上奏:イシュトリニス
クムハは無事に王都に到着したようです。
アサの両親が、宰相と一緒に国王夫妻へ奏上するの巻。
クリュウ宰相に共する形で、アサ=ユグレイは妻のアサ=キリユと王宮へと登城した。
何度経験しようと、このような場と、その重責には慣れることが出来ない。他国の王やミルレンシアの皇帝陛下に、挨拶には何度も伺ってはいるのだが。
その分、緩むことがないのだから、ある意味ではいいのだが、余裕の無さを考えると己を未熟だと思う。
「クリュウ=イゴにございます。此度は陛下にお目通りの機会を与えて頂き、ありがとうございます」
「大義である」
玉座に座る国王陛下と女王陛下、彼らの前でクリュウ宰相が挨拶を述べた。アサ夫婦はその傍らに控え、頭を垂れる。
「ルテシア市より、連絡が来たと聞いています」
「はい、此度はその報告に伺いました。失礼致します。お傍にて見て頂きたいものが」
国王陛下と女王陛下が頷くのを確認し、クリュウはタブレットを持って彼らに近付いた。
「先日に報告したルテシア市の神代遺跡の起動。そしてそれによる、異世界との通路の顕現についてですが。先日、そちらのアサ=ユグレイ伯爵、アサ=キリユ伯爵夫人の娘であり、外交宮に所属するアサ=キィリンが、あちらの世界にある、通路近くの国の元首と思しき方と謁見致しました。あちらの世界の人間に敵意は無く、友好的な関係を望んでいると思われます。こちらが、その謁見の様子になります」
クリュウがタブレットを操作し、国王陛下へと渡した。
タブレットから音声が響いてくる。
国王陛下が、女王陛下にも見えるようにタブレットを傾け、そして覗き込む。
「ご覧頂いている通り、言葉は通じていませんが、謁見は非常に和やかな雰囲気の中で行われたようです。あちらの元首は、恐れながら陛下とお歳が近いと思われます」
あの様子は、既にアサ夫妻も見ている。
このような事態に対する尖兵として、まだ若い愛娘にその責任を負わせた、と帰国して聞いたときは、アサは怒りのあまり気が遠のいた。思わず、外務大臣を殴りに行きそうになった。母国を愛している。忠誠を誓っている。しかし、だからこそだ。
その時の判断の事情は聞いている。ゲートの向こう側の世界の人々に、攻め込んでくる意志が確認出来なかったということ。また、現地近くに、速やかに対応出来る資格を持つ人間が他にいなかったこと。市議会との連携に支障が無いと判断されていること。他にもあるが、そういった事情すべてを総合的に判断した上での選択だ。
理屈の上では、納得出来る。だから、帰国してからも不安に耐えつつ、日々の仕事を遂行した。
それが、このように、娘の無事な姿を確認出来るとは。娘がこのように、物怖じもせずに謁見を行う姿を見られるとは。目から熱いものが湧き上がるのを止められなかった。
「アサ=ユグレイ。アサ=キリユ。そなたらの娘は、立派に勤めを果たしたようですね。よい娘です。娘に会ったら、存分に労ってあげなさい。そなたらも、遠く離れた愛娘がさぞかし心配であったことでしょう。大義であった」
「はっ。勿体無きお言葉。恐悦至極に存じます」
仁を以て国を統べる。それが、ミルレンシア皇国を中心として、その周辺の国の基本的な思想である。国民を想い、愛する。それこそが、国を統べる者が持つべき徳であると考えられている。
だから、国王陛下も、女王陛下もアサ=キィリンのこと、我ら夫妻の胸中のことまでも慮って下さるのだ。そして、そんな両陛下だからこそ、国民は慕い国は纏められるのだ。
「しかし、これはまた面妖な物ですね。名は何というか、分かるのか?」
「はい。どうやらあちらの言葉で『タブレット』と呼ぶそうです」
「ふむ。しかし、魔力を感じませんね。これは、どのようにして動いているのか?」
「残念ながら、詳細は皆目不明にございます。アサの娘によると、あちらの世界には金属が豊富なのではないかと。また、一切のマナを感知しなかったことから、魔法ではなく、金属加工技術や機械的技術を発達させることによって、このようなタブレットのようなものを生み出すに至ったのではないか? そのような報告があります。他にも、鉄の車や人体内部や骨格を精密描写するものなども存在していたとのことです」
「何と、魔法が存在しないというのか?」
「左様にございます」
魔法が存在しない。そのような世界ではどのように文明が発達し、またどのような機械が生み出され、その中で人々は社会の中を生きるのか? 全く以て想像が付かない。
そのような未知の世界を相手に、折衝を行い、恐れずこうして冷静な分析を報告してきた愛娘をアサは誇りに思う。
「ふむ、それで? 今後はどのようにするつもりか?」
「はい。警戒態勢と軍の配備は継続し、防衛ドクトリンを練りつつ、親交を深めていく方向で進めていこうと考えております。あちらの世界に敵対の意志が確認されず、また仮に侵攻するとしても、魔法が使えない以上はそれも不可能。敵対することに利益はありません。むしろ、友好的関係を構築し、学べる技術や知識があれば互いに交換した方が、よりお互いの世界にとって有益だろうと判断致しました」
「そうか」
友好路線。それは、アサ=キィリンが唱えた方向でもある。娘が言っているから、というのもあるが、報告の内容から判断しても、それがよいと考えている。
両陛下は異を唱えない。選良が暴走し、多くの国民を無視し国家を崩壊させるような暴挙でもない限り、民が精一杯に考えて下した決断を陛下個人の考えで押し潰すような真似はしない。
両陛下が異を唱える。叱責する。その意味は極めて重い。もし、そのようなことがあり、咎めに対し改めることが出来なければ、その者はすべてを失うと言っても過言ではない。それは、歴史が証明している。
「ルテシア市との連絡はより密に行います。また、交流の効率化のため、各方面の知識人に希望者を募ります。こちらは、数ヶ月を目処に体制が整い次第、ルテシア市に派遣する予定です」
「そうか」
その、ルテシア市との連絡。アサ=キィリンとの連絡については、有り難いことに今後は自分に一任してくれることとなった。外交宮第三室の後任については、速やかに引き継げることだろう。
ひょっとしたら、愛娘はここで親が出てくるかと、嫌がるのかも知れないが。
だが、いつまでも経験の浅い娘にすべてを任せておくことも出来ない。それに、ルテシア市に詳しい人間といえば、今の王都では自分達をおいて他ならない。そこを考慮した人事である。
"必要とあれば、親書を送りましょう。そのときが来れば、言いなさい"
クリュウの体が震えた。アサも一瞬、耳を疑った。
陛下がこのように、自ら能動的に考えを述べてくるということは、異例である。過去の歴史でも、その例は限られている。その理由は、上奏に異を唱えないことに通じる。何故ならば、統治は民の自由意志によって行われるものであり、積極的に陛下が意見を述べるということはその自由意志を狭めることになるからだ。
だがそれが、形式的にはこちらの嘆願があればという形ではあるが、「親書を送ってはどうか?」という意見を出したことになる。
その申し出は、有り難かった。近いうちに、必要になると思っていたことでもある。
つまりは陛下も、この事態をそれほどまでに重く見ているということか。
「畏まりました。陛下の申し出、深く感謝致します」
クリュウと共に、アサ夫妻は深々と頭を垂れた。
今回で、異世界言語習得開始編は終わりです。
次回からは、銃と魔法編(仮)です。
ただ、公開出来るエピソードのストックが少なくなってきたり、個人的な事情で、しばらく週一投稿に戻るかもです。