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取り巻き令嬢、間違える

ミリーが何を思っていたのか、あまり書けていなかったので。

彼女だって一生懸命、自分の信じたものを見つめているんですよ、という話です。

 正しさとは何なのか、ずっと考えていた。


『どちらも間違っていましたわ』


 エルザベラ・フォルクハイル様は私にそう言った。お姉さまも、ユベルクル殿下も、どちらも正しくはなかったのだと。それは私にとってはまるで思いもよらなかった考えで、衝撃だった。


 けれど。


 どちらも間違っていたとしたら、だとしたら、正解とは、正しさとは何だったのだろう。お姉さまと殿下の間に諍いがあったあの場で、他の誰もが導き出せなかった正解があったのだろうか。彼女は、エルザベラ様は、それを知っていたのだろうか。


 わからない。だって私にはどう見ても、あの場で正しいのはお姉さまとしか映らなかった。


 婚約者を差し置いて他の令嬢にうつつを抜かした殿下を諌めることに、何の間違いがある? 婚約者のある身、一国の王子であるという立場を都合よく利用して、耳障りの良い言葉を並べて、自分の感情を優先する殿下を諌めるのは、婚約者であるお姉さまにとって当たり前に正しい。そんな相手と知りながら近づいたマリーナ王女を、毒婦と罵ったとて正義はお姉さまにあるはずだ。


 先に裏切ったのは、殿下の方だ。


 けれどもエルザベラ様はどちらも間違っていたと言うのだ。殿下のことはいい。彼は確かに間違っていたと思う。でもお姉さまは? お姉さまはいったい、何を間違えた? そして。


 どう振る舞い、何を言えば正解だった?


 考えても考えても答えは見えてこない。そうして迷っている間に、お姉さまはあのエルザベラ様とすっかり親密になっていた。付き合いの長い私よりもよほど心を許した表情をたくさん見せていた。だから私は必死に考え続けた。私が知らず、エルザベラ様が知る正解が、お姉さまの心に響いたのだと思ったから、その正解をなんとしても見つけ出そうとした。


 でも、やっぱり私にはわからない。


 正直に言って、私は賢くも聡くもない。秀でた知恵があるわけでもないし、頭の回転も人並みだ。そんな私では気づきようのない何かを、お姉さまたちは共有していたのだろうか。二人とも私よりも賢いから、私がこんな風に頭を悩ませる問題にも、簡単に答えを出せてしまえるのだろうか。


 嫉妬も、劣等感もあった。けれど同時に、当然だとも思った。


 私はお姉さまとは違う。

 お姉さまのように在ろうと、初めて出会った日から憧れの彼女を真似てきたけれど、どうしたって私はお姉さまのようにはなれない。彼女の模造品ですらない。お姉さまを真似て着飾り、お姉さまを真似て振る舞っても、私はどこか不格好で、いつも大切なところで失敗する。


 ……あのお茶会でお姉さまに雷を落とされた一件だってそうだ。


 お姉さまがいつもしているように凛として強く在れたら、と。そう思ってしたことがお姉さまの逆鱗に触れた。お姉さまはいつだって私の先を行き、私の考えなんて及ばないところから不意打ちに私に声をかけてくる。


 そんなお姉さまと対等に渡り合おうとしているエルザベラ様も、私とはきっと出来が違う。お姉さまとは似ても似つかないのに、いつだってお姉さまと同じように私よりずっと先からものを見ていると感じさせる。


 そんな二人だから、私が割り込めないことも納得していた。悔しさも、嫉みも覚えたけれど、それでもその在り方は輝いていて、美しかった。


 そのはず、だったのに。


 エルザベラ様は――あの女は裏切った。お姉さまの信頼の裏で、ユベルクル殿下と寵姫である王女に通じてお姉さまを貶めようとした。お姉さまの信頼を、私の憧れを、あの女は踏みにじったのだ。

 私はそのことをお姉さまに告げた。初めは信じなかったお姉さまも、私が見聞きしたあの女と殿下との会話について説明するにつれて理解してくれたようだった。


 顔を青くされるお姉さまの様子に一瞬言うべきではなかったかとも思ったが、それでも知るのが遅ければ遅いほど傷は深くなるはずだと自分に言い聞かせた。


「……もう、いいですわ」


「お姉さま」


「ごめんなさい。今は放っておいてください」


「――――」


 ふらりと身体が傾いだお姉さまに慌てて手を伸ばすが、支えようと添えた手を押し戻されてしまう。その力の弱々しさに、私はお姉さまが怪我や病でも患っているのかと思わず身を固くした。それほどまでに、このわずか数分の時間でお姉さまの立ち姿からは生気が抜け落ちて見えた。


 ……早まったのだろうか。


 ふらふらと覚束ない足取りで教室を出ていくお姉さまを為す術無く見送りながら、私は自問する。お姉さまの様子に冷静さを取り戻した頭が、また何かを間違えたのでは、と怯える。


 私は見たまま、聞いたままを伝え、そのことに嘘はない。けれど思い返せば私は殿下とエルザベラ様との会話を全て聞いていたわけではない。嘘はなくとも誤解はあるのでは? 頭の中で渦巻くその疑問に、私は答えを持たない。


 そうしてまた考える。

 正解は、なんだったのだろうか。



* * *



 日に日に表情に鬼気迫るものを滲ませるお姉さまの様子は痛ましく、私はやはりエルザベラ様の裏切りを告げるべきではなかったのでは、と思い悩んでいた。真実であったなら致し方ないことかもしれない。傷が浅いうちに告げるべきだという判断もおかしくはないはずだ。でも、もしそこに誤解があったら。


 エルザベラ様はお姉さまと同じで、私よりも広く、遠くを見ているはずだった。それなら私が見えないものを見て、聞いて、そうして考えて殿下に告げたのがあの言葉だったのなら、そこにはなにか、私には思いもつかないような意味があるのではないか。


 そんな恐ろしくも一蹴できない可能性が脳裏にチラついて、私自身もここしばらく安眠できていなかった。

 考えれば考えるほどその恐ろしい想像は膨らみ、もしかしたら取り返しのつかない過ちだったのではと夜ごとに震えた。


 けれど。


「リムではありませんの。そんなところで何をしていますの?」


「ミリエール様」


 見知った顔を見かけて声をかけ、その視線を追いかけてみれば。


「……あの二人」


 驚きよりも怒りが勝った。


 そこにいたのは親しげに手を取り合い、微笑み合いながら和やかに話すエルザベラ様とマリーナ王女。その姿に覚えた怒りは、これまで抱いていた懸念を吹き飛ばし、私に確信をもたらした。


 やはり、誤解などではなかった。

 お姉さまに少しでも情があるなら、一方的にお姉さまの立場を踏みにじる真似をした王女と、ああも親密でいられるはずがない。手を取り合い、笑い合うなどあってはならない。


 ――許さない。


 お姉さまに知らせなくては。

 私はお姉さまの元へ戻るというリムと共にお姉さまに報告に向かった。私の報告を聞き、一緒に見ていたリムにも確認を取ったお姉さまは、険しかった目つきをさらに厳しく釣り上げ、けれど「そう」と一言漏らしただけでそれ以上口を開こうとしなかった。


「……お姉さま。お気持ちはわかりますが、今は落ち込んでいる場合ではありませんわ。エルザベラ様、マリーナ王女、ユベルクル殿下が結託しているなら何か手を打ちませんと。このままではお姉さまの立場が危うくなります」


「…………」


 お姉さまは答えず、私でもリムでもなく斜め下の地面をじっと睨んだまま動かない。


「お姉さま!」


 焦れた私の言葉に、お姉さまようやくそっと顔を上げ、私を見た。……その瞳が、どこか虚ろで危うげに見えたのは、私の錯覚に違いない。お姉さまに限って、そんな目をするはずがない。


「ミリー」


「はい、なんでも仰ってください。このミリエール、お姉さまのためなら何だって」


「もう私に近づかないで」


「お手伝――え?」


 告げられた言葉を飲み込めず、ぽかんと令嬢にあるまじき大口を開けてしまう。それに対していつもならかけられるはずのお姉さまの叱責の言葉はなく、彼女はただじっと私の目を見つめていた。


「お、姉さま? 聞き間違いでしょうか、いま、私に近づくなと、そう仰いまして?」


「……ええ。貴女と話すのはこれで最後よ。二度と、私の前に顔を見せないで」


「そんな!」


 思わずお姉さまに縋るように手を伸ばしたが、お姉さまはスッと一歩身を引いてしまう。私の手はお姉さまに届かず空を切った。


「ど、どうしてですか! 私に至らぬところがあったなら遠慮なく仰ってください!」


「いいえ、貴女の問題ではないわ。これは私の問題ですの」


「それなら私は気にしませんわ、お姉さまが何をお考えでも、私は変わらずお姉さまのお傍に」


「ミリー」


 追いすがる私の言葉を淡々と、けれどハッキリと拒絶の意思を伴って、お姉さまが遮る。


「二度は言いませんわ」


 これ以上話すことはない。言外にそれだけを告げると、お姉さまは不安そうに何度も振り返るリムを伴って立ち去った。……お姉さま自身は、一度も振り返らなかった。


「どうして、ですの?」


 やはり私は、何かを間違えたのだ。

 事実を誤認したのか、言葉選びを間違えたのか、告げるべき事柄を見誤ったのか。


 正しさを、履き違えたのか。


「……どうしてですの」


 繰り返した言葉はけれど、今度は自問だった。ああ、どうして私はまた間違えたのだろう。何度も何度もお姉さまにお叱りを受けて、間違いを正そうとしてきたのに、とうとうそのお姉さまにも愛想を尽かされてしまった。それほどまでの何かを間違えた。


 どうしてこんなにも間違えてしまうのだろう。

 どうして――私が正しいと信じたことは、いつもいつも間違っているのだろう。

間違いは誰にだってあるものです。クレアやエルザのように人並み外れた能力を持つ人間でさえ当たり前に間違えるのです。けれどその当たり前が、今のミリーには果てしなく重い。


事態をややこしくした元凶の一人ではありますが、彼女もまたクレアを想う一人なのは確かです。

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