甘い約束
結婚式まであと半月といったところで、白峰とミィレ、そして彼女の両親は白峰の実家へと向かう。
その飛行機の中で、ミィレは窓の外をおっかなびっくりといった表情で眺めていた。
「凄い。この前乗った飛行機よりも、ずっと高いところを飛んでいる。こんなにも大きいのに」
「うん。ご両親も、ミィレさんと同じ反応のようだね」
そう言って、白峰は笑った。前の席に座る、彼女の両親の様子を見て、ミィレも笑みを浮かべた。
「お義父さんもお義母さんも、ルテシアに来るときは飛行機は使えなかったから。相当楽しみにしていたようだね」
「でも、不安もいっぱいっていう感じだったんですよ? シラミネさんがいないとき、しょっちゅう祈っていたんですから」
「気持ちは分かります。自分も、初めて飛行機に乗るときはそんな感じでしたから」
白峰は苦笑した。
「その、こんな時に言うのもなんですけど。本当にごめんなさい。私のお父さんとお母さん達も、部屋にずっと泊めることになってしまって」
「え? あ、いや。それは全然気にしないで下さい。お義父さんもお義母さんからも、何度も申し訳ないって言われているし。それに、自分の方こそ。仕事が残業続きで、ほとんど帰ってくることが出来ていなくて。ごめん」
溜息を吐いて、白峰は頭を下げた。
そんなだから、実を言うと、こうして二人っきりになれた時間というのは、ルホウの手術が終わってからというものの、ほとんど無かったりする。
無論、まばらとはいえ機内には他に乗客がいるといることは忘れていないが。
二人の間に、微妙な緊張と沈黙が降りた。
そんな沈黙が、数分ほど続いて。耐えきれなくなった白峰が、口を開いた。
「あ、あの。さ。実を言うと、二人で食べたくて、買っておいたものがあるんだ。自分の両親へのお土産とは別に。こっそりと」
「そうなんですか?」
ミィレが視線を窓の外から白峰に向けると、彼は耳まで顔を赤くしていた。
足元に置いた荷物の中から、白峰はそれを取り出す。
「これは?」
ミィレは、自分の目の前に置かれた箱を見て、白峰に訊く。包装紙に書かれた、平仮名の部分は読めるが、漢字の部分が分からない。その漢字はまだ覚えていない。
「わらび餅。覚えているか知らないけれど、確か前に、日本から持ち込めるようになったら買ってくるって約束していたと思うから」
白峰の言葉に、ミィレも思い出す。
「そういえば。覚えていてくれたんですね」
考えてみれば、それは出合って、まだそれほどの付き合いがなかった頃の話だ。そんな頃の約束をまだ覚えていてくれたことに、ミィレの頬は緩んだ。
包装紙を剥がし、ミィレは箱を開けた。
透明なわらび餅を見て、彼女は目を輝かせる。
「そこにある黄色い粉と黒い蜜をかけて、細い棒を刺して食べます」
「この、黄色い粉は?」
「炒った豆を砕いて粉にしたものです」
「黒い密は?」
「黒砂糖に水を加えて煮詰めたものです」
白峰の答えから、変なものが食材として使われていなかったことが分かってミィレは安心した。流石に、本気でそんな心配をしていたということは無いが。
ミィレは黄粉をわらび餅にまぶし、黒蜜をかけていった。
と、そこでミィレは顔を赤らめた。
そんな彼女の様子に、白峰は不安げな表情を浮かべた。
「ミィレさん? なにか、問題でも?」
「いえ。そういうわけじゃ。ないんですけど」
躊躇いがちに、ミィレは続ける。
「あの。その。口を、開けて欲しいです」
「口を?」
ミィレの頼みに、白峰は目を丸くした。
「ええっと。この前、お嬢様達に誘われたときに、色々と言われたというか。それで、ちょっと、興味があるというか。そんな感じなんですけど」
爪楊枝をわらび餅に刺して、ミィレは白峰の顔の前に持ってくる。
「口、開けてくれますか?」
その意味を理解して、白峰はこれまで以上に顔を赤くした。
小さく頷いて、彼は大きく口を開けた。
その口の中に、ミィレはわらび餅を入れる。
「美味しい? ですか?」
無言で何度も頷く白峰を見て、ミィレは安堵した。
次のわらび餅へと、ミィレは爪楊枝を刺した。そして、再び白峰の顔の前に持っていこうとする。
と、不意に白峰は彼女の手を掴んだ。
「シラミネさん?」
「今度は、自分の方から、ミィレさんにしてみたいです。ダメ、ですか?」
「え? 私、ですか?」
ミィレは驚きつつも、頷いた。
「他の人に気付かれたら恥ずかしいから、早くして下さいね?」
そう言って、大きく口を開ける。
すぐに口の中に広がる甘みと柔らかな食感に、ミィレは身震いした。肩の力が抜けて行くのを自覚する。
自然と、笑みが漏れた。
「私、何だかようやく、本当にシラミネさんと一緒になったんだなって思えた気がします。本当に、遅すぎる気がしますけど」
零れそうな涙をミィレは拭った。
「私、これまでずっと。あの子のために生きるって考えて生きていたんです。愛とか、恋とか。ましてや結婚なんて、自分には縁遠い世界の出来事だって。そう、思っていたんです。だから、結婚しても、どうしたらいいのか分からなくて」
「そっか。そうだったんですね」
「この前、お嬢様達と一緒にお酒を飲んで。こうして『あ~ん』って食べさせ合うのを聞いて。それで、私は、もうこうしてシラミネさんに甘えてもいいんですよね? 本当に、好きになってもいいんですよね?」
「勿論です。自分も、ミィレさんの事が、大好きです」
ミィレは頷く。
「もう一つ、お願いしてもいいですか?」
「何ですか?」
「これからは、コウタさんって、呼んでもいいですか? 私のことも、クレナって呼んで欲しいです」
「わ、分かったよ。クレナ」
「はい。コウタさん」
二人は互いを見つめ合いつつ、自分達の間には、確かな絆が結ばれているのを感じた。
やっと、伏線が回収出来た気がします。