桜野グルメ:魚切り身の串焼き
警察機動隊の隊長、桜野が異世界でご飯を食べるだけ。
交流で異世界を訪れる人達が少し増えました。
ここか? と、桜野は今日の案内を買って出てくれたサラガと向き合う。
扉の上に書かれた看板を見上げるが、何と書いているのかは分からない。
「すまん。これ、何て書いてあるんだ?」
『朝 大きな刃物 の魚 店。食べ物 の店』
サラガの返答に合わせて、手にした翻訳機から訳された言葉が流れた。
「間違いなさそうだな」
それっぽく訳すなら『暁の剣魚亭』とか、そんな感じだろうか?
先日に聞いた店の名前のニュアンスから判断しても、どうやらここが、アサ=キィリンの家で働いていた料理人の店で間違いなさそうだ。
異世界の人間との間で、輸血が可能だという大ニュースが流れてから十日ほどが過ぎた。色々と準備が整ったということで、桜野は白峰やアサに続く人間として、異世界に訪れたのだった。
時刻は夕方。陽もそこそこに陰り始めた。あと数時間くらいで、ゲートを抜けて秋葉原に帰らないといけない。
長居は出来ないけれど、折角紹介されたことだし、ここでちょっと一杯引っ掛けていきたい。そう思って寄らせて貰った。
扉を開けて、店の中に入る。
『いらっしゃいませ』
にこやかな笑みを浮かべて、店主がカウンターから持て成しの言葉を発してくる。
店内にはまだ誰も客はいなかった。時間からして、多分まだ働いている人間が多いからだと思うのだが。
桜野とサラガはカウンターの奥の席へと腰掛けた。
『お客さん。向こう 世界 人 ですか?』
店主の問い掛けに、桜野は頷いた。
「そうです。自分は桜野信也といいます。今日は、こちらのサラガ=ツスルギさんの案内でここを色々と見させて貰いました」
ちなみに、移動はほぼ自転車である。馬車を除くと、どうやらこちらの世界の移動手段は自転車が多くを占めているようだった。
『やはり。先日 あなた 国 外交する人 来ました。同じ。耳が 丸い 人でした』
どうやら、あの若い外交官もこの店に来ていたらしい。じゃあ、やっぱり紹介された店はここで間違いないようだ。
『今日、どこ 行きましたか?』
「美術館と公園を見て回ったよ。自分には詳しいことは分からないけれど、この世界の陶磁器やガラス細工って凄いんだなあ。どれも凄く綺麗だった」
特に驚いたのは、ここでは硬貨が陶製だということだ。文様もそうだが、主に使っている釉薬で偽金を防いでいるらしい。デザインも優れ、これもまた美術品のように思える。蒐集家が手に入れられるようになったら、人気が出そうに思えた。
この世界、陶器などの製造はかなり技術が高いのではないだろうか?
『楽しんだ。嬉しいです』
うんうんと店主が頷く。
『サクラノ? 何、頼む? 酒ですか?』
サラガに訊かれて、桜野は「ああそうだった」と、メニューを手に取った。
すぐに「いや、自分は読めないじゃないか」と、頭を掻くことになったが。ニヤニヤと笑みを浮かべるサラガに、照れくさそうに笑い返す。
「酒を頼みたい。あと、軽く食べられるようなものを」
『分かった。何の酒、飲みたい?』
そうだなあと、桜野は虚空を見上げた。
「あ、それじゃあ。俺達が初めて会ったときに、サラガが持ってきてくれた酒。あれはどうだ? あるなら、あれをまた飲んでみたい」
『分かった』
サラガが店主に注文を伝える。残念ながら、その内容は翻訳機は上手く訳せなかったが。
ほどなくして、桜野とサラガの前にグラスと酒が置かれた。
二人でグラスを手にして、笑みを浮かべた。
グビッと、一口喉へと流し込む。爽やかな香気が鼻へと抜けた。
「ああ、これだこれこれ。間違いない。これは何の酒なんだ?」
『――。昼間に。飲んだ。果物の汁。です』
「ああ、あれか」
思い返せば、大通りの脇で営業していたジュース屋で、オレンジジュースのようなものを飲んだ。その果実はオレンジや蜜柑に較べるとずっと小さく、金柑くらいのサイズで、レモンのような色をしていた。
『食べ物。どうしますか?』
むぅ、と唸りながら桜野はメニューを睨んだ。やっぱり、読めるわけはないのだが。
「魚が食べたい」
『分かった。食べる。方法。どうする? 生。焼く。揚げる。煮る』
サラガが順にメニューを指さした。調理方法は日本のものと共通点も多いようだが、肝心の魚は未知の味だ。どれも興味を惹いて仕方ない。
出来るものなら、全部試してみたいところだ。悩ましい。
「じゃあ、『焼く』を頼む」
『分かった』
頷いて、店主が料理を開始した。どうやら、頼んだ料理は魚の切り身を串で刺して焼くものだったようだ。白身と赤身の切り身を焼き鳥のように串に刺し、遠火で焼いていく。
こりゃ、美味そうだなと、桜野は思った。
と、ふと視線を感じて桜野は視線を横に向けた。
店の奥。リビングへと続くドアらしいところから、小さな女の子が首だけ出してこちらを覗いていた。歳は大体、4~5歳くらいだろうか? 髪の毛の色は若草色だ。
「あなた。娘さんがいるのかい? 子供がこっちを見ているんだけど?」
『はい。娘が一人。名前 シィノです』
どうやら、物珍しくてこちらを覗いていたようだ。
『お父さん。お客』
そんな声が聞こえてきた。
『そう。お客。邪魔。いけない』
『分かってる』
どうやら、お利口さんのお嬢さんのようだ。
取りあえず「恐くないよ~」と、それだけ伝えようと、桜野は彼女に笑みを浮かべた。それが伝わったのか「うんっ!」とシィノは大きく頷いた。
そして、意を決したように、こちらへと駆け出してくる。
『いらっしゃいませっ!』
彼女は深々と頭を下げてきた。桜野は顔をほころばせる。異世界だろうと、子供のこういう姿は可愛らしい。
「いい子ですね」
『はい』
上機嫌な声が父親から返ってきた。
『私の妻 仕事が 理由 家を出る 多い。でも、素直に育った。嬉しい です』
「そうなのかい? お母さんいなくて、寂しくない?」
こくりと、シィノは頷く。
『平気。お父さんがいる。お母さん 必ず帰ってくる。遊んでくれる。私、知ってるから』
そうかと、桜野は安堵した。子供が寂しがる姿というのは、あまり想像したくない。
『あなた。耳、丸い。何で?』
シィノが指を指して、訊いてきた。
「おじさんは、遠い国から来たからだよ。おじさんの国では、みんな耳が丸い人達が住んでいるんだ」
その答えを聞いて、シィノが目を丸くする。
『本当? お父さん?』
『本当です』
「はぁ~」と口を大きく開けて、シィノは桜野を見上げた。文明開化の頃、初めて異国の人間を見た日本人も、こんな顔だったんだろうなとか、そんなことを思った。
隣ではサラガが小さく笑っていた。きっと自分も彼のような表情を浮かべているのだろう。
「シィノちゃん。きっとこれから、ここには沢山。おじさんのような、耳が丸い人達が来るようになると思うんだ」
『そうなの?』
「そうだよ? だから、そうしたらシィノちゃんは、そういう耳の丸い人達と仲良くしてくれると、おじさん嬉しいな」
『分かった いいよ』
そう言って、彼女は白い歯を見せてきた。桜野は「ありがとう」と伝える。自分はただの警察官であって、世界や日本を代表するようなそんな大それた人間ではない。けれど、こんな自分でも、互いの世界が仲良くやっていくために、ちょっとでも影響が与えられたならとは思っている。どうせなら、この未来は明るいものであって欲しいのだ。
『待たせる しました』
店主の声と共に、桜野とサラガの前に魚の切り身の串焼きが置かれた。切り身にはタレがかかっていた。ますます以て、焼き鳥みたいだと、桜野は思った。
忘れないうちに。と、こっちに来る前に頼まれていた写真を撮る。魔法を使う、脳裏に浮かんでいる光景がそのまま印画紙に焼き付くという感覚は、最初は面食らったが、すぐに慣れた。
「いただきます」
軽く手を合わせ、まずは赤身の方から口にする。
「おおっ!?」と、桜野は思わず唸った。
赤身だから、もしやとは思ったが。これはまるで極上の鮪の串焼き? それが、ほんのりと辛味のある醤油ベースのようなタレと絶妙にマッチしている。
『美味しいですか?』
「美味いっ!」
訊いてきたサラガに、桜野は親指を立てて大きく頷いた。
しかし、こうなると別の酒も試してみたくなる。どちらかというと、日本酒のような? いや、これは絶対、日本酒に合う味だ。
「大将。米の酒。あるかい?」
『タイショー?? 米の酒? はい、あります』
「じゃあ、それを一杯頼む」
『分かりました』
おいおいと、サラガが肩を掴んできた。
『飲む 多い ダメだ 理解。アリシマ 恐い』
分かっていると、神妙な顔で桜野は頷いた。流石にあんな経験は、もう二度としたくない。彼女だけは、間違っても怒らせてはいけない。
そして、今度は米の酒が置かれた。
桜野は白身の串を口に運ぶ。こちらは塩だ。いや、よく分からないけど多分、塩の他に出汁も使っている気がする。でも、とにかく美味い。
それから、陶器の器の中身を飲む。やはり、日本酒のようだ。しかも、日本酒だとしたら、これは極上もの。こんな日本酒、そうそう飲んだことが無い。
『美味しい?』
無言で、桜野は頷いた。味は保証すると言われていたが、その言葉に偽りは無かった。期待以上だった。
しかしこれ、サラガ達に日本を案内するときはどうしようか? 下手な店は連れて行けないんじゃないか? そんな不安が桜野の頭をよぎった。
『おじさん。耳、触ってもいい?』
と、そんな悩みは不意の質問に遮られた。じっと、シィノが自分の耳を見詰めている。どうやら、丸い耳が気になるようだ。
桜野は微苦笑を浮かべた。まあいいや、この問題は後で考えよう。
「ああ、いいよ」
席から離れ、彼女が触りやすいように膝を曲げた。
くにくにと、小さな指が耳を撫でてくる。ほぅ、と小さな声が彼女の口から漏れた。
それからは、質問攻めだった。子供の好奇心には際限が無い。どんな動物がいるのか、どんな花や木があるのか、どんな食べ物があるのか。特に、翻訳機でパンダの絵を見せると興味津々だった。
こうして、桜野はゲートに戻る時間ギリギリまで、異世界に滞在したのであった。
魚の串焼きですが、グルメ漫画でもあったし、検索してもあるから間違いなく美味しいはず。
次回からは「親書交換編」となります。