佐上弥子と噂の月野
ビジネスホテルの一室。佐上はベッドの上で大の字になって横たわっていた。
はぁ。と、深く溜息を吐く。白い天井。白い壁。スプリングの効いたベッド。耳を澄まさないと何も聞こえないほどに静かな、くつろいだ空間。
けれど、気怠い感覚が抜けない。
時刻は既に21時を回っている。夕食も済ませた。
テレビは、付けていない。ほとんどの局でニュースの時間ではないというのもあるが、流石にもういい加減、見るのも疲れた。
と、頭の脇に置いたスマホが震えた。無言で手に取り、ディスプレイを確認する。母親からだった。
「あ、もしもし」
『もしもし。弥子ちゃん。今、電話大丈夫?』
「うん、大丈夫や。もう、晩ご飯も食べたし。どうかしたん?」
スマホの向こうから、母親の嘆息が聞こえた。
『どうかした? って、それはこっちの台詞や。テレビとか新聞とか、知らないわけじゃないでしょ? それで、大丈夫か心配になったんよ。大丈夫?』
「大丈夫や。別に、うちら何も悪いことしとらんもの。お縄になるとか、そんなことも有り得へんし。そのうち、マスコミも騒ぐのに飽きるんとちゃうん?」
『そう? 落ち込んでいたりせんの?』
「んー?」
佐上は首を傾げた。何も思うところが無いわけではないが。落ち込むというのとは、少し違う気がする。
「いや? まあ、正直言ってウザいし、ムカつくけど」
乾いた笑いが漏れた。
「それより、うちはそっちが気になるわ。念のため訊くけど、うちのこと、ご近所とか、親戚とか。ましてやマスコミっぽい人に話したりしとらんよね?」
『話さんて。面倒くさいもの』
「倉内さんには、気を付けてな? あの人、おかんも知っとると思うけど、スピーカーやから」
『分かっとるて。最近、弥子ちゃんの姿を見掛けないからどうかしたのとは訊かれたから。お仕事で東京に出張しているとだけ、言ったけど。それ以上は話とらんよ。お仕事のことは、私もよく知らないって言っておいたから』
「なら、ええけど」
母親は噂話好きではあるが、本当に話していいこと、聞いていいことの分別は付く人間だ。だから、話していないと言ったなら信用していいだろう。
父親の方は、そもそも噂話そのものに興味が無い人間なので、尚更そっちから話が漏れたとは考えにくい。
『おとんの方にも、お昼に外務省の人から電話があったみたいやけれどね。念のためって。けれど、そんなわけだから思い当たる節は無いって答えたみたいよ』
「え? おとんの方にも連絡いったん? ――って、ああそうか。うちが、もしもの時の連絡先って、前におとんと、おかんの連絡先を教えたんやった」
ボリボリと頭を掻く。あれがまさか、こんな形で使われるとは思いもしなかった。
「まあ。でもそうやなあ。流石にこんな状況になってしもうたし、うちもそろそろ東京ではお払い箱になって、大阪に帰ることになるかも知れんな。ある意味、やっとかとも思うけれど。ほんまに、メール一本送っただけでこんな事になるとは思いもせんかったわ」
『そうなん? そういう話、言われたん?』
「いや? 別にまだはっきりと言われたっちゅう訳でもないけど。ちょっと、そろそろうちの処遇についてどうするかって話、出たんよ。言葉の問題もちょっと落ち着いたし、ずっと東京にいて貰うのもって。それに、今回のこの騒ぎや。外務省さんからはしばらく接触は控えて欲しいと言われたし。だから、このままうちはフェードアウトしていく形になるんとちゃうんか」
『ふーん。なるほどねえ』
「とは言っても、まだうちの想像でしかないし。本当にどうなるかは分からんけど」
でも、確率は結構高いのではないか? そう思っている。
『あ、そうそう。ちょっと話変わるけど』
「ん? 何?」
『弥子ちゃん。本当に月野さんとは何も無いの? 何か、そういう噂があるらしいけど』
その質問は、あまりにも突拍子に過ぎて、数秒、理解出来なかった。
目が、自然と細まる。
「何も無いわっ! おかんまで、変なこと言わんといてっ!」
『えー?』
「何で、そこでがっかりするんやっ? 可愛い娘に、変な虫が付いて嬉しいんかっ?」
『まあね。いい加減、弥子ちゃんもいい歳だもの』
呻き声が漏れる。確かに、娘としては孫を見せたい気持ちもある。いい加減、焦る歳なのかも知れない。しかし、あの月野だけはごめんや。
「ああもう。でも、あいつだけは無いわ。絶対にあらへんっ! あのどアホだけは無いっ! うちの遺伝子がそう言っとるっ!」
うちはもっと、気配り出来て優しい旦那様と結婚するんや。まだ、出会ってないけど。てか、お願いです、はよ現れて。
『そこまで強調されると、かえって気になって仕方ないって言われているように思うんやけど?』
「おかん? 流石にそれ以上は言うたら怒るで?」
苦笑と嘆息が入り交じったような吐息が、スマホの向こうから聞こえてきた。
『分かった。じゃあこの話はここまでにするわ』
「うん。そうして」
『あ、でももうちょっとだけ、月野さんについて話がしたいんやけど』
「何やねん?」
『お昼におとんに電話したの、どうも月野さんからだったらしいんやけど。本当に裏切りボイスやったって、おとん言ってたわ』
「そこかい。いや、まあ確かに裏切りボイスやけど」
『まあ、おとんはおとんで、可愛い娘に絡んだり、苛める悪い虫だって思ったみたいやけどね』
「それはそれで、また厄介な。変なこと言うとらんやろな?」
『ああうん。それがね?』
「え? 何か言うたん?」
『思わず。君に娘はやらんっ! って。言ってしまったらしいんよ』
「アホかあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
『月野さんからは、冷静に、きっぱりと、その可能性は否定されたらしいんやけれどね。あり得ないって。でも、その言い方はどうなんだって、また突っ掛かっちゃったらしいんやけど』
「何をしとるんや。おとんのアホ」
何でこう。うちの周りの人間は、こうもアホばっかり何やろかと。頭を抱えたくなる。
『そんなわけやから。今度また月野さんと会ったら、失礼しましたって。謝って貰えない? おとん、頭に血が上っていたって、今落ち込んでいるんよ』
「まあ、おとんらしいっちゃ、おとんらしいけど。まあ、分かったわ。ほなら今度会ったら伝えとく」
『うん。よろしく。ああ、あと――』
「今度は何や?」
『月野さんの写真とかって、有ったりしない? 前に皇剣ランブレードの蒼司君にちょっと似ているって言うてたけど、どんくらい似ているんか気になっとるんよ』
「そんなもん無いわ。まあ、機会があったら考えとくけど。要件はそれで全部?」
『そうね。そんなもんやわ。でも、元気そうな声聞けてよかったわ。帰ってくることになったら、そんときはまた連絡頂戴』
「ん。分かった」
『じゃあね。お休み』
「お休み」
やれやれと、佐上は嘆息した。けれどまあ、家族が自分を見る目は、特に変わっていないようでそこは安心した。
月野との関係だけは、改めて否定しないといけないと思ったが。
次回は、ようやく記者会見になります。
でも、もしも佐上が主人公だったら、この小説ってタイトル結構変わっていたと思う。
『普通のアラサーOLやねんけど異世界向け翻訳機を売り込んだら伝説を作ってしまった何でこうなるんやっ!?』
みたいな感じで? まあ、時系列やら何やらの問題で、無理ですが。
脳内の佐上から「お前、うちに何をやらせる気やねん?」と凄まれてますけど。