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月を象る  作者: 亜房
リヒト・ハウス
6/11

はるか・ひねもす / 37.5℃

 今まで何処に居たのかなんて分からない。ただ棄てられたところで日に自棄やけていた。保護観察処分のマウスの執行猶予が破棄されたんだ。余計なことしても仕方ない。産まれてきて世界の資源を無駄にした罪を償おう。世界に私の居場所は無いのだからとか、そんなことを考えていた。ひねくれマウス。血統書なんか付いてる。元から真っ直ぐ歩けると思っては居なかったが、結局物差しは渡されなかった。判断基準なんてものは生憎持ち合わせが無い。だから詐欺師に美味いように料理されそうだ。一流のコックが選ぶ食材では無さそうだが、贖罪には向いてるかもしれない。私には生きてる意味なんてない。


『大丈夫かい?』


太陽の方向から声が聞こえた。お天道様には顔向けしずらい。


「知らない人とは口を聴くなって言われてます。」


嘘だ。それどころか、何処へでも連れてかれてしまえと言っていた。躊躇いもなくついた嘘は罪深い。ついた嘘はきっと唇にこびり付く。私の唇は嘘の味が濃いだろうし、人より真っ赤に違いない。私とキスする人は可哀想だ。嘘がなすりつけられる。


『そう。君にとって、今知ってる人って誰?』


目の前の男がそう問い掛けてくる。いつの間にか口に嘘の味が広がっている。インクのように流れてくる嘘の水。どんだけ目を凝らして見ても、眩しい太陽でボヤけた先には手に乗ったハンカチしか見えないから、雨は振ってないし、顔は洗っていない。唇が濡れる理由なんて──ない。


『申し訳ない。そんなに泣かせてしまうなんて思わなかった。』


 パリッとしたハンカチ──アイロンしたてか新品だろう──が目元に当てられる。水を吸った匂いがつんと鼻腔を擽る。どうやら泣いていたみたいだ。自分の体すら思い通りに出来ない。そう言えば、たとえ透明に見えても、涙は血であるらしい。涙まで真っ赤な嘘になっていなくてよかった。


「いや、大丈夫。ありがとう。」


困惑と心配の目が私を見ていた。きっとこの人は悪い人じゃない。紺惑こんわく。紺に惑って居るようじゃ、真っ赤な嘘とは程遠い。私の朱を混ぜても赤くはならないだろう。精々紫煙が立つくらいだ。火のないところに煙は立たないが、煙が立つ場所が常に悪い訳では無い。飯炊きの時だって湯気が出るし、線香だって煙を出す。


『見たところ、君は今寄る辺を持たないようだけど、私に着いてくる気は有るかい?最近良く見るから気になっていたんだ。』


「あなた、私が必要?この37度5分の微熱が必要?」


不必要な物を請け負う必要はないだろう。廃品回収業者という職種が存在する理由はそれだ。そう言う言葉を滲ませる。


『ああ、必要だよ。独りは寒々しいからね。私の火は消えかけだから。』


彼は、こんな私に話しかけることからして、何処か怪しげだけれど、たとえ騙されてるとしても騙されていいような気がする。こんなこと考えることからして、自棄から来るヤキが回ってる気がするけれど、こんな──


「寂しがり屋なんだね。」


そう。彼の後ろを這う昏い影から寂しさが呪いのように吹き出しているんだ。私と同じ匂いがする。雨降る路地裏で焚く蝋燭の匂い。


『あぁ、そうだね。』


「わかった。着いていく。でも待って。伝えなきゃならない人が居るの。」


私たちはそれから東から真上、西へと太陽が動くのを見つめながら、ある人を待っていた。アマツメ・クウ。もう一人の陰鬱な路地裏の住人だ。




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