人生を懸けて
クムハが操縦する飛行機の中で、白峰は緊張した表情を崩せないままでいた。
通路を挟んだ隣の席に座るアサが、心配そうに彼を見る。
「あの? シラミネ? あなた、本当に大丈夫?」
「正直、あまり大丈夫ではありません。昨日は、一睡も出来なかったので」
昨日に、月野達に言った覚悟については、嘘を言ったつもりは無い。しかし、いざ目の当たりにすると流石に足が竦む。こんな話、父親に言ったら何を言われるか分かったものでは無いと思う。それこそ、一歩でも退いたら罰として殺すと厳命された戦場に、少年のみで志願したかつての武将の話を延々と聞かされることだろう。
とはいえ、今の白峰が用意出来て、一縷の可能性がある方法となれば、これしか無いというのも現実だと理解もしている。
「シラミネ? あなた、一体何をするつもりなの? 手助けが欲しいって言っておきながら、説明が無いのも困るわよ。そりゃあ、私だってミィレを助けられるなら何だってするつもりだけれど」
白峰は呻く。
「すみません。それは、もう少し待って下さい。到着したら分かりますから」
そう言いながら、白峰は自己嫌悪に陥る。
これを説明して、アサの評価がどうなるかを考えると、言い出せない。先延ばしにしたところで、どれほどの意味があるかというと無いだろう。それに、本当に覚悟が出来ていたなら、堂々と話せるはずだからだ。
そんな白峰の態度に、アサは唇を尖らせた。
「まあ、いいけれど。ミィレ達が助かるっていうのなら。それに、飛行機ならもうすぐの話だものね」
そう、言い換えれば、そんな少しの時間の先延ばしでしか無いのだ。
「ただ、これだけは言わせて頂戴。あなたが何をやるつもりなのか知らないけれど。私やミィレが、それでシラミネを悪く思うなんて事はしないわ。それが、真剣にミィレ達の事を想ってやることだというのなら」
「そう、言って貰えると助かります。少し、心が楽になった気がします」
アサの言葉に、シラミネは小さく笑みを浮かべた。
「シラミネさん。私の方からも一ついいですか? まあ、私の勘違いかも知れないんですけど」
「はい。何でしょうか?」
操縦席に座るクムハの声に、白峰は応えた。
「私、これまでの人生で一回。いや? 二回かしら? 旦那が、今のあなたのような顔しているのを見たことあるんですよねえ。どうも、今のシラミネさんを見てると、その時の旦那の顔を思い出すんですよ」
「え? そうなのクムハ?」
「ええ、まあ」
クムハは明るい声を返した。
「で、もし私が想像している通りだとしたらなんですが。そりゃあ、事情が事情ですし、シラミネさんの緊張も無理もないし、恐いと思います。だから、私から一言言えるとしたら――」
そこで、クムハは一呼吸止めた。
縋る思いで、シラミネは身を乗り出す。
「――頑張って下さい」
「それだけですか!?」
あまりにも短く、曖昧で根性論にシラミネは唖然とする。
「そうです。それだけです。というか、それしか無いんです。上手くやろうとか、そんな事考えずに、思っている事を全部一生懸命に伝えましょう。それが一番、ミィレさんにも伝わると思いますよ」
「そう、ですね。そういうものかも、知れないですね」
何をどうするか、ごちゃごちゃと考えすぎていたというのは、あるかも知れない。そう考えると、クムハの助言は単純であるが故に迷いを断ち切ったように、シラミネには思えた。
「どういうことよ? クムハ」
「まあまあお嬢様。もうすぐ分かりますから。ほら、あそこですよね? ミィレさんの町。ちょっと狭いですが、人通りも少ないですしあの道に着陸させて貰いましょう」
自転車ではあんなにも大変な距離だと思ったのに、飛行機だとものの数十分の距離でしかなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クムハを飛行機に残して、白峰とアサはミィレの家を訪れた。
客間で机を挟んで、彼らはミィレと彼女の両親に向かい合う。
「ミィレ。あなたも大変な時だというのに、突然押し掛けちゃって、ごめんなさい。でも、会えて嬉しいわ」
「私もです。お嬢様。私の方こそ、すみません。勝手を言って、挨拶もせずに、不義理な真似をしてしまいました」
「いいのよ。謝らないで。驚いたし、寂しかったけれど、こうしてまた会えたんだから」
涙ぐむミィレに、アサは優しく声を掛けた。
「それで、シラミネさん。今日はどのような話でしょうか?」
緊張を隠せない声色で、ミィレの父親は彼に訊いた。
白峰は、目を瞑り大きく息を吸った。
ここまで来たら、もう本当に、覚悟を決めるしか無い。そして、その覚悟は、決まった。
白峰は両手を机の上に置き、その間に頭を下ろした。
"ミィレさん。自分と、結婚して下さい!"
一番に伝えたい。そして、伝えるべきと思うことを大きな声で、白峰は言いきった。
「こういうときに、こういう話を持ち出すというのは、卑怯に思われるかも知れません。ですが、自分の貴女に対する想いは真剣です。精一杯、一生を懸けて貴女を大事にすると約束します。そして、弟さんの命を救う方法も、これしか見付けられなかったんです。ミィレさんが自分と結婚して、日本国籍を持ってくれるなら、その血縁として弟さんの治療を日本で行うだけの根拠が用意出来るんです。ですから、お願いします」
固く目を閉じたまま、白峰は机に額を押し付け続ける。
白峰は荒く息を吐いた。短い言葉を話しただけだというのに、酸欠で頭がくらくらしている気がする。自分でも、何をどう言ったのか、よく覚えていない。
客間に、沈黙が降りた。
自分以外、絶句している気配を白峰は感じる。
「シラミネさん――」
ミィレの声に、白峰は顔を上げる。
「突然そんな事言われて。私に、どんな顔しろって言うんですか?」
白峰の視線の先には、半泣きになっているミィレの顔があった。