翻訳機量産化依頼
今週も柴村社長視点です。
柴村は「塚原最先端製作所」の看板と外観を見上げた。
何度見ても、表向きはただの町工場である。従業員も総勢で50人に満たない。ただし、広く壁の面積を取るシャッターが開くことはほとんど無い。中に入ることが出来る入り口は、その脇にあるドアただ一つであり、そしてそこには指紋認証と監視カメラ。厳重なセキュリティが施されている。
呼び鈴を押すと、工場の主。蔵田がすぐに出迎えてくれた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
外務省を出たときに、既にアポは取ってある。佐上にも言ったとおり、東京からトンボ返りしたその足で、ここまで来た。
「おう、お邪魔させて貰いますわ」
柴村は会釈し、塚原最先端製作所の中へと消えていった。
◆ ◇ ◆
蔵田省吾という男を一言で言うならば「変態技術者」。その一言に尽きる。
そして、柴村に言わせれば「アホ」である。
彼は日本全国で名前を知られる「蔵田製作所」の三男坊として生を受けたが、経済学、経営学に励む兄達とは全く事なり、子供の頃から工作機械にのめり込んで育った。そして、メキメキと腕を上げた。
それならそれで、ということで親達は彼が大学を出た後、会社の試作研究開発部門に放り込んだのだが、どうにも彼の気性と合わなかった。
本人は一技術者としてそこで働くというつもりで入社し、当初はその約束だったはずなのだが。それが、何だかんだで管理だ経営だ組織がどうだと、現場の人間が変に動いてしまい、技術から遠ざけられてしまった。
そして、最後には「やってられるか!」とブチ切れて、東大阪にある妻の実家、塚原製作所へと世話になったのであった。それが十数年前、20代終わりの頃である。
腐っても御曹司。そういう立場だった蔵田にしてみれば、このときは正直言って、妻の恵理華に見限られても仕方ないと覚悟していたそうだ。出会いは、就職してから同じ部署で何となく気になって仕方なくて、そのままという具合だったのだが。
しかし、彼女は立場だとかそんなものは、本当に気にしていなくて、あっさりと付いてきてくれた。「何だったら実家に」と提案したのも彼女だ。このときは、彼は男泣きに泣いたという。
当時、彼の義父母は「塚原製作所は、自分達の代で終わり」というつもりだった。娘を大企業に就職させたのもそういう考えがあったのだが。「子供を飢えさせるわけにも行かない」と、蔵田製作所から仕事を少し回して貰う形で、塚原製作所は生き延びた。
それどころか娘がくわえ込んできた出来息子が、その技術力とコネで「最先端製作所」へと成長させてしまったのであった。
柴村は社長室へと案内された。社長室と言っても、そんな立派なものではない。社長用の机が一つ、部屋の奥に置いてあり、その両脇を本棚が圧迫するように挟んでいる。そして、その机の前に、ソファが二つと長机が一つ置かれているだけだ。
柴村は促され、そのソファの一つに腰掛けた。蔵田もその対面に座る。
「急に、頼みに来てすまんな」
「いえ、構いませんよ。数日前から、詳細な時間はともかく、可能性については言われていましたから」
そう言って、蔵田は柔和な笑顔を浮かべた。
「どないや? いい加減、社長の椅子には慣れたか?」
「いやあ、まだまだです。恵理華とお義母さんには頭が上がりません」
名前を「最先端製作所」へと変えたのを切っ掛けに、社長の座は義父から受け継いだ。だが結局、財務会計については妻と義母の助け無しではどうにもならないようだ。ここは、根っからの技術者だと思う。「勉強しないといけないとは思うんですけどねえ」と、常々言っているのだが。だが、こういう話でもないと社長室に寄り付かず、またツナギを脱ぐことも無いのだから、改善の可能性は絶望的だろう。
ちなみに、義父は一技術者に戻り、まだまだ現役を続けるつもりのようだ。こっちもこっちで、日々新しい技術に触れ、若返っている。今も、工場内で嬉々として機械を弄っていることだろう。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとうございます」
旦那と同じくツナギ姿の恵理華が、冷たいお茶を机に置いた。暑い中で用意されたお茶は、生き返る思いだ。
「それで、早速ですが依頼というのはどういう話でしょうか?」
ずいっと、蔵田が身を乗り出した。
「ああ、塚原さんが秘密厳守だっていうのはよく知っとるし、信頼しとる。それでも、敢えて言わせて貰いますわ。これは、絶対に他言無用でお願いします」
柴村は声を潜めた。今となっては蔵田製作所どころか、あちこちからトップシークレットの依頼を持ち込まれている塚原最先端製作所の口は堅い。この社長室も、窓は無く完全防音である。
「実は、ひょっとしたら薄々感づいていたかもしれんけど、例の異世界との意思疎通に使われとる翻訳機。うちらが依頼して、塚原さんに作って貰ったもんになるんですわ」
「えっ!? 本当に? いや、確かにまさかとは思っていましたけど」
蔵田は妻を見上げた。恵理華も口に手を当てて驚きの表情を浮かべていた。
「それが、本当なんや。うちの佐上が外務省に連絡とって、そっからそんな形になったんですわ」
「いや、でもそれは。何というか、おめでとうございます」
「ありがとう」
柴村は頭を下げた。
大企業の御曹司だろうと、蔵田は驕った態度を見せたことが無い。聞けば、創業者もそんな感じだったという噂だ。ある意味で、彼はその血を最も濃く受け継いでいるのかも知れない。
「それで、数日前にニュースになったと思うけど。これから、こっちとあっちの交流を活発化させようっちゅう話になったやないか? こっちは銃を下ろして、あっちも魔法の杖だかそういうのは無しにして」
「ああ、ありましたね。あと、あちらは親書を持ってくる用意があるとか、そんな話も持ち上がって」
「せや。そこで、これからあの翻訳機がぎょうさん必要になるっちゅう話になってな? 外務省から、そんなお願いが出てきたんや。嘘やと思うなら、後で儂が教える連絡先に連絡してくれ。すまんが、ここの名前はもう教えとる。実際にあの翻訳機を作ったのはどこかって訊かれてな?」
「いえ、それはいいんですが」
蔵田は腕を組み、唸った。
「すみません。今はちょっと、厳しいです。内容は言えませんが、ちょっと別口でラインが塞がっているんですよ。ご存じの通り、あれはオールハンドメイドの特注です。部品を調達するのにも、少し時間が掛かりますし」
「あっ、すぐに必要になるんですか?」
恵理華の質問に、柴村は首を横に振った。
「いや、そこは応相談や。一度に大量生産出来ない事情も、よう分かっとるから、多分厳しいということも外務省さんに伝えとる。ただ、10日か2週間後くらいには、一つか二つ欲しい言うとった。少しずつでもいいからと」
「それなら、まあ当面は何とかなるか」
蔵田は顔を上げた。
「しかし、問題はその後です。最終的には、どのくらい必要になりますか?」
「せやな。そこは外務省さんと直接確認して欲しいけど。可能なら、だいたい数ヶ月以内に数百は欲しい言うとった」
途端、蔵田の顔が歪んだ。
「厳しいか?」
「うちだけでは、厳しいですね」
恵理華が口を開いてくる。
「ご近所の力を借りることは、出来ますか? 組み立てだけなら、ひょっとしたら他所にお願いというのも出来るかも知れません」
「すまんが、そこも外務省さんに確認して欲しい。多分、セキュリティとか品質とか、相応の体制を整えて納得させるだけの提案が必要やろうけど、そこまで無茶は言わんはずや」
「分かりました。そこも確認してみます」
「頼む。ああ、あとまだ他にも頼みたいことがあるんや」
「何でしょうか?」
「うん。あっちの言葉向けのキーボードみたいなもん、作って欲しい。こっちについては、まだうちらも仕様は考えとるところやし、急ぎやないんやが。まあ、そうこうやっている間に、他所はもう考えているかもしれんけどな」
「キーボードですか。なるほど」
ふむふむと、蔵田は虚空を見上げた。もう早速、キーボード開発に思考が移っているのだろう。
「ちなみに、向こうにはそういうものあるんですかね? タイプライターのようなものとか」
「いや? そういえば、聞いていないなあ。ちょっと、それはこっちで聞いてみるわ」
「しかし、何でまたそんなものを?」
「ああ、あっちの言葉を文章として打ち込むの、今のうちらが開発したソフトのままだと、結構辛いんや。取りあえず、ローマ字入力で、五十音に近い感じに聞こえたものを割り当てているけどな。候補が被ったりとかしてなあ。社員によっては、それをまた勝手にカスタムとかして、余計に面倒なことになったりしよるし。それやったら、ひょっとしたら、もう専用のキーボードを用意した方が楽かもしれんと思ったんや」
「なるほど。分かりました」
「すまへんなあ。いっつも無理ばっか言ってしもうて」
頭を下げる柴村に、蔵田は首を横に振った。
「いえ、僕はそういうのを何とか形にしようと考えるのが、大好きな人間ですから」
柔和な笑顔を浮かべる旦那を恵理華は嬉しそうに眺めていた。多分、蔵田製作所にいた頃よりも、よっぽど生き生きしているのだろう。
そんな姿を見ていると、柴村も何だか嬉しくなる。
塚原最先端製作所。もしも「どうやって、翻訳機などという、特注っぽいものを用意したのか?」というツッコミが来たときの回避策として用意。まあ、幸か不幸かそんなツッコミは今まで来なかったわけなので、黙っていてもよかったのですが。
あと、これから先ひょっとしたら「こんな事もあろうかと」が必要になることもあるかもしれないので、そういう便利枠として使えるかなあと。出番、無いかも知れないけど(おい)。
まあ、これ以上続けると、また下町ロケット風味になってしまうので、こっち方面のネタ自重っ! 次回はまた別の視点を出します。