翻訳機と契約見積
今回から新章です。
まあ、新章というか「外伝的小話」として出すつもりだったものを構成を組み替えて出すだけなのですけどね。
そのまた次の章に続く前に、白峰やアサの周辺の動きについて、説明を固めておきたいというものになります。
事前に案内されていた手順に従って建物の中に入り、職員の人に応接室まで誘導される。
応接室の中には、眼鏡を掛けた30代半ばくらいの男と、20代半ばくらいの男が待っていた。
随分と若いな。と、柴村は自分の扱いが軽んじられている可能性を考えた。
が、それも一瞬のことだ。すぐに考えを改める。
年齢と実力というものは、必ずしも比例しない。それは儒教的価値観に囚われた錯覚だ。重要なのは、どのような素養を持って生まれ、そしてどのような経験を積んで生きてきたか? である。柴村はそう考えている。
これまでにも、何人も部下や商談相手を見てきた。そして、その中には目覚ましい成長を見せ、末恐ろしさを感じさせるような若者達がいた。勿論、自分もまだまだ若い連中に負ける気は無いのだが。
小さいながらも、一つの企業を長年経営してきた男の勘。嗅覚。としか言いようが無いのだが。柴村は二人から、油断出来ない何かを感じ取った。こいつら、侮ったら必ず痛い目を見る手合いだ。
「お忙しい中、遠方よりようこそお出で下さいました。感謝致します。私は外務省の月野渡と申します。本日は、よろしくお願い致します」
「自分は、白峰晃太と申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
二人は名乗り、名刺を取り出した。
柴村も同様に、名刺を取り出す。
「柴村技研の柴村厚志と申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
柴村は名刺を交換し、着席した。
改めて、二人を見る。30代半ばに見える眼鏡が月野。そして20代半ばくらいの方が白峰か。
月野渡。その名前には聞き覚えがある。佐上弥子から何度か聞かされている。なるほど、こいつがうちの可愛い社員をイジメる「ド腐れ眼鏡」か。ドラマや漫画で見るインテリヤクザみたいな目付きしとるな。悪巧みしながら、眼鏡をくいっと持ち上げそうな。
その一方で、白峰晃太の方は人当たりのよさそうな、取っつきやすそうな風に見える。でもって、利発そうや。こういう奴やったら、うちの会社は即採用なんやが。まあ、うちの会社みたいなちっこいところに来てくれるわけなくて、だから外務省に就いたんやろうけど。
「ひょっとしたらお聞きになっているかも知れませんが、私は御社の佐上さんと一緒に異世界の使者の方の相手をしています。佐上さんには助けられていますよ」
「いやいや、とんでもない。そう言って貰えたらこちらも何よりです。こっちも、佐上が迷惑掛けていないか心配しとったんですが。あいつ、根はいい奴なんですが。エネルギーが有り余っているのか、大金星な成果を上げる一方で、たまにとんでもない真似やらかしたりもするんで、目が離せないんですわ。まあ、儂は面倒やけど手のかかる奴ほど可愛いっちゅうか。一緒にいて面白い奴だと思ってますがね」
そう言うと、月野は微苦笑を浮かべた。
「そうですね。そういうところありそうです。ですが、今のところ異世界の使者の方とも上手くやって頂けているので、ありがたいです。裏表の無いというか、素直な性格をされているのか、そういうところで使者の方の信頼を得ているようです」
「はっはっ。まあ、確かにあいつは嘘を吐けるだけの小器用さや小賢しさは無いです。そういうところは、信用してもろてええですわ」
笑いながらも。ぬけぬけとよう言うなあと、柴村は思った。佐上から聞いとるで? お前、使者にあまり馴れ馴れしい態度取ると睨んでくるって。マナーの練習で、箸の上げ下げまで事細かくねちねちと小言を言うてくるって。
「ちなみに、白峰君は御社の開発した翻訳機を持って、実際にゲートを通って異世界の方と面談し情報収集を行っています」
月野の紹介で、白峰が会釈をした。
「翻訳機のおかげで、あちらの方との意思疎通が大分楽になりました。あと、勉強するのにも助かっています」
「えっ!? 君が?」
柴村は目を見開いた。そう言えば一度、佐上からも「異世界に行っているのは若い奴」とか聞いたような気はするが。その時聞いた名前は忘れてしまっていたけれど、そうか、この若者か。
「ああ、いやいや。こっちの方こそ沢山のサンプルを送って貰って、喜んでます」
「いえ。柴村技研の皆さんのおかげで、翻訳機が日々成長しているのを実感しています。助かっていると、皆さんにお伝え頂けないでしょうか?」
「ええ、そりゃ勿論。うちの連中もそれ聞くと喜びますわ」
ユーザーからの喜びの声。それこそが、物作りをやって何よりも嬉しいものである。
「では、申し訳ありません。早速ですが、見積もりを見せて頂けないでしょうか?」
「ああはい、そうですな」
柴村は鞄の中から見積もりの一覧を取りだした。机の上に置いて、二人の前に差し出す。
正直言って、この見積もりは大分強気のものを書いた。そう柴村は考えている。社内でも意見は割れたし、柴村も迷った。しかし、社員に無理をさせてしまっている以上、ここで退くわけにはいかない。社長として、彼らの頑張りには報いてやる必要がある。無論、佐上から聞いた服代についても、設備費として計上している。
どないや? 一覧を精査していく二人を見詰めながら、柴村は太股の上に置いた手に力を込めた。今までにも、何度も伸るか反るかの商談は経験してきたつもりだ。だが、今回のこれは、それすらも小さな出来事に思えてしまう。
心臓が早鐘のように鳴り響く。手の平には汗が浮かんでくる。寿命が十年は縮みそうだ。
だが、不思議と笑みが浮かぶ。このひりつくような緊張感だけは、学者をやっていたときには味わえなかったビジネスの面白さだ。
やがて、白峰が顔を上げた。困惑の表情が浮かんでいる。ギクリと、柴村の心臓が軋んだ。
「月野さん。あの、これは?」
「はい、分かっています」
月野が小さく嘆息した。その眼鏡の奥で、目付きが細められたのを感じ取る。
「柴村社長。申し訳ありませんが、この見積もりは全面的に見直して頂きたい。我々の想定とあまりにも違い過ぎます」
「何やて?」
流石にこれは、強気で行きすぎたか? だが、ここで減額は出来ん。うちらの翻訳機には、社員の仕事には、これだけの価値があるはずや。
静かに、息を吐いて柴村は気持ちを落ち着けた。
「いや? アホ言って貰ってはこちらも困ります。これは適正価格のはずや。そないに言うのなら、どれほど違うんか教えて貰えまへんか?」
「そうですね。ざっと見て、桁が2桁は違います。こんな見積もりを出されては、正直困ります。失礼ながら、あなた方はご自身の価値を勘違いなさっていませんか?」
「なっ!?」
感情の籠もらないその言い草に、柴村は絶句した。
2桁違うやと? ふざけとるんかこいつ?
「こっちこそ、おたくが何を仰っているのか分かりまへんな。うちら、今となっては社員総出で朝から晩まで翻訳機の調整やってます。世界中からの問い合わせにも答えています」
「存じています」
「おたくらが異世界の人間と意思疎通が出来る様になったんも、自慢やないがうちらの功績は小さくないはずや」
「その通りですね」
「うちら、確かに小さい会社や。せやけど、これに関する技術力なら、大手にもそうそう負けてはおらんと自負している。機材もええもんを揃えとる。言っておくけどな? これ、他所に持ち込んでもうちら以上に仕事できるところは、世界中探しても無いで?」
気まずそうな表情を浮かべる白峰。だが、彼も月野を止めない。
そうか、これが外務省のやり方か。飲めない条件出して、国の力で無理矢理買い叩くか、大手に話を持っていくっちゅうことかい? 舐めんなや? そんなやり方、絶対にこの先コケるで?
うちらに喧嘩売るんなら、いくらでも買うたる。覚悟しとき?
「なるほど。それが柴村社長の答えですか」
「ああ」
柴村は頷いた。
商売をしているが、売れないものがある。技術者としての誇りだけは、絶対に売れん。
月野は無言で、胸元から万年筆を取り出した。いくらするんか知らんが、これ見よがしに高そうなもの使いよって。
そして、月野は見積もりに万年筆を滑らせた。
「これぐらいで、お願いします」
それを見て、またもや柴村は唖然とした。
突き返された見積もり一覧の総額に、0が二つ書き足されている。何やこれ? 2桁減額しろやなくて、増やせっちゅうんかい?
ぽかんと口を開けたまま、見積もりと月野を交互に見る。儂、夢でも見とるんか?
月野が頭を下げた。
「どうやら、私の言い方が悪かったようですね。失礼しました」
「ど、どういうことや? 何で、こんな金額になる?」
「先日に伝えたとおりです。近いうちに、我々は御社のことを正式にマスコミに発表しようと考えています」
「ああ、聞いとる」
「となると、あなた方には更にお金が必要になるはずです。単に今の従業員に対し、相応の報酬をというのであれば、先ほどの見積もりでいいでしょう。しかし、それでは足りません。産業スパイに対するセキュリティ強化。足りない人員の補充。そしてその人達に対する機材の追加。それどころか、御社を丸ごと手に入れようとあの手この手の乗っ取りや、中核人材の引き抜きなども考えられます。私も門外漢なので、経産省に勤めている同級生から聞いた話ぐらいしか知りませんが。これからあなた方が戦おうという相手は、相当にえげつない真似をしてくると考えて下さい。柴村技研という会社を本気で守りたいというのであれば、これくらいは必要かと思います」
「あの。一応言っておきますが、この金額も出鱈目で言っているわけではありません。月野さんが想定したリスクをすべて伝えて、こういった話に経験のある方に算出して貰った上で出しています」
白峰の説明に、柴村は少し安堵する。決して、こいつらの独断ではないというわけだ。
となると、つまりこいつ。月野はうちら以上に、うちらの事を考えてくれていたっちゅうわけか?
柴村は月野を見返した。無表情で何を考えているのか、よく分からん。だが、侮蔑のような感情だけは無いように見える。
「なるほど。うちらを高く買ってくれとったんか。早合点して、こっちこそすまんかったわ。それでも、少し気になることがある」
「何でしょうか?」
「何で、うちらの会社が残ることをここまで気にしたんや? おたくらにしたら、こんな小さな会社はいっその事、大手に買って貰ってブランド力やら資本やらをたっぷりと注ぎ込んで貰った方が、安心なんと違うんか?」
「そうですね。確かに、そういう考え方というのも無いわけではないですが」
「なら、何でや?」
「リスク管理の問題です。我々も、技術力というものが必ずしも資本の差によって決定されるものだとは考えていません。これまでにも数々の実例がありますからね。ですから、あなた方の技術力も疑っていません。なので、翻訳機の開発は今後もあなた方にお任せするのが一番よいと考えています。佐上さんは『翻訳機は社長やうちらにとって子供と同じようなもんや』と言っていました。そういうものを突然別の会社が引き継ごうとして、上手くいくかというと、それは大きなリスクに思えます」
佐上。あのアホ。酒の席で言った事を覚えとったんか。恥ずかしいことをバラしおって。
「あとは、そうですね」
「何や?」
僅かな逡巡の後、月野は続けた。
「いえ、多分に感情的な話です。これらの一件が終わって佐上さんが大阪に帰るとき、あなた方の会社が無くなってしまっていたり、知り合いがいなくなっていたら、きっと佐上さんが悲しみます。あの人は、柴村技研という会社が好きなようですから」
真顔で淡々と、月野はそう答えてきた。
柴村は月野の瞳、その奥を見詰めた。全く揺るぎがない。
こいつ、本気や。本気でそんなことを言うてきとるわ。ちょっと、仕事で関わった女の事を悲しませたくないっちゅう理由で、こんな風に動くんか。
「あんた、随分とうちの佐上に入れ込んでいるようやな?」
「そういうつもりはありませんが?」
そう言って、月野は首を傾げてくる。
ああ、こいつは要するにアホや。それも、とてつもないアホや。なるほど、これは佐上も苦労するわ。
何だか、無性に可笑しくなってきた。「失礼」と断ったが。くっくっと、口から笑い声が漏れて仕方ない。
◆ ◇ ◆
手にしているスマホが震えた。スマホゲームのブラウザを脇にどけ、掲示板に映し出された番号と名前を見る。社長からだ。
佐上はそのまま、電話に出た。
「もしもし? 社長? お疲れ様です。契約、どないでした?」
『おう、佐上。お疲れ。色々と漏れがあって、やり直しすることになったけど、悪いことにはならんかったで』
その答えに、佐上は胸を撫で下ろした。
「ほんまですか? いやあ、大丈夫やと思っとったけど、うちもちょっと心配しとったんですが。そうですか、よかったあ」
受話器の向こうから、上機嫌な社長の笑い声が聞こえてきた。
『お前は今日は休みか?』
「ええ。なんで、今日はホテルでのんびりさせて貰ってます」
こんな、クソ暑い時期に外に遊びに行く気はさらさら無い。
ちなみに、高級ホテルではない。既にビジネスホテルに移っている。やっぱり、部屋は狭いし家具の質も高級ホテルより落ちる。けれど、こっちの方がよっぽど落ち着く。
『そうか、ゆっくりしてくれ』
「社長はどうなんです? これから、東京見物でもされるんです?」
『アホっ! そんな暇あるかい。適当に駅で土産だけ買ってトンボ返りや』
「ああ、それは残念ですねえ。お疲れ様です」
『出来れば、お前が買うたっちゅう服や気合い入れた化粧姿も見てみたかったんやがな。なんや? 随分と綺麗になったらしいやないか?』
佐上は顔が引きつった。
「なあっ!? そ、そんなもん見せられるわけあらへんて。恥ずかしい。大体、そんなこと誰が言うとったんですか?」
『ああ? 月野渡や。ここでは彼ぐらいしか、そんなお前の姿、知っとるのおらんやろが?』
「だあっ!? あんのっ! クソどアホがっ! そんなに、うちを晒し者にしたいんかっ!」
怒りと羞恥で顔が真っ赤になる。あのド腐れ眼鏡。なんちゅう事を社長に言いよるんや。しばくっ! 明日絶対しばくっ!
『そう言うなや? まあ確かに、月野渡。あいつは言い方に問題あるな。儂も商談していて、少しの間やけど本気でキレそうになったし』
「せやろ? ホンマにもう、何度ど突いたろかと思ったことか」
何言ったんか知らんけど、内容によっては南港に沈めたる。覚悟しとき?
『せやけど、あいつ、めっちゃいい奴やで? クセはあるけど根っ子は素直や。お前、狙ってみたらどうや?』
「はいっ!?」
全くの想定外の社長の言葉に、佐上は硬直した。
『ほれ? 前に飲みに行ったとき、お前が見せてくれた皇剣乱ブレードとかいうゲームのキャラに似とるし。玉の輿やで?』
「ざっけんなやああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
相手が社長だということも忘れ、佐上は思いっきり、受話器の向こうに怒りをぶちまけた。
あまり、メインキャラ以外の掘り下げに話数を使いすぎないよう、気を付けたい。
一応これで、前のエピソード後書きに書いた下町ロケット的な流れは回避したはず。
でも、深掘りするとやっぱりそういう雰囲気の話になるので、そこまではやらない感じに。次回あと1話、こんな感じの話になるかもですが。