありがとうございます)
人を呪い殺した私に待っている地獄の沙汰はわからない。ただ、愛しい子の命を鬼から守れたことへの大きな安堵に包まれる。
一体、どれくらいの時が経ったのだろうか。ずっと朧げな夢の中にいるようだった。
どこかに閉じ込められたように身動きはできなくて。でも、それは窮屈ではなくて、私を守っている家のようなものだということは、直感的にわかっていた。
夢の中で、あの子がたくさん傷つけられる姿を見ていた。でも、私には何も出来なかった。何度、痛みを代わってあげたいと思ったか。何度、その体を抱きしめて、「大丈夫だよ」と言いたいと願ったか。
(でも、あなたは強かったね)
叔父夫婦は、あの子を大切に育ててくれた。あの子自身も受けた愛情を大切にして、優しくて強い子に育ってくれた。
人の気配がして顔を上げて振り向くと、砂利道の先にあの子が立っていた。
意識がはっきりしている時に、成長したあの子に会えたのは、これが初めてだ。
──ああ、なんて愛おしいんだろう。
胸に広がる、この溢れる感情を全て表せる言葉なんて、この世に存在しないんじゃないだろうか。
死んでいるのに、涙が頬を伝う感覚がした。
愛おしいな。側にいたかったな。たくさん抱っこしたかった。「おかえり」とか、「ただいま」とか言いたかった。一緒に遊んで、たくさん笑って。悲しいことがあったら一緒に泣いて。怖い夢を見た時は抱きしめてあげたかった。喧嘩しちゃっても、最後には仲直りして一緒に笑いたかった。あなたと過ごせる短い時間の全てを大切に大切にしたかった。
終わりの時間だと、魂の奥底から聞こえる。もう、この世界にはいられない。私が私でいられる時間も、きっと、そんなに残されていない。
私は、あの子を見つめる。
言葉は届かないだろうけど。想いが伝わることもないだろうけれど。
『あなたを産んでよかった』
それでも、祈りは届くだろうか。
『あなたはきっと、たくさんの人に愛される。あなたがただ生きているだけで、救われる人が必ずいることを忘れないで。あなたは、この世界とこの世界で生きる人達に必要とされて生まれてきた大切な存在なの。私の……ううん、多くの人にとっての宝物。いつまでも健やかで。あなたが生きている日々が、たくさんの笑顔に溢れていますように』
幸せでいて。どうか、どうか。
想いをギュッと閉じ込めるように強く祈る。
目の前にベールがかけられるように、あの子の顔やこの世界が見えなくなる。温かい何かに包まれて、私は目を閉じた。
この世に別れを告げる夕暮れ時。
鬼降魔紘子は、この世に一つの祈りを残した。




