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「特訓」の前に

天皇皇后両陛下との謁見のため、アサが日本語を集中特訓。

変な口調についても矯正。

でもその前に、打ち合わせ。

 これはまた、随分といい部屋だなあ。流石は高級ホテルのスイートルームだ。

 グランドヒルホテルの一室で、そんなことを白峰は考えていた。

 この世界での生活や言葉について、アサがあれこれと学ぶためには、こういった施設を利用してみては? そう提案したのは、確かに自分ではあるが。実際に訪れてみると、アサの屋敷とはまた違った高級感に戦く。


 「必要経費については気にするな」とは、桝野に最初に言われていたことだから、その言葉通り気にしないで提案したが。このお金がどこから出ているのだと、今更ながらに気になる。

 月野に訊いたら、「君が気にすることではありませんよ」と言われたが。どうも、答えてはくれなさそうだ。知らない方がいいのだろう。

 おおかた、上の方が世界各国から「援助」を引き出しているのだろうと、推測しているが。


 スイートルームのリビングにて、白峰はアサ、月野、佐上らと共に長机を囲んだ。備え付けの椅子もふかふかである。

「さて、既にお伝えしたように、今日から三週間の間に、アサさんには彼女らしい言葉で日本語を表現して貰う事になりました。どういう言葉遣いがアサさんらしいのか、まずはその例を白峰君と佐上さんに考えて貰います」

 月野が言ってくる。その表情には、些かの疲れが滲んで見えた。昨日に宮内庁と長時間行った調整は、相当に厳しいものだったらしい。


 どうにかこうにか確保できた時間は、二十分。通常であれば短めなのかも知れないが、今の時期を考えると異例の長さとも言える。

 搾り取ったというか、搾り取られたというか。詳細は聞いていないが、月野の様子から見るに、そんな表現しか白峰には思い浮かばない。

 親書が送られる可能性については、結構前に伝えられていた。だから宮内庁側も、スケジュールには気を配ってはいた。しかし、それでもなお厳しいという状態だった。


 異世界側には、昨晩に既に伝わっている。深夜ではあったが、事情が事情であり、こうなる可能性についても白峰が日中に伝えていたので、滞りなく伝わった。早朝の便で、イシュテンの王都に知らせが飛んでいるはずだ。

 月野の視線が佐上へと向いた。釣られて、白峰もアサと共に彼女へと視線を向けた。

 彼らの視線の先で、佐上は頭を抱えて突っ伏している。


 月野が深く嘆息する。

「月野さん? いいんですか? あの? アサさん?」

「今日くらいは、いいです」

 疲れ切った口調で、月野。

「私 気にしていない です」

 にこやかに笑顔を浮かべるアサ。アサと佐上の様子については、少しミィレからも聞いていたが、どうやらそういう真似が許される程度には、仲良くなれたらしい。


「――それから、天皇皇后両陛下との謁見の後、アサさんと佐上さんには各国の外交関係者達と会って貰う事になりました。佐上さんにも、それまでに標準語に準じた言葉遣いと、淑女の振る舞いをマスターして貰う必要があります」

「何でそんなことになるんやぁっ!」

 テーブルに突っ伏したまま、佐上から呻き声が漏れた。


「佐上さんは。――ああ、勿論柴村技研の皆さんや世界中の言語学者の方達の功績有ってこそだというのは確かですが。功労者として、目立つ立ち位置にいるのが、あなただからですよ。アサさんとの交流がどんなものなのか、各国の外交関係者も興味があるんです。説明したでしょう?」

「そういう意味やないいいいいぃぃぃっ!」

 現実逃避気味な佐上を見て、白峰は少し頬を引き攣らせた。


「あの? 月野さん? 佐上さんは大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫ですよ」

 お茶を啜り、落ち着いた口調で月野は答えてきた。

「佐上さんは情に篤い人です。仲のいいアサさんのためなら、どれだけでも頑張れる人ですよ。多くの外交関係者に囲まれる場で、年下のアサさんを独りぼっちにさせるような、そんな薄情な真似が出来る人ではないんです。だから、きっと最後には覚悟を決めてくれます」


 再び、佐上から呻き声が漏れた。むくりと、顔を上げてくる。

「おんどれは、本当に嫌な言い方してくるやっちゃなっ!」

 あんな言い方をされては、断ろうにも断れるわけがない。逃げ道を塞ぐ月野のやり口には、学ぶものが多いなと白峰は感心した。佐上からは恨みも買っているようなので、使いどころは考える必要があるだろうけれど。


「私なりに、正当な評価を述べただけのつもりなのですが?」

 そう言って、月野は唇をへの字に曲げ、首を傾げた。表情には出さないが、結構傷付いているようだ。月野を睨み付けている佐上には、まったく気付かれていないようだが。

「大体、何でおんどれがその場におらんのや?」

「ですから、当日は佐上さんやアサさんと歓談していない人達を持て成す必要があるからです。それも、説明しましたが?」


 佐上がうろんな視線を浮かべる。

「あれか? 実はこっそり、うちが淑女らしい振る舞いが出来るか賭けをしていて、パーティの来賓がうちの出身を探っているとか。どういう身分で答えが出てくるのか、聞き回ろうとか考えているんちゃうやろな?」

「しません。どこのマイフェアレディですか」

 月野は小さく嘆息し、こめかみに人差し指を押し付けた。


「マイフェアレディとは、何ですか?」

 アサが訊いてきたので、白峰が答えた。

「もう、何十年か前に、世界的に有名になった物語です。貧しい暮らしをしていた訛りの強い娘が、偏屈な言語学者によって訛りを矯正されて淑女の振る舞いを身に付けることで、貴族の娘に見間違われるようになるという話です」


「賭けとは 何ですか?」

「その言語学者は、友人と賭けをしていたんですよ。娘を淑女に仕立て上げ、パーティの出席者に対して、高貴な身分だと騙せれば勝ちという」

「分かったわ。面白そう ですわね。いつか、詳しくその話 知りたい です」

 興味深げに頷くアサに、佐上が泣きそうな顔を浮かべていた。流石に、止めようとまでは考えていないようだが。

「何にしても、当日にアサさんを近くでサポートできるのは、佐上さん。あなただけなんです。お願いします」


 ちらりと、月野がアサに目配せをした。ように見えた。

「はい。私も 初めて だから 緊張します。サガミ=ヤコ お願いします」

「わ、分かった。頑張るから」

 震え声で佐上が誓う。

 うんうん、と。無言で月野がお茶を啜る。その口元は、微妙にほくそ笑んでいるようにも見えた。

「そういえば、ちょっと気になったのですが。アサさんって、どうして語尾にそんなに『~わ』を付けるようになったんですか? かなり、意識して付けるようになったように思いますが」

 アサに訊くと、彼女は顎に手を当てて、しばし虚空を見上げた。


「この国の女性 は、語尾に『~わ』を 付ける ことが多い と聞いたから ですよ?」

「だとしても、使いすぎだと思いますよ?」

「そうみたい ですね」

 白峰としては、多分「です」もそんなに使わなくていい気がするのだが、それはあとでイメージを伝えよう。


「サガミ=ヤコ の 言葉遣いを ええと――?」

「真似にした? 参考にした?」

「そう。それ!」

 人差し指を立てて、アサが同意してくる。


「ほう?」

 月野の目が細められる。彼の視線が佐上に向くと、佐上は冷や汗を流して目を逸らしていた。

「つまりは、佐上さんのせいだと?」

「ええと、その。これは。ひょっとして、うちの関西弁のせい? その『~ですわ』とか使っていたから?」

「だから、常日頃から、関西弁を控えるようにお願いしていたのですが? 佐上さん? この責任は、取って下さいね?」

「はい、分かってます」

 がっくりと、佐上が項垂れる。


 でも、月野さん? そうやって事あるごとに責めるから、佐上さんも反発するんじゃないですか?

 アサを見ると、何が面白いのかくすくすと笑っているので。案外とこれが、この二人のじゃれ合い何じゃないかとも思ったから、白峰も黙っておくことにしたけれど。

何だか、この章も当初の予定に無かったエピソードを入れまくって、色々と伸びている気がする。

なお、月野と宮内庁との調整交渉は、本当に大変だったのですが。諸々の事情でカットです(おい)。

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