明日のために
打つべし。打つべし。……え? 違う?
ミィレはアサの部屋の前で、深く深呼吸をした。
その胸には、彼女が書いた報告書がある。
アサは今、明日の記者会見のために、あちらの世界から提供された雑誌や新聞に目を通している。彼女曰く、漢字が難しくてとてもじゃないが読み切れないとのことだったが。それでも、眺めることで何か掴める者があるかも知れない。そう言っていた。
一応、大雑把な内容については、彼女らも白峰による読み上げで把握している。アサはあちらの世界に赴いて、テレビというものを通じて報道の様子を確認した。
ミィレはその報道の様子について、アサから聞いた内容をまとめたのだが。
聞いていて、陰鬱になるものだった。淡々と、無表情に内容を語るアサが、むしろ恐いと思うくらいに。
「失礼します」
おずおずと、ミィレは主の部屋の中に入った。
「ミィレ? ご苦労様、報告書ね?」
「はい、お持ちしました。ご確認をお願いします」
振り返りもせず、食い入るように雑誌を見詰めるアサに、ミィレは近付いた。
ふぅ。と嘆息して、アサは大きく伸びをした。凝ったのか、ぐるんぐるんと首を回す。
「ど、どうぞ」
「ええ、読ませて貰うわ」
報告書を受け取るアサには、微かだけれど微笑みが浮かんでいた。それに、その声にも落ち着きがある。そんな風に、ミィレには思えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数分後。
「こことここ。それと、ここをこんな感じに。それから、ここをちょっと直すだけでいいわ」
「ありがとうございます」
添削された報告書を受け取り、ミィレは頭を下げた。
「でも、少しホッとしました」
「何が?」
「あ、いえ。お嬢様が物凄く不機嫌だったらどうしようって、少し恐かったんです。でも、そんなことはなかったので」
ミィレは自嘲の笑みを浮かべた。
「私は朝からずっと、動揺しっぱなしで。白峰さんからの話を聞いて、訳が分からなかったですから。この報告書を書いているときも、何でこんな話になっちゃうのかって、冷静でいることが難しくて」
溜息が、漏れた。
「お嬢様は、どうしてそんなにも冷静でいられるのですか?」
うーん? と、アサは首を傾げた。
「私は、冷静なつもりも無いんだけど? 腹立たしいっていう感情は、勿論あるわよ?」
「え? そうなのですか?」
アサは頷いた。
「でもまあ、それはそれで、どうやってこの問題を解決するか考えなくちゃいけないじゃない。今は、そっちに意識が向いているからそう見えるのかもね? 役割がそうだっていうのもあるけど、同時にそれだけの権限だってあるわけだし」
アサは悪戯っぽく笑った。
「あと、そうやってミィレがあたふたしているから? ミィレが代わりに、怒ったり悲しんだりしてくれているって思うとね。何か少し、心の余裕が生まれたかも?」
「もう」
ミィレは唇を尖らせた。
「それから、この雑誌を眺めていたんだけど。結構興味深い記事もあるのよ」
「と、言いますと?」
「何だか、あっちの世界では私達の世界の料理を再現することが流行っているみたいよ? 多分、パシスの事だと思うんだけど。向こうでは『カレー』っていう料理が近いのかしらね?」 異世界カレーとか呼ばれて、売っている店が増えているそうよ」
ミィレは半眼を浮かべた。
「お嬢様? 一体、何の記事を見ているのですか? 記者会見は明日なんですよ?」
そのスケジュールも、大概無茶だと思ったが。本当なら、王都に報告して返答を待った上で参加した方がいいと思うのだが。あくまでも、何か話すときは現場の意見だということを強調する形で、アサも出ることになった。
「ちょっと、問題の内容とは違うところだけどね。いや、だって仕方ないじゃない。私だって、あんな報道ばっかりずっと見ていたら気が滅入るのよ?」
「いや、まあ気持ちは凄く分かりますが」
ミィレは苦笑を浮かべた。
「でも、こういう記事を見ていると思うのよ。あの世界の人達は、私達の世界に強く興味を持ってくれているんだって。それから、向こうのマスコミだって、闇雲に不安を煽ることがその本分ではないと分かっている人もいるのだと」
「はあ」
「だから、私はそういう人達に向けて話をするつもり。そういう人に声が届けば、そのうちかもだけれど、悪いようにはならないでしょ」
「そうですね。そうだといいです」
心の底から、ミィレはそう願った。
「あ、そうそう」
「何ですか?」
「白峰って、料理得意なのかしら?」
「何故そんなことを?」
「いえね? 料理が得意なら、あっちの世界の料理とか、こっちの料理人に教えて貰うのもいいかもって思って。それを広めたら、こっちの世界でもあっちの世界みたいに、こっち風のアレンジ料理が出来ないかなとか思ったのよ」
「ああ、そういえばクムハさんも『ニクジャガ』を再現しようとしていましたね。お嬢様から又聞きで聞いた内容から」
「そうそう。私も、どのくらい再現出来たのか気になるし。この騒ぎが落ち着いたら、白峰と一緒に様子を見に行って貰えないかしら?」
「そうですね。そうしましょう」
いい考えだとミィレは頷いた。
実を言うと、白峰から聞く日本の料理は彼女にとっても興味深いものなのだ。




