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呪いの一族と一般人  作者: 守明香織
第十章 呪いを返す話<鬼降魔編>
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第47話 悪魔達


 

 (とり)の家との約束があったためか、当主はそれ以上、(じょう)(ゆい)(ひと)()(しの)と別れるように命令することもなかった。


 (ゆう)()が絶望している内に残酷な程に早く時間が過ぎ、父に命じられるまま退職して実家に戻った。望まぬ相手と結婚する前日、裕奈は母に泣きついた。


「お母さん、お願い。私、結婚したくない。ずっと前から好きな人がいるの」

 

 娘の涙を見て、母が心を入れ替えて父に立ち向かってくれることを願った。母は裕奈を優しく抱きしめ、口元に笑みを浮かべる。


「裕奈ちゃん。そんなわがままを言ってはダメよ。結婚して嫌なことがあっても全て我慢して夫に尽くすの。それが女の生き方よ」


 諭す母の顔に浮かんでいる笑みの正体が愉悦だとわからぬほど、裕奈は愚かではなかった。

 不幸の中にいる母は、娘が自分を差し置いて幸せになることを望んでいなかった。自分だけが不幸ではないことが、堪らなく嬉しいのだろう。


 裕奈は結局、望まぬ相手と結婚させられた。

 物語のように、『望まぬ相手と結婚しましたが、幸せになりました』という展開は当然なく、裕奈はさらに絶望することになる。


 結婚相手は父と同じような人間。いや、父以上の怪物だった。

 裕福な家庭に生まれ、望むままに与えられた男。内面を表すかのような醜悪な見た目。何故、今まで結婚出来なかったかなんてよくわかる。


「お前の父親から、娘を好き勝手扱ってもいいと言われたからな」


 旦那となった男は、それが免罪符でもあるかのように振り翳して、裕奈を手酷く扱った。家政婦のように自分の身の回りの世話を焼かせ、暴力を振るい、汚い欲の捌け口にした。


 旦那の中にある他者を蹂躙したいという欲。裕奈はそれを満たす道具にすぎなかった。


 生涯無職であることさえも両親から許されている旦那は、裕奈に働くことを強要した。休みなどなく、冗談抜きで朝から晩まで働かされる。家事は少しの手抜きも許されない上に、裕奈が外で働いて得た賃金は全て没収された。


 子供の頃以上の地獄の日々の中、裕奈は妊娠した。

 旦那も少しは裕奈を大事にしてくれると思ったが、扱いは何一つ変わらなかった。


 別居している義両親は、裕奈の妊娠を知って初孫が産まれることに喜んだ。しかし、息子が嫁に暴力を振るっている姿を間近で見ても、「腹だけはやめておけ」と注意しただけで、その他のことは黙認した。


 仕事が休みの日。裕奈が妊娠中のつわりで苦しんでいる時に、旦那がパチンコ屋まで車で迎えに来るように命じた。タクシーを使えばなんて言えるわけもない。義両親に電話して代わりに行って欲しいと頼んだが、夫の世話は嫁の仕事だ言って断られた。


 自分達が好き勝手に育てて作り上げた怪物。他人の無責任な代償を、何故、裕奈が支払わなければならないのか。


(術を使って全員殺せたらいいのに……)


 術で殺すこと自体は難しくない。力を込めた爆発術式でも発動させれば、旦那家族を皆殺しにできる。しかし、殺せたとしても、裕奈に未来はない。本家の術者にバレてしまえば、ただでは済まない。それでは、丈に会うことも叶わなくなる。


 裕奈は出産するギリギリまで働いた。出産後も碌に休むことなく、今までの奴隷生活に子育てが加わり、心も体も疲弊した。

 

 自分の腕にいる子どもを見つめる。ふくふくとした柔らかな頬。薔薇色の頬と唇。一人だけでは生きられない弱い存在なのに、裕奈の指を掴んでくる手に感じる命の力強さ。


(……どうしよう。全く可愛くない)


 子供を産んだら愛せると思っていた。しかし、目の前にいる生き物に芽生えた感情は、床を這う害虫でも見るような冷めたものだった。

 子供を抱える度に感じるのは、産んでしまった命への責任というズシリとした重さだけ。自分を踏み躙る男の子供を肯定することを、裕奈の心は拒否した。


(でも、愛さなきゃ)


 生まれてきた子供に罪はない。自分の子供を愛さなければ、人として終わっているだろう。自分の本心を否定して、裕奈は子供を愛する努力をしようと決めた。


(……丈さんとの子供だったら、こんなことを考えずに済んだのに)


 

 地獄のような日々も、次第に慣れていく。

 諦めて、ただ日々が過ぎるのを淡々と待つような。心が死んでいる日々を送っていた。


 息子は成長していくのに、旦那は全く成長しなかった。相変わらずの暴力。子供にも手をあげようとするので、裕奈は自分の身を(てい)して(かば)った。

 庇った理由は、母に対する反抗心からだった。母は裕奈を守ってくれなかった。自分は母と違う良い人間なのだと証明したかった。


 しかし、息子は裕奈の思いに報いてくれるような人間ではなかった。


「ごめんね。遅くなって」

 

 息子が小学二年生になった頃。裕奈は仕事で急な残業が入ってしまった。

 旦那は外に飲みに行っていたようで、息子は家で留守番をしていた。寂しかったのか、裕奈が声をかけても、息子はブスッとした顔で返事をしなかった。


「すぐにご飯を作るからね」


 重たい買い物袋をテーブルの上に置こうとした時、裕奈のこめかみに鈍い痛みが走る。何かが落ちる音がして視線を向けると、息子に誕生日プレゼントとして買い与えたヒーローのおもちゃが、裕奈の足元に転がっていた。


 何が起きたのかわからず思考停止していると、追い討ちをかけるように太ももに鈍い痛みを感じた。


「遅いんだよ!! くそババア!!」


 息子が怒鳴り、裕奈の足を蹴る。子供とはいえ、思い切り力を込めた攻撃は痛い。裕奈が悲鳴を上げると、息子は更に力を入れて蹴ってきた。

 息子は自身の中にある怒りが発散できるまで、裕奈を罵倒し、暴力を振るい続けた。


(……どうして? 私は、愛情を与えようとした。愛せない男の子供であるあなたを、一生懸命愛そうとした。私の母と違って、あなたを守った。優しくした。それなのに、あなたまで私を不幸にするの?)


 息子に買い与えたおもちゃは、旦那に殴られながらも土下座して、やっとの思いで手に入れられたもの。裕奈が一生懸命働いて金を稼いでも、自分の服も化粧品一つも買えないのに。

 無惨にもヒビ割れたおもちゃは、裕奈の人生の惨めさと無意味さを容赦なく突きつけていた。


 最初の暴力をきっかけに、息子は一方的に人を虐げる快楽を覚え、裕奈をぞんざいに扱うようになった。息子が鬼降魔の力を受け継いでいなかったのは、裕奈にとっては幸いだったと言える。

 旦那は勿論注意することなく、息子が裕奈に暴力を振るう様子がエンターテイメントでもあるように、煽りながら見ていた。


 

 最悪な旦那と息子を養うために働き続ける奴隷の人生。

 死んだように日々を過ごしても、体も心もまだ痛みを感じ続ける。何もわからなくなれたら楽なのにと、自分の精神がまだ正常さを保っていることを呪った。


 裕奈の人生で唯一助けてくれた人である丈は、まだ迎えに来てくれない。

 

「お姉さん。大丈夫ですか?」


 後ろから声をかけられて、裕奈はハッとする。

 目の前には大きな川が広がっていた。橋の欄干を掴んでいる両手を見下ろし、自分が今いる場所がわからずに戸惑う。


(……あ、そうだ。今からバイトに行こうとしていたんだ)


 フルタイムの仕事を終え、家で旦那と息子の食事を作った後、夜のバイト先である飲食店に向かおうとしていた。その道中にある川に何となく目を引かれて、いつの間にか立ち止まって見入ってしまっていたのだろう。


 思い出した瞬間に体に感覚が戻り、秋の夜風の冷たさに身震いする。

 裕奈が振り返ると、誰かが立っていた。背格好から考えると、男だろう。夜の闇と車のライトの逆光で、男の表情は全く見えない。


「何か思い詰めていらっしゃるようですね?」


 男が一歩近づく。裕奈はビクリと体を震わせ、一歩後退した。


「いえ、ただ疲れて休んでいただけです」

 

 愛想笑いを浮かべて退散しようとした裕奈の行手を阻むように、男は更に言葉を続ける。


「良かったら、お話を聞かせてくれませんか? 私は、あなたを救いたい」

 

 救い。それは裕奈が一番求めていることだ。

 しかし、今まで虐げられて生きてきた裕奈が、会ったばかりの人に心を開ける筈もなかった。

 

「あなたには救えません。私を救える人は、一人だけです」

  

 丈の存在は、未だ色褪せないまま胸に宿り続ける希望の光だった。夜の暗闇の中にある星のように。辛い現実の中で、唯一、裕奈に幸せを与えてくれる。


「そう決めつけるのは勿体無いですよ。私は、あなたを救う力を持っています」


 男が食い下がる。自分に特別な力があると勘違いしている人か、裕奈に危害を加えようとしている危険な人なのかもしれない。裕奈の警戒心が高まったからか、加護の(いぬ)が自ら姿を現した。


時間が静止したように、男の動きが止まる。不審に思っていると、対向車のライトに照らされ、男の目がカッと見開かれているのが見えた。男の視線は、裕奈の加護へ向けられている。


「なるほど。あなたも特別な人間でしたか」


(! この人、私の加護が見えているの!?)

 

 肌を撫でるようなゾワリとする邪気を感じる。邪気は裕奈に向けられたものではなく、纏う衣のように男の周囲に漂っていた。


「あなた、何者なの?」


 震える声で、裕奈は問う。男は裕奈に近づき、毒を感じさせるような怪しい笑みを浮かべた。


「私は数賀正道と申します」 


 男が胸に右手を当てながら芝居がかった一礼をする姿を、街灯がスポットライトのように照らす。


 男の笑みの奥には得体の知れない何かがあった。それが何なのか、裕奈には見当もつかない。


 ただ、男の黒衣と相まって悪魔のようだと思った。



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