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謁見前夜

遠足前夜とか、そういう日に限って神経が昂ぶって眠れなかったり、熱を出してしまった人。

いると思います。

 無音の静寂。一切の光は存在しない。

 寝室のベッドの上で、アサ=キィリンは焦燥感に駆られていた。

 この感覚は、覚えがある。忘れようとしても忘れられない、忌まわしい感覚だ。


 眠れないっ!


 明日は天皇皇后両陛下と謁見する大事な日だ。眠い顔など、到底見せられるものではない。だから、眠らなくてはいけないというのに。けれど、ギンギンに目が冴え、頭も余計な思考が次から次へと湧いて止まらないのだ。

 「勘弁してよもう」。と、アサは呻いた。


 あの日もそうだった。ミルレンシアの皇帝陛下をお出迎えした日。あのときも、大役を任せられた緊張と興奮で、前日の晩は全然寝付けなかったのだ。

 そして、その結果が式典中の居眠りである。

 正直に言うと、ベッドに入る前から嫌な予感はしていた。それが、悪い方に当たってしまったようだ。


 深く、深呼吸をする。両親からの教えだ。困ったときは一度、深呼吸をしてゆっくりと冷静に考える。そうすれば、活路はきっと見えてくるはずだから。

 状況を整理する。現実は正しく認識しないといけない。今、自分は眠れない。では、このまま目を瞑っていれば眠れそうか? 否である。眠れる可能性はあるが、リスクが高い。何らかの対処が必要となる。


 アサは観念し、目を開けた。

 暗闇の中ベッドから抜け出して、部屋の外と向かう。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 体感時間では、ベッドに入ってからまだ一時間程度しか経っていないはず。今からでも、眠れれば十分に睡眠時間の挽回は出来るはずだ。

 人星の間から、眠り薬を取ってくる。精神を深く落ち着ける効能を持つ薬草などを丸薬にしたものだ。安眠薬として広く使われているもので、それほど苦くはない。

 それと、手ぬぐいもだ。こっちは水に濡らして額に乗せる。熱くなった頭を冷やすことで、無意味な思考を抑えることが出来る。


 濡れ手ぬぐいを用意するため、厨房にも寄って水を拝借するついでに、お茶も淹れて飲むことにしよう。

 欲を言えば、お茶はシヨイやミィレに頼みたいところだが、流石に彼女らももう寝ていることだろう。

 あれ? と、アサは首を傾げた。厨房から光が漏れている。誰かいる? こんな時間に? でもどうして?


 少し警戒して、厨房を覗くと、二人の見知った人影。本来なら、出来上がった料理を並べる机を挟む形で、彼女らは座っていた。

「何やっているの、あなた達? こんな時間に?」

 人影はシヨイとミィレだった。


 二人は、少し驚いたように目を見開き、互いに見つめ合った。そして、くすりと笑みを浮かべる。

「お嬢様をお待ちしていたんですよ」

「まあ、来ないなら来ないで、深夜のお茶会ということで」

「どういうことよ?」

 アサは半眼を向けた。


「いえ、お嬢様のことですから。ひょっとしたら今夜は眠れないのではないかと思いまして、念のためこうして待機していたのです。眠れないようでしたら、気分が落ち着くお茶でも淹れようかと」

 シヨイが答えてくる。

「私は、そのお付き合いです」

 アサは溜息を吐いた。流石は、万事において抜かりのない侍女長だ。


「何よもう。読まれていたってわけなの?」

「何事も無ければ、それに越したことはありませんけれどね。念のためですよ。念のため」

「それでも、あと30分くらいこうして待って、お嬢様が現れなければお開きにするつもりでしたけど」

 ひょっとしたら、自分が初めてあの異世界に行った前日も、彼女らはこうしていたのかも知れない。特に、シヨイは本当に小さな頃からの付き合いだ。彼女も、自分が大きなイベント前には寝付きが悪くなる性分のことは、よく知っている。


 まったく、主思いの使用人達である。アサは苦笑を浮かべた。

「そうなのね。でも、助かったわ。眠れないから、お茶を淹れてくれないかしら? ぬるめでお願い」

「承知致しました」

 シヨイが席を立つのを見送って、代わりにアサがミィレの隣へと座った。

「何でしたら、寝付くまで隣で子守歌でも歌いましょうか?」

「止めてよ。私もう成人しているのよ? 子供じゃないんだから」

「分かってますって」

 ミィレが笑ってくる。


「ああ、でもあとは眠れる本とか、読まれてみてはどうですか?」

「そうね。考えておく」

 「眠れる本」とは、古今東西の「物凄く退屈でつまらない話」を集めた本である。編纂者が「これを書いていて、何度居眠りしたことか」と答えたくらいには、効果があるらしい。あと、その中身の大半は「ノルエルクの講義」「シルディーヌの作品解説」「ティレントの起業家の挨拶」であるとか。どれも、ダラダラと退屈な話が続くことで有名な代物だ。ジョークにもよく取り上げられている。

 アサにしてみたら、あまりにも読むのが苦痛過ぎる気がしたので、これまでは敬遠していたのだが。この際、試してみるのもいいだろう。


 アサの前にお茶が置かれた。

 眠り薬を口に含み、カップの半分程度のお茶で流し込む。すぐに効果が出てくる薬ではないはずだが、これでも少し効いてくる気がするから、不思議なものだ。

 ほぅ。と、アサは小さく息を吐いた。


「大丈夫ですよ。お嬢様なら」

 落ち着いた口調で、シヨイが言ってくる。

「ええ、シラミネさんも言っていました。普段通りに話せば、それでいいって」

「あちらの天皇皇后両陛下も、恐い方ではないですよね?」

 柔らかな笑みと視線を向けてくる彼女らを見返しながら、アサは首肯する。


 初めて天皇と皇后に謁見したときの事を思い出す。そして、ミルレンシアの皇帝陛下と会ったときのことも。そのどちらも、今のシヨイやミィレのような、優しいものだった。

「そうね」

 彼女は不安も興奮も、溶けていくのを実感した。この分なら、問題なく眠れそうだ。

【ボツネタ】

月野「佐上さん。これを」

佐上「何やこれ?」

月野「睡眠改善薬です。緊張で眠れそうになかったら、飲んで下さい」

佐上「お、おう。気が利くな」

月野「また、あの時のように眠い顔されていては、困りますからね」

佐上「お前、そういうとこやぞ?」

月野「はい?」

佐上「 (人の恥を思い出させんなや)」


このエピソードに書いた「眠れる本」が、本当に眠れるかは疑問ですが。

でも、自分はくっそ退屈な校長先生の話とか、全く面白くない講義は、全力で居眠りしてました(ダメ学生)。

脳って平坦な刺激が一定時間以上続くと、眠りを誘発するらしいので、こういう本があったら効果あるんじゃないかと思います。

でもこれで、「この異世界に(略)は、読むとよく眠れるので愛読してます」とかいう感想が来たら、ちょっと凹む。


あ、あと次回も平日のどこかに投稿する予定です。

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