第10話 懐かしい匂い
術を知っているという丈の言葉に、碧真と日和、上総之介も驚いた顔をした。
丈は呪具の術式を見つめたまま、自分の記憶を探る。
(一体、どこで……)
ここ最近のことではない。丈や壮太郎が大人になって解決した呪いでもない。もっと昔だ。
──”丈坊、心配すんな。俺が必ず解いてみせっから。”
心強い言葉と頼りになる大きな背中。
丈に鬼降魔の術や解呪方法、銀柱や加護の扱い方を教えてくれた人。
丈の耳に小さな鳴き声が届く。外に放っていた加護の子の一部隊の隊長から、報告したいことがあるようだ。丈は目を閉じて、加護に意識を合わせた。
力を使い、子が通った経路を辿る。
屋敷の坂を下って左折し、二つ目の角を曲がって大通りに出る手前にある道。その脇にある側溝付近の茂みの中に、邪気を纏った木札が落ちていた。呪具の表面には、ナイフと同じような術式が描かれている。
(何故、呪具が捨てられているんだ?)
偶然、落としたとは思えない。何かの罠とも考えられる。ただ、今は一つでも多くの手がかりを手に入れたい。邪気を放つ呪具を放置して、周囲に被害が及ぶことも防ぎたかった。
「丈さん?」
黙ったままの丈に、碧真が声をかける。丈は目を開けて立ち上がった。
「呪具が見つかった。回収に行ってくる」
子に呪具の回収を任せた方が楽ではあるが、加護を介して丈の体に呪いの影響が出る恐れもある。直接回収に行って、ナイフと同じように術で作った箱に保管した方がいいだろう。
「丈、待って」
踵を返した時、コートの裾を引っ張って止められる。振り向くと、上総之介が困ったように笑っていた。
「一人で全部やろうとしてない? 丈ならやれるってわかっているけど、ただ見ているだけじゃ退屈だし、役目を与えられないのは悲しいものだ」
丈は自分の考えを話さないまま、三人を置いてけぼりにしていたのだと気づく。
「俺は良い手札だと言っただろう? どんな手札だって、使ってくれないと役立たずだ」
身分が上の人を”使う”というのは正直抵抗がある。丈が躊躇っていると、上総之介はニコリと笑った。
「丈がお願いしてくれないのなら、俺は自由に動くけど。それでもいい?」
とても好感の持てる笑顔の筈なのに、不穏な予感をヒシヒシと感じる。上総之介の自由な行動は、確実に丈の予想だにしない方向に突き抜けていくだろう。丈は諦めて素直に頼ることにした。
「上総之介様。ここ最近、不審な焼死体が出ていないか調べて頂けますか? 場所と日付、被害者についても」
今回の呪いは、周囲に火の気はなく、対象だけが焼死体となるもの。死亡した人間は不審死扱いされている筈。もし、被害者の近隣に天翔慈家の方が住んでいたら、呪いが発現した時の穢れを察知して現場に足を運んでいるかもしれない。それならば、より詳しい情報を得られるだろう。
「わかった。紅葉に調査を頼もう。あとは? 呪具の回収も俺が行こうか?」
「いえ、呪具の回収は……」
丈が視線を向けると、碧真は頷いた。
「俺の加護に取りに行かせます」
碧真が加護を顕現しようとするが、青い光は巳を形作る前に霧散した。碧真は驚いて顔を顰める。何度か力を練り出そうとしたが、徐々に力が弱まり、完全に消えてしまっていた。
「……力が使えない」
碧真は呆然として自分の掌を見つめる。袖から銀柱を取り出してみるが、力を注げば反応する術式も無反応だった。
「呪いの弊害か……。碧真、無理に力を使おうとしない方がいい」
丈が声をかけると、碧真は拳を握りしめて俯いた後に立ち上がった。
「直接回収に行ってきます」
「ああ、頼む。少し待ってもらっていいか? 呪具を保管する道具を渡す」
丈は再び呪具を保管する箱を作り出して碧真に手渡した。
「これに呪具を入れてくれ。呪具の上に箱を翳せば、触らずとも箱の中に収納出来る」
「わかりました」
「身の危険を感じたら、そのままにしていい。その時は俺が対処する」
碧真が頷いて部屋を出て行こうとすると、日和が立ち上がった。
「私も行く!」
「……は? 何でだよ?」
「私は碧真君の相棒だから!」
碧真は何か言い返そうとしたが、何も言わずに背を向けて歩き出す。
日和は『拒否されない=ついて来ていい』と判断したのか、碧真の背中を追いかけて離れを出て行った。
「俺のことはいいから、丈も行ってきていいよ。術のことを調べたいんだろう?」
客人である上総之介を一人屋敷に残すことを躊躇していたのを見透かされていた。丈は上総之介に一礼して離れを出る。
駐車場に向かい、車を発進させて自宅に向かった。
丈は自宅マンションの駐車場に車を駐める。
エレベーターを降りて玄関に入ると、部屋の奥から足音がして、寝室の扉が開いた。
「丈さん。お帰りなさい」
「篠! 起き上がって大丈夫なのか?」
「ええ。寝ていたら、少し体調が良くなりました。お買い物ありがとうございます」
篠はニコリと笑う。確かに、出かける前より顔色は良くなっていた。しかし、万全とはいえないだろう。
「篠。やはり、一度病院に行った方が」
「大丈夫です。いつもの貧血ですから。病院から頂いたお薬だって、まだ沢山残っていますし」
「だが」
「私のことはいいです。丈さん、何かありましたか?」
篠の勘が鋭いのか、自分がわかりやすいのか。丈は苦い顔をする。
「……急な仕事が入った。すまないが、暫く帰れないかもしれない」
体調が悪い篠を置いていくことが心苦しい。篠はショックを受けた表情を浮かべて俯いた。
「そろそろ鬼降魔の当主に呪いをかけようかしら?」
「それはやめてくれ。それより、玄関は寒いだろう。早く部屋に戻った方がいい」
丈が寝室へ誘導しようとすると、篠は「寝過ぎて体が痛いので起きていたい」とベッドに戻ることを拒否する。二人でリビングへ向かい、お茶を淹れようとする篠をソファに座らせる。篠は元々華奢なこともあり、体調が悪いといつもより一層儚げに見えた。
「俺が家を空けている間は、壮太郎か琴子さんに来てもらえるようにお願いしよう」
「私からお姉様に連絡してみます。丈さんはやることがあるのでしょう?」
「……すまない」
「謝らないでください。私は大丈夫ですから」
篠はニコリと笑みを浮かべた。丈は申し訳なく思いながら、自分の書斎に向かった。
書斎にあるクローゼットを開けて、床に置いている木箱を両手で抱えて取り出す。蓋の上から箱の前面にかけて貼っている札に触れて力を流す。上蓋と箱本体の境目に光が走り、札が剥がれた。
丈が蓋を開けると、そこには何十冊ものノートが入っていた。譲り受けた手記と、丈自身が書いた手記。今まで関わってきた呪いの全ての記録があった。
いつか自分に子供が出来て鬼降魔の力を持っているのなら譲ろうと思っていた。その願いは叶いそうにないが、今も惰性で書き続けてしまっている。
丈は一冊のノートを手に取る。
とうの昔に消えている筈の煙草の匂いが、ふわりと鼻を掠める。懐かしい匂いに導かれるように、幼い頃の記憶が胸に蘇ってくるのを感じた。




