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月を象る  作者: 亜房
リヒト・ハウス
8/11

キッチン

 心を打つ軽いときめきのような包丁の音に耳を擽られて目が開く。11時半。フライパンに油が落ちて、溶けるようにじゅうとなって身体を起こす。11時34分。頭の中で群れる羊がどこかに行きはじめた。食卓に並んでいないか確かめる。まぁ、当然居ない。いつもの位置に座る。


『──あ、起きたんだね。おはよう、ネモちゃん。少し待っていて、もう少ししたらブランチにするから。』


ふなを漕いでるからといって私は船長では無いんだけどな。適当に微妙なあいずちをうつ。


「そう言えば、今日は何を作ってくれるの?お父さん。」


目を擦りながら言う。まだ眠い。


『昼だし。炒飯なんてどうかなと思ってね。パラパラと言う訳には行かないけれど、水分たっぷりにならないことは約束しよう。』


少し自信を覗かせる顔。いいな。この顔。嫌いじゃない。


『て、ネモちゃん!もう!いつまでも船漕いでないで、お手伝い!!』


「クウちゃん……お母さんじゃないんだから……。ああ、ごめんなさい。やるよ。」


悲しげな顔になったので、慌ててそう言って、そそくさとキッチンへ。ほぼ出来てるから、手伝えなさそう。冷蔵庫から麦茶を出して、適当なグラスに注ぐ。3つ。食卓に運ぶ。


『最後に卵だ。』


リヒトさんがそう言った。ちょうどもうすぐ終わるみたいだ。


***


 一家の団欒。血は繋がっていないから、厳密にいえば違うけれど、間違いだらけの私たちにとってこれは正解だ。周りに煙がたってるのは故障じゃない。彼が吸うシーシャの残りだ。空にチョークで線を引くみたいな煙の絵は何処に消えてしまうのか。


『お口に合わなかった?』


「少し考えごと。とっても美味しいよ。」


──そう言えばこんな日だったなぁと。笑ってみせるとリヒトさんは少しいぶかるけれど、やがて笑顔を見せた。奥で扇風機の風に揺れる部屋干しの下着とは対照的だ。この空間の裏側はどうかは知らない。ただ、私は今のところ安寧という名の得難い幸福を享受している。それは間違いないのだ。


『睡季さんはどうだった?』


幸福な食卓に挟み込まれる悩みの種。ピーマンは種があった方が好きだけれど、この種は除去しておきたい。花もジメジメしたものしか咲かないし。


「素面でも酔ってる人だった。泳ぐ海が酒しかなくて、色んな愚痴を産卵してた。ロシアにでも住んでいたのかもしれない。」


可哀想なロシア人、ヴォートゥカ片手に神を見るか。きっとロシア人名は睡季(Суики=)憂鬱(Меланхолия)とかそんな感じ。ちょうどяで終わるからロシア人女性らしい。意味は最低だけれど。


「でも、これからの色々なゴタゴタを避けて通らすことは出来なかった。──空を泳ぐ流れ星すら見えないこの都市(地獄)で溺れている人をさすがに放置出来ない。願掛けするものすらないからね。随分迷ってしまったけれど、決めてしまったことなの。──ごめんなさい。」


『──謝ることじゃないさ。私も彼女に罪悪感があったんだ。むしろスッキリしたくらいさ。』


カラッとした笑顔を浮かべてそう言う。逡巡の甲斐あったのかもしれない。結果的に彼女を救えた。


──私は、【逡巡】する。全てを考え終わってなお葦のように動けない。しかし、すぐに決まるものがある。それにはいつも──悲しみが絡んでいる。

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