サラガのグルメ:もりそば
今度は、サラガが桜野に案内されて、日本の庶民的グルメを楽しむの巻。
桜野に案内されながら、サラガは周囲の街並みにささやかな安堵感を覚えていた。
これまでも見ていたが、ゲート越しに見ていた日本の風景は、高く見上げるほどに高く巨大な建物に囲まれ、自分達の世界ではまったく理解の及ばないものばかりだった。
そこから数十分ほど歩いて裏路地に入ると、今度はそういった高層の建物よりは若干古めかしく、高さも2、3階建て程度の建物が密集していた。
何というか、こういう街並みなら、自分達の技術水準ともそれ程かけ離れていないように思える。また、この世界でもこういう街並みが一般的なのだと聞かされて、「一般的レベル」の感覚もかけ離れていないのだと、そう思えた。
「まずは軽く、腹ごしらえをしてから行こう」と、桜野からは提案された。
広く注意喚起されているので、この世界の住人に囲まれて、行く手を阻まれるということはそうそう無いらしいが。それでも、物珍しい目で見られたり、近頃は交通規制もほぼ解除されたこともあって、観光先に人々が溢れかえっている。落ち着いて食事を摂るのが難しそうだから。と、そういう話だった。
もっともな話だと思うので、サラガも賛成した。
桜野に、何を食べるのかと訊くと「ソバ」と答えてきた。
彼が持っている翻訳機でも、「ソバ」の映像を見せて貰っている。麺の食べ物だった。灰色の麺だから、イシュテンでは見慣れない食材を麺にしているのだろうが。
これまで一緒に食事をした限り、桜野の味覚も自分達とかけ離れてはいないようだし、多分この食べ物も美味なのだろうと思うが。
取りあえず、「辛くない」「酸っぱくない」「苦くない」という話を聞いて、安心している。けれど、甘くもないし塩っぱくもないと聞いて、どういう味なのか想像が付かない。
それを伝えると、桜野も苦笑を返してきたが。味覚を言葉で表現するのは難しいらしい。まあ、そういう食べ物はイシュテンにもあるから、無理もないと思うけれど。
桜野が立ち止まった。目の前には、入り口の上に看板が掛けられた、少し古めかしい建物。壁は漆喰で固められ、前は大きな植木鉢と観葉植物が並んでいた。
少し趣は違うが、店の大きさとしては、先日に桜野と訪れた『暁の剣魚亭』と同じくらいか。ああ、あの店はいい店だった。まさかあんな場所にあれだけの味を出す店が有ったとは。いい店を見つけた。これからも利用させて貰おうと思う。
「ここかい?」
『その通り です』
桜野に訊くと、翻訳機を通してそう答えてきた。
曇りガラスのドアを桜野が開ける。彼に続いて、サラガは店の中に入った。
『いらっしゃいませ』
カウンターの向こうにいる店主から、出迎えの声が聞こえた。
まだお昼時よりも大分前だからか、既にいた客は2,3人程度だった。誰もがリラックスした服装で、年齢も高めだ。
店主と客達が、こちらの顔を見て、少し驚いたような顔をした気がした。もっとも、それだけで詮索してこようという人はいなかったけれど。
店の奥の方にあるカウンター席へと座る。
取りあえず、目の前にあったメニューを手に取った。
『読める です か?』
隣で、ニヤニヤと桜野が笑みを浮かべてきた。
どうやら、先日に彼がそれをやって、自分がツッコんだことを覚えていたらしい。サラガは苦笑した。
「いや、読めないけどさ。どれにするのか、君に教えて欲しいんだよ」
縦書きで、ミミズがのたくったようにしか見えない文字を指さす。
『ああ そういう こと か。分かる した』
うん、と桜野が頷く。
『まず。ソバは 温かい と 冷たい で食べる 方法 分かれ する』
ここからここに並ぶものが「温かい」。そして、ここからここまでが「冷たい」なのだと、桜野が指さしてきた。
「ここから先は?」
「温かい」「冷たい」の欄の外にある箇所を指さす。
『ソバ とは 違う 食べ物。酒 とか 鳥串焼き 漬け物 すり身魚 テンプラ とか』
つまりは、サイドメニューということか。しかし、聞き慣れない単語があった。
「テンプラってなんだい?」
『色々 な 食べ物 揚げる 料理 です』
そう言って、今度はテンプラの画像を翻訳機で見せてきた。「海老のテンプラ」だそうだ。むき身の海老を黄色の衣が包んでいる。なるほど、こういう料理か。
「君のお勧めの食べ方は、どっちになるんだ? 温かい? 冷たい?」
『そう ですね。自分の考え だが。食材 の 味 を一番 楽しむなら 冷たい方が いい。温かい ソバ は 寒い時期 体を温める 美味しい。だけど 今の時期 冷たいが いいと 思う』
なるほど。と、サラガは頷いた。こちらではもうすぐ秋らしいが、それでもまだまだ暑い。ちなみに、イシュテンではこれからが夏である。
「じゃあ、冷たいだと、どれがいいんだい?」
『まずは 単純に ソバ だけ。もりそば がいいと思う』
「これだ」と、桜野がメニュー指をさす。「じゃあそれで」とサラガは頼むことにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ほどなくして、ソバが目の前に置かれた。
小さな湯飲みには黒いつゆが入っている。どうやら、これに麺を入れ、それを啜って食べるようだ。音を立てるのは、気にしなくていいらしい。
さて、どんな味なのだろうか? サラガは箸でソバをつまみ、つゆに入れる。そして、それを口へと運んだ。
「ほぅ」と、サラガは胸の中で唸った。そうか、これはこういう味なのか。
黒いつゆは、刺身に使うソースに似て、それに更に魚のエキスを加えている? 多分、それ以外にも色々と工夫が凝らされているのだろうけれど、旨味が凝縮されている。仄かな甘みと鹹味が、食を刺激して止まない。
そして、この麺だ。つるりとして滑らか。そしてコシのある食感と喉ごし。口の奥から鼻へと抜ける香りがつゆと絶妙に合っている。
次。次だ。次の麺を。
『お、おい?』
サラガは桜野の呼びかけにも答えず、一心不乱にせいろの上のソバを口に運んだ。
「あっ!?」
という間に、目の前のソバは無くなった。もっと味わって食べておけばよかった。そんな後悔が浮かぶ。しかし、ある意味あれこそが最も、食を楽しんでいた気もする。
唸っていると、隣で桜野が目を丸くしていた。
『凄い 食べる 様子 でしたね。そんなに、美味しい でした か?』
照れくさそうに、サラガは笑った。
「ああ。自分達の世界にも、似たような食べ方をするものはあるけど、全く同じじゃない。少なくとも、俺達の国では似たような食材はないと思うんだ。だから」
『気に入って 貰えて 私も 嬉しい ですよ』
サラガは頷いた。
しかし、ちょっと困った。これだけだと、ちょっとお腹に足りない気がする。肉や脂っぽいものも欲しい。それに、思い返すと写真も撮っていなかった。
サラガはメニューに書いてある金額を見た。この世界の数字くらいは、一応事前に覚えている。
ソバ一枚なら、そうでもないが。ちょっと他も頼むとお小遣いが厳しいか? いや、折角異世界に来たのだから、この機会は逃したくない。
彼は意を決した。
ソバをもう一枚。そして、鳥串焼きとテンプラも追加で頼むことにしよう。
蕎麦屋については、生まれ育った地元のお店。おろし蕎麦が美味しい本格派。
そして、神田にある某老舗。いつも、もりそば大盛りを二枚頂いているのが自分です。
主にこの二つのお店をイメージしながら、この話を書いていたのだけど。
書いていたら、蕎麦が食べたくなって仕方なかった。蕎麦大好き。