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月を象る  作者: 亜房
リヒト・ハウス
7/11

アマツメ・クウ / 36.5℃

 洗濯機の中に紛れ込んでしまったのかもしれない。水音がうるさいし、着ている流行りのシャツの洗濯糊も落ちてきている。服のベタつきが情けない。上を見上げても銀色。抱えきれなくて零すみたいに溢れ落ちる水。


『軒下なんかで何をしているの?』


シャワーに紛れ込んで反響する声。泣いてしまいそうになるほど安心する声だ。お風呂の中にいるみたい。


「居場所が──無いの。」


自分の心を刺すナイフの温もり。赤い血が未練がましく垂れる。泣くときは、自分を理由にしたかった。誰かも知らない、雨煙の先の優しい声に泣かされたくなかった。


『そう。』


「そうって……え──」


優しく抱き寄せられる。少し埃っぽい匂い。使われなくなった箪笥タンスの中のゴブレットのよう。


『君、僕とお友達にならない?きっと、寂しくはさせないから。』


友達という表現とはおそらく相容れない男女の行動。しかし、彼の男性らしさは希薄だった。そもそも、人間らしさも。


「──似ているな」


思わず口に出る。この人はどこか私に似ている。中身がドッペルゲンガー。人間なんて外側は内側に比べりゃ大同小異だ。服装と変わらない。汗だくのシャツは臭いけれど、新品のシャツの臭いも種類によっちゃ臭い。幸せな人の種類は少ないが、不幸せな内情はそれこそ十人十色。色はみーんな黒のくせに。配合やら彩度やら幸福()の上塗りでオリジナルを出してくる。見た目を信じてはいけない。上辺では綺麗なくせに裏では弱ってるかもしれない。人は星だ。寂し過ぎて氷河期が来るし、人によってはガス抜き出来なくて温暖化だってする。外から来る冷えた目線に自分の深層心理が耐えきれなくなったりもする。自信(地震)の有無で揺れるし、対応を失敗すると波風立つ。


『君が言うならそうなんだろうね。』


人が良さそうに人任せの曖昧な結論を匙のように夜空に投げる。


「何よそれ。」


『僕は、自分が無いから。小さい埃被ったグラスに過ぎないからさ、よく分からないんだ。どんなものが入ってもこのくらいの容量なら一息だから、楽なんだけどね。辛酸も、スピリタスも。』


嘆息混じりに彼は歩き出した。黒スプレーが狭い路地の壁をのたくってるのを見ながら、着いていった。


***


 『着いた着いた。』


 彼がそう言ったのは、路地裏の最奥だった。ボロい屋根とおそらく拾ったであろうガス灯。台風の夜みたいな部屋だ。ペシミズムとニヒリズムを混ぜてキャンバスにそのままぶつけたみたい。


『どうだい?酷いところだろう?』


画家が己の絵を紹介するみたいな調子でそんなことを言う。


「酷いけど、どんなにここより良くても、スクランブル交差点じゃあ寝られないから、」


『間違いない。強力な糊がタイヤに塗られたときみたいな徐行運転をしてくれても、無事じゃいられないだろうね。』


スクランブル交差点にいたら、雑踏に溶けそうな笑い声がいつまでも耳に残る。耳に入って出ていかない水のよう。ぱぱぱぱ。破裂音。


『僕は寝るけれど、どうする?』


「どうせ、この場所じゃ寝る以外にやることなんてないでしょう?」


『うん。そうだね。じゃあ、おやすみ。』



***


寝て起きるとかれはいなかった。

残されていたのは、行ってくると告げるような、ちゃちな物干し竿にかかった昨日の服。生乾き臭くなりそうだ。


***


彼は3日後に帰ってきたり、1週間後に帰ってきたりした。帰ってくるときはドブネズミのようになってそのまま居眠りする。次の日の昼頃まで起きない。彼がずっと着ているお気に入りのパーカーのようになっていた私は、死んでしまったのか、と不安定になった。フードを脱いだのに視野が狭くなる。きっと、君の小さなグラスの中のテキーラに溺れたんだ。吊り橋で千鳥足。


***


『うん。分かった。君と一緒にその人を待つよ。』


彼は、柔らかな顔をする。


『──居場所は大事だからね。』


悲しみだけを目に宿して。


***


 その後のこともイマイチ覚えていない。雨集 空──こう書くのだとそのとき知った──と合流して、何だかんだ二人とも、都内にしては少し広めの中くらいのアパートに連れ込まれた。確かふかふかのベットに寝たのはそのときかなり久しぶりだったはずだ。


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