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呪いの一族と一般人  作者: 守明香織
第十章 呪いを返す話<鬼降魔編>
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第33話 鬼降魔菊理



 (きく)()の両親は、()(ごう)()の能力がほぼ無いに等しい人達だった。

 故に、自分達より呪術の才能がある娘に期待した。娘が特別な存在になれば、自分達も特別な存在になれると思っていたのだろう。


「私達の言うとおりにしていたら間違いないの」


 期待という名の支配。

 両親は、自分達の理想と違う言動をすることを娘に許さなかった。


 菊理も初めは両親が喜ぶのが嬉しくて期待に応えようとした。だが、出来ないことはある。その度に、両親から「どうして出来ないのか」「努力が足りない」「もっと頑張れ」と酷く責め立てられた。出来なければ見捨てられるという強迫観念を常に抱えていた。菊理に安心できる居場所なんてなかった。

 両親の顔色で全てを判断していく内に、自分が何をしたいか、何を好きなのか分からなくなった。


 世間で言う『毒親』なんて言葉は、菊理にとっては便利アイテムだ。親のせいにしておけば、自分の人生を考えなくていい。思考停止したまま、自分の人生の責任なんて取らずに被害者面していられる。


 長い時間をかけて少しずつ集めてきた心の重石(おもし)に埋もれていられるのが心地よかった。取り払われて剥き出しになった自分にダメ出しされることが怖くて堪らなかった。



 (そう)(いち)(ろう)様の婚約が白紙となったことを、菊理の両親は手を叩いて喜んだ。

 もし、娘が次期当主の婚約者となれば、鬼降魔の中でもかなりの地位を手に入れることができる。娘を総一郎様に近づけようと考えた両親は、菊理に本家勤めの女中になるようにと告げた。


 自分では進路も生き方も決められなかった菊理は、両親の言葉に従い、大学在籍中の秋に本家の女中になる試験を受けた。

 前年に当主様が『(じゅ)(ばつ)行きの子』に襲撃され、(とら)の家がなくなったことで、本家は人手不足だった。危険な仕事ということもあり、希望者もほぼいない状況だったので、菊理はすんなりと合格した。

 本採用は大学卒業後になるので、それまではアルバイトとして少しずつ仕事をしていくことになった。

 

 両親は歓喜し、菊理に大きな期待を寄せた。

 しかし、菊理は不安しかなかった。女中になれば総一郎様と接点はできるかもしれないが、婚約者になれなければ意味はない。

 

(私が誰かに愛される?)


 ──”気に入られるような素晴らしい女性として振る舞いなさい”。


 気に入られるようにとは、素晴らしい女性とは、一体何なのだろう。

 自分だったら、こんな人間はごめんだ。何もかも人のせいにする存在なんて迷惑でしかない。わかっていても、生き方を変えるなんて怖くて出来なかった。



 女中のアルバイト初日。

 菊理は不安を胸に抱えたまま、鬼降魔の屋敷を訪れる。


(役に立つことをアピールしなくちゃ。大丈夫、仕事も勉強と同じ。頑張れば出来る。いや、出来なくちゃいけない!)


 菊理は心の中で自分を奮い立たせるが、全く思い通りにはならなかった。


 女中の仕事は覚えることが多い上に、体力仕事の割合が大きい。礼儀作法、仕事の丁寧さや速さも求められる。バイトをしたことがない菊理は多くのミスをした。次から次に命じられる仕事で頭がパンクしそうだった。


「絶対に落とさないでよね」

「はい」


 菊理は水気を含んだシーツを山のように積んだ洗濯カゴを持たされた。

 重い上に前が見え辛い。当時は洗濯物を干す場所が洗濯室から離れていたため、運ぶのも大変だった。菊理は廊下の角を曲がりきれず、柱に洗濯カゴをぶつけて落としてしまった。


「す、すみません!」


 菊理は慌てて床の上に散らばった洗濯物を拾う。頭上から、ベテラン女中の溜め息が聞こえた。


「最近の子って、本当に何もできないのねー。ああ、嫌だ嫌だ」


 冷たい言葉に血の気が引く。洗濯のやり直しを命じられて、重たいシーツを抱えて一人洗濯室へ戻った。


 洗濯機にシーツを入れる。棚の上部にある粉洗剤を取ろうとしたが、身長が低い菊理では普通に手を伸ばしても届かない。背伸びをして取ろうとしたのがいけなったのか、手が滑り、洗剤が入った箱をひっくり返してしまった。


「ああ……」


 粉洗剤が派手に散乱した床を見て情けない声が出る。掃除道具が何処にあるかもわからない。仕方なく洗剤を手で掻き集めて箱に戻していると、誰かが洗濯室にやってきた。


「うわ。何これ」


 四十代くらいの女中二人組が、菊理と床を交互に見て顔を(しか)める。女中達はわざとらしいほどの大きな溜め息を吐いた。


「落としたの? 鈍臭いわね」

「これじゃ洗濯できないじゃない。あーあ」


 責める声に更に萎縮した菊理の前に、女中達は持っていた洗濯カゴを置いた。


「これ、洗濯しておいてよね」

「え?」

「あんたが馬鹿やったせいで仕事ができないんだから当然でしょ」


 女中達はそう言い残して洗濯室を出ていく。

 増えてしまった仕事を前に、菊理は何から手をつければいいのかわからなくなった。


(お父さんとお母さんが本家で働くことを望まなければ、こんなに辛い思いをしなかったのに……)


 涙と共に両親への恨みの感情が浮かぶ。そんな自分が情けなかった。


 カチャリと音がして、再び洗濯室の扉が開かれた。


「うわっ!」

 

 中に人がいると思っていなかったのか、後ろから驚いた声が上がった。菊理は着物の袖で涙をグイッと拭い上げた後、気まずい思いで振り返る。


 そこにいたのは、神経質そうに眉を吊り上げた若い男性だった。男性は訝しげに菊理を見下ろす。


「洗剤を溢したのか?」


 菊理が怯えながら頷くと、男性は溜め息を吐いて扉を閉めた。


(……やっぱり、助けてくれる人はいないんだ。社会は冷たいっていうのは本当だったんだ)

 

 また洗剤を手でかき集めていると、洗濯室の扉が開いた。振り返ると、先程の男性が掃除機と雑巾を持って立っていた。驚く菊理を、男性がジロリと睨みつける。


「退いてろ」

 

 菊理は男性の迫力に押されて隅の方へ寄る。男性は掃除機で粉洗剤を吸い取った後、雑巾で綺麗に床を拭き上げた。


「これでいいだろう」


 男性は満足そうに一人頷くと、棚の上から新しい洗剤を取り出して菊理に渡した。


「洗濯の仕方はわかるか?」

「は……」


 ”はい”と言いたいところだが、正直言うと洗濯をしたことがなかったので知らない。黙ってしまった菊理に、男性は溜め息を吐く。


「わからないなら、わからないと言え」

「……はい」

 

 愛想は無いものの、男性は菊理に洗濯の仕方を一から丁寧に教えてくれた。


「ありがとうございます。助かりました」


 菊理はお礼を伝えて頭を下げる。男性は何も言わずに去っていった。


 それからも、菊理は仕事ができずに空回りしてばかりで、職場に居場所なんてなかった。

 たまに、あの男性と会う。事務員として働いている(きみ)(まる)さん。自分の仕事もあるだろうに、菊理が困っていると呆れながらも助けてくれた。

 


 働き始めて四ヶ月目。菊理は大きなミスをした。

 外部からの電話を取った際、来訪する日程を聞き間違えて当時の女中頭に伝えてしまった。来客は表向きの仕事の契約に関わる人だった。必要な書類も準備できておらず、担当者も他の予定で出かけてしまっていた。君丸さんと(おさむ)さんが代わりに丁寧な謝罪をして、来客も許してくれたが、菊理のミスは信頼を損なうものだ。菊理は周りから冷めた目で見られ、複数の人から人格否定の罵倒を受けた。


「申し訳ありません」

 

 菊理は泣くのを必死に堪えながら、君丸さんと修さんに頭を下げた。

 何一つ上手くできない自分が恥ずかしくて嫌になる。しかも、君丸さんと修さんは菊理に優しくしてくれる人達だ。恩を仇で返す行為でしかない。

 

「お前には何も期待していない」


 溜め息の後に続く君丸さんの言葉は冷たかった。当然のことなのに、菊理はショックを受ける。指の間にポタポタと落ちた涙を隠すように震える手で握りしめた。


(私、見捨てられたんだ)



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