救いの手の限界
白峰が目を覚ますと、その日はもう夕方になっていた。
そして、今。渡界管理施設の会議室の空気は最悪だった。
白峰の対面に座る形で、上座から順に時居、月野、佐上、海棠が並んで座っている。
白峰は勿論、佐上や海棠も月野に対して非難がましい視線を向けていた。彼にそうした視線を向けていないのは、時居くらいだ。
「おい? おどれ、どうすんねんこの空気? 白峰はん、めっちゃ怒っとるで?」
佐上が月野に言うが、月野は黙ったままだ。
「いくらなんでも、気絶した白峰さんをロープでぐるぐる巻きにして会議室に寝かせておくのは、あんまりだっんじゃ? そりゃあ、下手したら起きた途端に殴り返しに来るかもっていう心配も分かるんですけど
」
海棠からの言葉にも、月野は仏頂面を崩さない。ちなみに、白峰は床に直置きではなく、安物然とはしていたが、一応はマットレスの上に寝かされていた。
そんな月野と白峰は、無言のまま睨み合う。
時居だけは湯飲みを手に「お茶が美味い」といった余裕の表情を浮かべていた。
「おい、おどれ? 何か白峰はんに言うことあるやろ? ここは、先輩の貫禄ってもんを見せるのが、矜持ってもんじゃなんか?」
佐上の言葉に、月野はしばし唸る。
そして、月野は小さく息を吐いた。
「白峰君。よく眠れましたか?」
その一言に、白峰は自分の頭に一気に血が上るのを自覚した。
「アホかああああぁぁぁっ! お前、ここでそんなん言うなや! どう考えても、煽っているようにしか聞こえんやろがっ!」
即座に、佐上が月野の頭をはたく。
「いえ、私は本当に白峰君のことを心配したつもりで――」
「そら、おどれのことやから、そうやろうけど。言い方とか、タイミングとかあるやろ。何でそれをおどれが言うねんっ!」
佐上は月野の襟首を掴んで揺さぶる。月野は不満げな表情を浮かべながらも、黙ってされるがままになっていた。
ひとしきり揺さぶった後、佐上は悪態をついて月野を解放した。
「ああ、白峰はん? うちも、別にこいつの肩を持つつもりは無いし、帰ってきた白峰はんにいきなりあんな真似したのも悪いと思っている。けどこいつ、ほんまに心配していたんやで? おどれからあんなメールがあって、滅茶苦茶慌てた声でうちらに電話してきたんやからな? 我を忘れて、思わず津軽弁で怒鳴るくらいやぞ? そこんところは、分かってやり?」
佐上の諭しに、白峰は顔をしかめた。それは、彼にも分かっているつもりだ。だから、せめてこうして睨んでいるだけで、復讐とかそんな真似はしないだけ自制している。
「それに、白峰はんがやるはずだった今日の仕事も、肩代わりするために頑張ったんやで? どうしても、白峰はん抜きだと無理なものは、先方にも頭を下げて回って」
「そう、だったんですか?」
まさか、そこまでしてくれているとは、白峰は思っていなかった。
「別に、あなたのためではありません。勘違いしないで下さい。あくまでも、外務省に勤める人間として、このような状況下で最善と思われる真似をしただけです」
「ツンデレか!」
表情を崩さずに言う月野に、即座に佐上はツッコミを入れた。
「――とはいえ、やり過ぎたとは思います。白峰君、すみませんでした」
頭を下げてくる月野を見て、白峰も慌てて頭を下げた。その瞬間に、白峰の怒りは氷解した。
「いえ。自分の方こそ、勝手な真似をして本当に済みませんでした。フォローまでしていただき、本当に有り難うございます」
頭を下げながら、本当につまらないことで意地を張ったものだと白峰は思う。
「しかし、君達はいつもこんな感じでやっていたのかね?」
と、唐突に時居が口を挟む。
「何がですか?」
顔を上げて、月野が訊いた。
「いや、君達のそれ。頑固な親父と意地っ張りの息子の対立の中、フォローに回る母親の構図だよねと」
「誰がこれと夫婦やっ!」
佐上は顔を真っ赤にして怒鳴った。そんな彼女の様子に、時居はくっくっと笑う。
「しかし。さて、空気もいい感じに緩んだことではあるから、そろそろ本題に入らせて貰おう。白峰君、今回の君が取った行動は褒められた真似ではないということは、分かっているね?」
鋭さを含んだ時井の言葉に、白峰は推し黙る。確かに、問題はあったと思う。だが、全否定される謂われはない。そう考えると、素直に肯定は出来なかった。
時居は溜息を吐いた。
「君は、月野君にメール一本でミィレさんのところへ自転車で向かっていったわけだ。そんな真似をしたのは、正々堂々と胸を張っては言えない。言ったら止められると、そういう疚しさがあったからだろう?」
「では、堂々と言えば許してくれたとでも?」
「まさか。それは無いだろうな。聞けば、全力で止めていた」
だったら、ああするしか無いだろうがと、白峰は思う。
「『だったら、ああするしか無い』とでも思っているのか? それは、筋違いだ。君はきちんと説明して、筋を通してから行動に移すべきだったんだ。その筋を通そうとしなかった事が、君の疚しさの理由だ。今後は、そういう筋はきちんと通しなさい。私達を説得出来るだけの理由を用意してだ」
白峰にとって、耳が痛い言葉だった。彼は「はい」と頷いた。
「白峰君。私達は公務員です。国益のために働く存在です。君の行動一つ一つ。君の双肩に国民の生命財産がかかっている。その事を忘れてはいけない。分かるね?」
「それは、分かります」
「だから、私達は個人の感情で動いてはいけないんだ。災害時の救出に駆り出された自衛隊員も、家族がその場に居たら真っ先に駆けつけたくなるのは人情として当然だ。しかし、彼らはそれをしない。それと同じ話だ」
「分かっています。だからああして、絶対に規定の時間前には帰り、ご迷惑は掛けないようにするつもりでした」
「その心構えは立派だが、あまりにリスキーに過ぎる。何のお咎め無しというわけには、いかないな」
白峰は呻く。
「分かりました。処罰は如何様にも受ける所存です。しかし、その前に自分からも一つ、お話ししたいことがあります」
しかし、処罰はある意味では当然だ。それは、最初から覚悟していたことだと白峰は思い直す。
「何かな?」
白峰は一呼吸して、心を落ち着けた。
「ミィレさんを助けて下さい。お願いします」
「どういうことかな?」
「自分は、ミィレさんに直接会って、突然に辞めて故郷に帰った理由を聞きました。あの人は、生まれつき心臓に病気を持つ弟がいて。その治療費のために、アサ家に奉公に来ていたんです。その弟の容態が、事故で急に悪くなりました。彼にも会いましたが、自分から見ても回復は難しい状態だと思います」
「その弟を治療するための力が欲しい。そういうことかな?」
白峰は頷く。
「これは、人道支援です。ミィレさんは、日本とイシュテンの交流。更には、異世界の諸外国との交流においても重要な役割を果たしてくれた人物です。そんな人が、突然にいなくなるというのは、体制の不安定化を招き見過ごせない問題だと思います。だから、事情を確認する必要がありました。そして、そんな人間の縁者を助けることは、日本とイシュテンとの絆を深め、日本の国益にも適うこではないでしょうか」
「なるほど。急拵えの口実にしては、それなりに出来ているように聞こえるな」
時居は薄く嗤った。
「口実って――」
時居に険を向ける佐上を月野は手で制した。
「白峰君。残念ですが、それは難しいでしょう」
「何故ですか」
静かな口調で、月野は説明する。
「まず初めに、人道支援とは言いますがミィレさんもその弟さんも、立場としては一般人です。ミィレさんが、私達の交流において重要な役割を果たしてきた事は認めますが、それでもイシュテン国において重みある肩書きを与えられている訳ではありません」
「だから、助けるだけの見返りが期待出来ないとでも言うんですか」
時居も月野も、答えない。しかしそれは、白峰にとっては肯定と同義だった。
「次に、仮に日本の医療技術が彼らにとって大いに助けになるとします。そうなった場合、助けて欲しいのはミィレさんや弟さんだけではありません。誰だって、そういう立場になったら助けて欲しいと願います。何故彼女らだけが特別扱いされるのかという話になります。誰だって、身内の命は特別で大切なのです。まさか、そうやって希望を持った人達を全員救えとでも言うつもりですか?」
「それは。しかし――」
「白峰君が、個人的に医者に掛け合って、治療までの準備を手配するというのもお薦めしません。それも結局は、助けが欲しい人達にしてみれば、負担するのが国か個人か違いでしか無い。白峰君という一個人に縋る人達が次々と出てきますよ。法整備が整っているとは言えない中で、そんな真似を続けられますか? また、隠し通せる話でもありません。自分の懐が痛まないからこそ、綺麗事を要求出来てしまう人達は多いんです」
「だから、諦めろと言うんですか?」
白峰のその言葉に。月野は拳を机に叩き付けた。
会議室に、大きな音が鳴り響く。
「そんなわけ無いでしょう。私だって、人情としてミィレさんは助けたいんです。だから、諦めたくなんかありません。今ここで、どうにかする案を捻り出したいんですよ」
歯痒いと言わんばかりに、月野は舌打ちした。
そんな月野に、佐上は少し安堵した表情を浮かべる。
「しかし、これは難問やな。要するに、ミィレはんを特例として認められるだけの説得力のある理由が無いのが問題っちゅうことか?」
「そうですね。お役人は頭が固いだの何だのとよく言われますが。そうやって特例を認めると、次々と認めて決まりそのものが無くなって、秩序の崩壊に繋がりかねないというのがあります。だから、ミィレさんだけに制限出来る様な、そんな特別な理由が必要になります。それも、法的な問題もクリア出来るような」
「逆に言えば、それだけクリア出来たら、あるいは何とかなるかも知れんってことか?」
佐上の問いに、月野と時居は頷いた。
「ん。んん~~?」
佐上が顔をしかめた。
そんな佐上に、月野は眉をひそめる。
「何か、思い付きましたか?」
「何でそう思うん?」
「何となく、そんな気がしました」
佐上は半眼を浮かべた。
「キショいわ。何で分かんねん。まあ、ええわ。おどれ、ちょっと耳貸しいや」
「話すのは私だけですか?」
「正直、かなりアホな思いつきやと思うし。あかんかったら黙っててくれ」
小さく頷いて、月野は佐上に耳を向けた。そんな月野の耳に、こそこそと佐上は耳打ちする。
月野は時折、ふむふむと頷いた。
「――なるほど」
やがて、月野は顎手を当てながら、神妙に頷いた。白峰に向き直る。
「白峰君。この方法を話す前に、君に一つだけ訊きたいことがあります」
「何でしょうか?」
「この方法は、上手くいく保証なんてどこにもありません。最悪、君の外交官生命はおろか、一生すら台無しにしかねない危険があります。それでも、やってみますか?」
「やります。だから、教えて下さい。お願いします」
白峰は即答した。以前にも、言った覚えはある。この仕事に就いた時から、覚悟は出来ている。