酩酊と本音
その晩、暁の剣魚亭のカウンターにて。
佐上は、もう何杯目になるか分からない程、呑んでいた。その目はもう、完全に酔っ払って、据わっている。
「ったく、あのボケナス共が。なぁにが『突然決まった』や。イシュトリニスに、単身で3年から5年やと。いくら何でも、突然すぎるやろ。何でそうなんねん」
もう、何度も同じ事を繰り返している訳だが。酔っ払った彼女に、それを指摘しようという人間はいなかった。
閑古鳥が鳴く店内で、クムハ夫妻が苦笑を浮かべながら、その様子を眺めていた。
「あいつもあいつや、何をあっさりと受け入れとんねん。そりゃあな、そういう仕事やっていうのも、そうなんやろうけど。せやけど、何やねん。あのアホ、澄ました顔しおってからに。うちらのことを何やと思ってるんや。本当に、アホンダラや」
毒づきながら、佐上はカウンターに拳を叩き付けた。
「アホ。アホ。ほんまに、アホぉ……」
佐上の涙が、カウンターへと零れる。
『まあ、好きな人と別れるのは、辛いよねえ』
「あぁん?」
カウンターを挟んで、クムハ=ハレイが漏らしたその一言が翻訳機を介して聞こえてきて、佐上は顔を上げる。
「ざっけんなや! 誰があんな唐変木の朴念仁のむっつり鬼畜眼鏡が好きなもんかい。全然、そんなんやないわ! 勘違いすんな!」
『じゃあ、何だっていうのよ?』
呆れた口調で聞こえてきたその問いに、佐上は軽く呻く。
「うちはな。心配なだけや。あのアホはな? いっつも他人のことばかり気に掛けて、自分のことは二の次で。そのくせ、そのやり方もド下手くそでくっそ分かりにくい。何より目付きが悪い。何やあの目、どういう育ち方したらあんなに目付き悪くなるんや。もうちょっと、愛想とか考えろや。そんなんでよくこれまで外交官なんて仕事続けられたな。交渉の内容と相手によったら、あの目だけで戦争になるで」
『そんなので戦争とか、あったらやだなあ』
クムハ=ハレイのぼやきを聞きながら、佐上は次の杯を口にする。
「あいつ、ほんまにあんなんで。これから先、やっていけるんか? 聞けば、白峰はんかて、王都に行ったときに少しホームシックになったって言うし。あいつも、前にやらかしとるんや。ほんまに、大丈夫なんか?」
佐上は大きく溜息を吐く。
『ツキノさんのこと、本当に心配しているのね』
「せや。ほんまに心配なんや。それなのに、あいつ。何とも思ってない顔してるんや。それが、ほんまに腹立つ」
『サガミさんは、ツキノさんの何がそんなに心配なんですか?』
酔っ払ってぐるんぐるんと回る思考を佐上はたっぷり時間を掛けて整理する。
「あいつな。寂しないんかって、思うんや」
『寂しい?』
佐上は頷く。
「あんまり、人に言う話やないかも知れんけど。あいつな、独りぼっちなんよ。子供の頃に親を亡くして、祖父ちゃん祖母ちゃんに育てられたけど、それも喧嘩別れするような形で家を出て。それから、再会することもなく、その人らも亡くなってしもうた。あいつ見てると思うんや。何かこう、人として大事なもんがすっぽりと抜け落ちているような。そんな気がするんや。あいつ、自分で気付いているかどうか知らんけど、たまにそんな風に寂しい目しとる」
『だから、サガミさんはツキノさんのことが気になって仕方ないのね』
肯定にも聞こえるような呻き声を佐上は上げた。
「見ていて、苛つくんや。あの目」
だから、どうにかしたいと思ってしまう。その方法が、どうしても思い浮かばないけれど。
「あいつにとって、帰る場所ってどうなっとんのやろな? あいつな? うちの会社がうちの会社じゃなくなりそうなところを守ってくれたんや。そんとき、言うたんや。生まれ故郷に行ってみたけど、そこはもう帰る場所じゃなかったって。うちらの職場が、あいつにとっての帰る場所になっていたって」
佐上は目を押さえる。
「ほんまに、何なんや。何を言うとるんやあいつ。ほんまにアホや。腹立ってしょうがないわ」
起きているのも辛いので、佐上は再びカウンターに突っ伏した。
『帰る場所かあ』
翻訳機から、声は聞こえてくるが、佐上は反応しない。
『そうよねえ。帰る場所は、大事だと思うわねえ』
その声に、佐上は心の中で同意する。
『私も、こんな仕事しているから。そう思う。私にはここがある。帰る場所がある。だから、安心して私は遠くまで飛んでいくことが出来るんだって。帰ってきて、この人とシィノの顔を見るとほっとするのよね』
朦朧とした意識の中で、佐上は頷いた気がした。
『だから、これはあくまでも一つの――」
そこから先は、佐上には聞こえなかった。ぷっつりと、意識が途切れた。
その翌日、彼女が目を覚ますと、そこは店の奥の居間だった。佐上は、土下座してクムハ夫妻に謝った後、痛い頭を我慢して仕事に向かうこととなった。