妄想の帝国 その31 日常ごっこ
あの頃と変わらず、朝の列車に乗って都心に通勤しようとする”僕”だったが…
20XX年4月15日
だいぶ暖かくなってきた。もう春物のコートを着ても大丈夫だ。だが、クローゼットの奥からコートを出す時間がない。そんなことしていたら、いつもの電車に遅れる。仕方なくダウンのコートを羽織って、急いで家を出る。
「行ってきます」
返事はなかったが、気にせずに足早に駅に向かう。なんとか間に合った。人々の列に並んで電車を待つ。都心に近いこの駅は多くの乗降客がいる。電車の時刻に間に合ったとしても、乗り切れずに次の電車まで待たなければならないこともある。だから、なるべく早めに家をでなければならない。
そんなことを考えているうちに電車がきた。扉が開いて人々が吸い込まれるように車両に乗り込む。僕もその流れにそって、中にはいる。
混んでいる車内でなんとか吊革につかまって立っている。満員というわけではないが、それなりに人はいるので、座れないことのほうが多い。
揺れながら窓を見るとビルの乱立する地域に入ったのがわかった。急カーブの線路の上で車体が大きく曲がり、そして
ドドド、ガッシャーン、ガラガラ
轟音がして、
そばのビルが倒壊した。
グラグラッと列車も揺れた。
「あ…」
崩れたビルの瓦礫の大半はこの列車に降りかかったようだ。
大惨事だ、おそらく。
僕の周りの乗客たちもこの事故に騒ぎ始めた。
「先頭車両がつぶれた」
「またか」
「これじゃ、進むのは無理だ」
「はあ、また出勤できない…」
ため息をついた男の姿が揺らぐ。会社につくのをあきらめてしまったのか。その顔は酷く悲しげだったが、すぐに体ことぼやけて、もう表情もわからない。
気が付くと乗客の大半が消えていた。僕の前に座っていた女子高生は
「また、学校にいけない。また、会えないんだ、友達にも彼にも…」
といいながら姿が透けていった。いつものことだが、皆がいなくなっていくのをみるのは悲しい。僕はなぜ毎回消えるのが遅いのだろう。死んだのは最後の方だからだ、たぶん。
何年前だったか、いや十数年なのか。この国では感染力の強い恐ろしいウィルスがはやった。流行したのはこの国だけではなかったのだが、対策が格段に不味かったせいで、国民のほとんどが感染。さらに後手後手にまわった政府の対策や医療データを独占しようとした国立の研究所、利権や経済対策優先で救命を後回しにした与党議員たち、真実を報道せず政権や財界に忖度した大手マスメディアのせいで国民もウィルスを甘く見ていた。
感染地帯から逃げて非感染地帯に安易に遊びにいった家族づれ、地元支援者の集まりにのこのこ出かけて行った与党議員たち、花見にパーティーにと最後まで遊んでいた首相夫妻。危機感を感じて自宅にこもろうとした人々もいたが会社が休ませなかったり、休んだ間の収入減を気にして仕事に通い続けた。医療や介護、物流や清掃などの仕事はなおさらだった。
「脳科学者の先生だっけ、“たった二週間だけでいいから、その分の収入を補償して、全国民に水と食料と必需品を二週間分配って籠ってもらえばよかった“って。ほんとそうだけど」
あれを反対したのは隣国と同じ対策だったからか。隣国をバカにして揶揄した奴等が反対したらしい、全く迷惑な奴等だ。もっともそんな奴等を放置したほうが悪いって、他国では言われているらしい。というか、死人に口なしならぬ、耳なしとでもいうのか、そんな情報がどこにいけばわかるのか。
「はあ、これが動けばなあ」
手にもったスマホを眺めるが、これも幽霊。いや幽物とでもいえばいいのか。僕がもっていたスマホの残像だ。生きていたころの画像やニュースは見れるが、今のニュースはさっぱりだ。本物のスマホがあれば、いや駄目だ。触れないかもしれないし、第一この国には今電気がとおってないだろう、特に首都圏は。
首都圏に非常事態宣言とやらが出たときはまだ大丈夫という雰囲気だったが、感染してもわかりにくいせいで、じわじわとウィルスはひろまった。検査が追い付かず疑惑の死者がアチコチにでてきて、休業自粛が続いて、そしてついに緊急事態で人権などが制限された。
「あのときは反対した野党がバカにみえたけど…」
本当のバカは政府与党と、そして支持者だった。のんきにみていた僕もそうかもしれない。もともとロクな対策しなかった政府に大きな権限を与えて批判しなかったら、事態はどんどん悪くなった。利権の奪い合いにかまけて現場が崩壊していくことに目をつぶりつづけたせいで、医療は破綻。ついに大臣までSも医療が受けられなくなった、呼吸器が壊れて。他国も、そのころはまだ酷い状態だったから、支援もあまり受けられなかった。なにより先進国のメンツとかいって、助けを求めるより国際医療機関に寄付して良い顔し続けたのだ、この国のトップどもは。
「世界に金をばらまいて自国の民は瀕死ってほんとコントだよ」
ウィルスで直接死んだ人も少なくなかったけど、経済の停滞による倒産や失業、医療や物流などの過酷な労働環境で間接的に死んだ人も多かった。僕自身は給与が減ったもののまだなんとかなったが、職をなくして餓死したという知人もいた。
「それでも葬式なんかやれないし。第一、死体にすら会えないんだから」
生きてる人間への検査が優先され、死者は検査どころかロクに別れもいえず、すぐに火葬だ。ウィルスで死んでも死ななくても葬儀なんてほとんどやってももらえない。火葬場が追い付かず、ペット用の火葬車を改装して使ったり、最悪焼却炉にそのままつっこまれたというケースもあったらしい。
「焼いた骨がそのまま放置されたのもあったんだよなあ」
僕の体はどうなったのだろう。もう家族はそのとき一緒にいなかった。
「子供たちは無事に逃げたのかな」
妻は早くから会社も辞めて、田舎か、いっそ海外に逃げようと言っていた。会社があるから仕事を辞めたら食べれないからと言い訳した挙句、感染した僕のことを妻はどう思ったのだろう。
「まあ見捨てて正解かもな。あいつが感染したら子供たちだって危ないし」
会社に行っている間に妻は子供たちを連れて出て行った。それでも僕は通勤し続け感染して、そのまま自宅で死んだ…はずだ。
「救急車なんて呼びたくても呼べなかったしなあ。苦しくて。まあだいたい来てくれなかったろうし、なんたって上級国民さえ医療が受けられないし、他国に逃げようったって逃げられないし」
先進国のくせに失敗続きの対策しかとれず、強権を敷いたところでウィルスが蔓延して国民をしなせるような政府、その政府の協力した官僚、財界、マスメディア。そんな卑怯な愚か者を受け入れる国なんてなかった。この国の首相すら見捨てられた、どころではない。
「あいつら亡命もできず空港でオタオタしてたところを生き残った人たちにヤラレたって聞いたけど、どうなのかな」
都心には感染者ばかりだから地方の空港に行こうとしたけど車ごと焼かれたとか、飛行機に乗ろうとしたら感染者が押し寄せて飛行機炎上とか、どっかの映画みたいな話がSNSで流れてた。まるで世紀末だ、この国だけ、と思って笑いそうになった。実際は苦しくてわらうどころではなかったけれど。
「そんなもの見るより家族の顔でもみろって感じだったよな。最期なんだから」
そうだ、直前になって本当に大事にしなきゃいけないものに気が付いて、なんとか連絡をとったんだっけ。最期の声を聴いて、僕を葬ってくれたのだろうか、骨を拾ってくれたのだろうか妻は。
「それなのに、死んでまでまだ通勤しようとするってなんなんだろう」
素直に成仏できればいいのに、せめて田舎で必死になって自給自足の生活してるらしい妻子を見守れればいいのに。それなのに…
「蘇るとまた通勤してしまうんだよなあ」
以前の日常の生活を再現しようとしてしまう。ここにいた奴等も同じだ、前と同じ世界に戻ろうとしてしまう。無機物の列車でさえも
「そのくせ、ビルが倒壊とか、線路が崩れたら、ダメなんだよなあ」
途端に現実に引き戻される。国が崩壊して無人になった首都。メンテナンスされず崩れるままの建物。終わってしまった僕たちの日常。それでも
「また蘇ったら会社にいくのかな」
いや、今度は…。すけてゆく手をみながら僕は考えた。スマホの画面を家族で撮った写真に変えることができれば、ひょっとして…。なんとか操作をしようとしながら僕はどんどん消えていった。
もう感染が収まりつつある国もあるというのに、どこぞの国では右往左往して経済もガタガタになりつつありますが、サラリーマンの方々はやはり満員電車に乗り続けることになるのでしょうか。死んでもなお通勤しようとするなら、まさに社畜でしょうが、本当に大事なものは何か、自分の人生で何をしたいのか今一度お考えいただきたいものです。